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瞼を開けると目の前に広がるのはいつもの自分の部屋の天井ではない。 昨日と同じくここはビジネスホテルの一室だ。 目を覚ました俺は、すぐさま昨日と同じく鏡の前に向かった。 俺が誰であるのか確認する必要があったからだ。 グレゴール・ザムザのように毒虫にはなってはいないことは確かだが、 人間のままなら安心かというとそうでもないのだ。 洗面台の鏡に映る自分の姿は…… 普段は頭もよく人当たりもさわやかなハンサム好青年。 しかしその実体は謎の組織の一員にして限定的超能力者、古泉一樹。 ──うむ、異常なし。 3日目ともなると何も感じないね。 むしろまた別の人になっていなかったことに少しの安心感を覚えていた。 ふと一瞬だけ、変な考えが頭をよぎる。 ──俺はもしかしたら本当は生まれつき古泉だったりしないか。 それを何かの勘違いや思い違いや記憶喪失などで今はそう思えないだけで、 本来はこの姿があるべき姿だったと考えられなくもないのか? 普段なら考えもしない気味の悪いことが頭の中に浮かんでは消えていった。 何をバカなことを……いや、本当はそういうことを一番恐れているんだろうな、俺は。 昨日の朝比奈さん(長門)の話によると俺たちを元に戻せない可能性が僅かではあるがあるらしい。 このまま俺は古泉として一生を過ごすことが確定的になったとき、 俺はいったいどのように生きていけばいいのだろうか。 もはや元より俺は古泉だったとして第二の人生を送らなければならないのではないか? はっきり言って今、俺は元々俺であると主張する自信はない。 つい二週間ほど前の終わらなかった夏休みを思い返してみてもそうだ。 あのときまさか俺は一万うんぜん回もの夏休みを経験しているとは体感では全く気づきもしなかったのだからな。 人間の主観性というものは意外と当てにならない物だ。 地下の食堂で朝食を取り、急いでホテルをチェックアウトし学校へ向かう。 外は9月だというのに朝から蜃気楼の立ち上るような暑さだ。 今日も30度を越える真夏日になりそうだ。 その中を必死に汗をかきながら坂を登っていく。 本当ならこんな日は休んでしまいたい。 今日はいろいろやらなければいけないことがあるのだ。 まだ学校の始まる時間には余裕で間に合うが、 早めにクラスに着いて、今日のやるべきことを考えなくては。 何せ長門(古泉)いわく、なんでもハルヒは今イライラの最高潮にあり、 早くハルヒ機嫌を直さないと俺たちが元に戻る前に世界が消滅する可能性もあるらしい。 この一見平和に見える街の風景が明日にも崩壊の危機に面しているとは誰が知るだろうか。 今日やらなくてはいけないこと。 まずそれはハルヒの機嫌を直すことだろう。 だが何が機嫌を悪くしてるのかはちっともわからない。 そのためにはまずハルヒの様子を伺うことが大切だ。 昨日の夜も機嫌が悪かったようだし、 もしかしたら学校に来ていない可能性もある。 まずはその辺りから確認することにした。 古泉(俺)のクラスの9組は3階の一番端にあるクラスだ。 1年5組の教室はさらにその1つ上の階にある。 まだ朝のHRまでは時間があるので5組の様子を伺いに行く。 まだハルヒは来ていないようだったが、いつも俺が座っている席に俺(朝比奈さん)がちょこんと座っていた。 なにやらおぼつかない様子で辺りをキョロキョロしていたが、 何もすることがなくただ時間が過ぎるのをじっと耐えているようである。 こちらの様子には気づいていないようだ。 あえて挨拶するのも変なのでそのまま通過することにした。 長門(古泉)のクラスはすぐ近くにある。 5組を通り過ぎてそのまま長門(古泉)のクラスを確認する。 窓側最前列の席が長門(古泉)の席であるが、 席に鞄も置いてある様子もなく、まだ長門(古泉)は学校に来ていないようだった。 そういえば長門(古泉)は昨日の話だと来れないかもしれないと言っていたな。 朝比奈さん(長門)も確認しておきたいが、おそらくあいつが休むことはないだろう。 それに二年生の教室はこの校舎の向かいにあり、特に用もなく二年生の校舎をうろつくことは ハルヒのような非常識人間を除けば普通はしないことだ。 今のところ確認できたのは俺(朝比奈さん)だけか。 階段を下りようとしたところで、バッタリとハルヒに出会った。 「あら、古泉くんおはよう。こんなところで何してるの?」 一瞬だけ心拍数が跳ね上がった。 古泉のクラスは下の階にある。 授業の始まる前の時間帯に古泉がこの階を通りがかることはたしかに不自然である。 「おはようございます涼宮さん。えー、ちょっと僕の友達に用があっただけですよ」 あっけなく「あ、そう」とだけ言い残しハルヒはそのまま5組の教室へと向かっていった。 このときほんの少しだけであったが、ハルヒの様子に違和感を感じた。 違和感といってもほんの微かな引っかかりであったが、 半年間この女の前の席に座って後ろからの強烈なオーラのようなものを浴びせられていた俺には、 なんだかそのオーラのようなものが少し減っているような、そんな雰囲気を感じ取っていた。 気のせいかもしれないが。 9組に入ると昨日と同じくクラスの女子のほとんどがこちらに挨拶してきた。 古泉(俺)はこのクラスでは全ての女子と仲がいいらしい。 これがコイツの本当の超能力は女にモテる能力に違いない。 特によく古泉(俺)話しかけてくるのが後ろの席に座るこのクラスの委員長である。 「おはよう、古泉くん」 「おはようございます。今日も朝から暑くて大変ですね」 挨拶を返し、にこやかに目を細める。 そして歯を見せるように笑いながら、ほんの少しだけ首を傾ける。 俺もそろそろ3日目になり、この古泉スマイルもなかなか様になってきていると思う。 「ねえ古泉くん、三時間目の数学の宿題ちゃんとやってきてる?」 「え?あ……」 昨日も一昨日もホテル泊まりでそれどころではなかったといいたいところだがこのクラスは特進クラスだ。 宿題をやっていないと後で教師に何を言われるのかわかったものではない。 「んもう、しっかりしてよね。……今回は特別だからね」 そういうと、委員長は自分のノートを取り出しそっと手渡してくれた。 綺麗な字で数式の証明と細かい式が書かれている。 宿題の範囲は完璧に抑えられているようだ。 彼女は古泉に対して好意を抱いているのだろうか。 俺としては彼女はとてもいい人なのでぜひともその思いを遂げさせてやりたいものではある。 この親切も委員長にとってのポイント稼ぎに繋がるといいんだが、 いかんせん俺は本当の古泉ではない。 あと数日したら元の俺に戻る存在なのだ。……99.9996%ぐらいの確率で。 この記憶はおそらく古泉には受け継がれず俺個人が抱えることになるのに、 俺は彼女に嘘をついているような心境だ。 本当に申し訳ない。 そんなことを考えつつも、とりあえず今はこのノートを写す作業に取り掛かった。 今はそれどころではないのだ。 サンキュー委員長。 あとで元に戻れたら何か礼くらいしようと思う。 戻れなくてもこれはこれでアリなのかもしれないが。 一時間目が始まり、俺はずーっと考えていた。 ハルヒのストレスの原因は何か…… 考えられる要因はいくつかある。 この数日間、俺たち4人は中身が入れ替わっている。 こんな怪しい状況にも関わらずハルヒにはそのことは当然のように内緒だ。 もしかしたら俺たちが何か隠し事をしていることを直感で感じ取っている可能性もある。 仲間はずれにされたような気になっているのかもしれない。 あるいは無限に続いていた夏休みが終わってしまい、いまさらながらに休みがまた恋しくなっているのか? ハルヒはあんだけ遊んでもまだ遊び足りないっていう態度だからな。 長かった休み明けで憂鬱になるのは誰にでもあることだ。 しかし何より一番大事なことはこの4人の入れ替えとハルヒのイライラが同時にほぼ発生したということだろう。 この2つはおそらく無関係ではない。 つまりその場合4人の入れ替えはハルヒのイライラと関連性があるということだ。 そして気になるのが昨日朝比奈さん(長門)が言っていたことだ。 朝比奈さんの言動がハルヒに影響を与えたかもしれないということ。 それは朝比奈さんが無意識的に思っているところで、 朝比奈さんに直接聞いてみてもすぐにはわからないかもしれないが、 数日前にハルヒと朝比奈さんの間で何らかのやりとりがあったということは考えられる。 とにかく俺(朝比奈さん)に事情を説明してここ数日間で何かあったか聞いてみるしかない。 一時間目の授業の終わりの鐘が鳴るのを聞いて、 俺は1年5組へと急いだ。 もちろん俺(朝比奈さん)話を聞くためだ。 5組を通りかかる振りをしながら軽く中の様子を伺う。 俺(朝比奈さん)とハルヒがなにやら会話していた。 二人はそこそこ話が弾んでいるらしく、 俺(朝比奈さん)がうふふと口の前に手を置きながら笑い、 ハルヒもそれにあわせてニンマリと笑っている。 楽しそうだ。 二人はとても自然な感じで話し合っていて、 そこにいる俺が少しオカマっぽい笑い方をしていることなど気にもかけていない様子であった。 いったい何の話をしているのか聞き耳を立ててみると、 妹がアニメに出てくるキャラクターの動きを真似しようとして壁に頭をぶつけただの、 どうしたこうしたというなんとも他愛もない話だった。 いつもの俺もこんな感じで話をすることはある。だが何もこんなときに…… 体の中に焦りとも違う何か妙な感情が浮かび上がるのを感じつつもそのまま様子を伺ったが、 なかなか俺(朝比奈さん)とハルヒの会話は終わりそうにない。 無理に連れ出すことも出来なくはないが、授業の合間の休み時間は短い。 それにここでハルヒの機嫌を損ねるのは余り得策とはいえない。 この調子ではまたの時間にするしかないようだ。 9組への帰りの途中、長門(古泉)のクラスを覗いてみた。 机の横のフックに鞄はかかっておらず、長門(古泉)の席は空席になっていた。 今日は来ていないのだろうか。 そうすると昨日からまだハルヒの精神不安定が続いているということになる。 今朝ハルヒに会った様子ではそれほど機嫌を悪くしているように思えなかった。 今もそうだった。 だが、現実としてハルヒが現在も閉鎖空間を頻繁に発生させているのであれば それに対して何かしらの処置を施さなければいけない。 こういうとき今までの俺たちはいったいどうしてきただろうか。 古泉は前に言っていた。 中学時代のハルヒは常に精神が不安定な状態で、 数時間おきに閉鎖空間で巨人を生み出しているハルヒは、 さぞ凄まじいまでのストレスの塊であったことだろう。 そのストレスによる発生する閉鎖空間から世界の崩壊を救うために組織されたもの、 それが古泉を含む人間たちで結成された『機関』であった。 今までの小規模な閉鎖空間であればSOS団内でなんとか解決できたかもしれない。 しかし『機関』ですら対処のしようのない規模の問題をいったいどのように解決すればいいのだ。 9組の手前の廊下に差し掛かったところで廊下の向こうに朝比奈さん(長門)を発見した。 隣にいるのはあの元気印の上級生鶴屋さんだ。 なにやら二人で楽しそうに話をしている様子だ。 いつもなら普通の光景だが、よくよく考えるとこれは少し不思議な光景であった。 あの朝比奈さん(長門)が人と話している。 それも僅かではありながらも笑顔を交えながら。 彼女の中身を知るもののみにわかるこの不思議さ。 あの長門が感情を表に出すという仕草を形なりにも出来るようになっているという変化は 成長と見るべきか異変と見るべきかこれは大いに興味が注がれるところであった。 長門にとって朝比奈さんの体に乗り移るという現象は 無表情な宇宙人にとって、感情表現を体得するいい機会になったのではないか。 とにかく長門は朝比奈さんに成りすますことに徐々に慣れてきているようであった。 「うわーお、一樹くんっ!久しぶりっ!元気してたっ?」 遠くからこちらを見つけて威勢良く右手を振りながら鶴屋さんが駆けつけてきた。廊下は走らない! 「次の授業は教室移動なのさっ。みくるもこのとおりっ! ……んんんん?あれあれっ今日はどうしたのかなっ? めがっさ重そ~な悩みを抱えた顔してるね!お姉さんにちょろ~んと話してみないかいっ?」 表情を読まれている。 しかしこれはちょろ~んと話せる内容ではないのだが。 「はは~ん、わかったっ! 一樹くん、ハルにゃんのことで何か悩み事を抱えているにょろ?」 このにょろにょろ語使いの上級生は他人の心が読めるのだろうか?少し怖くなってきた。 もういっそのこと全部ばらしてみたくなった。 この人ならなんとなくだが俺たちの秘密を最後まで厳守できるような気がする。 「だって一樹くんいっつもハルにゃんのことっばっかり考えて行動してるじゃないのさっ! 今回もきっとそうなんでしょっ?んっ?」 古泉がハルヒのことを第一に考えて行動していたとは知らなかった。 人の隠れた一面とはなかなか他者の視点からは見えないということか。 ここは一つ、元気属性ではハルヒに似ている鶴屋さんなりの意見を聞いてみるか。 「最近、涼宮さんの様子がおかしいんです。 何かに退屈してるのかずっとイライラしている様子でして…… 本人は普通に振舞っているのでなかなか聞きづらいのですよ。 ……どうしたらいいでしょうかね? まさにお手上げ状態といったところです」 「うぷぷぷ、うまっあーっはっはっはっはー。く、くくくぅ…… ごめんよう、いやぁっなんでもないっ!なんでないよっ!! こういうときこそ一樹くんの出番じゃないさっぷっ! ハルにゃんはきっとまた一樹くんが何か楽しいことをしでかすのが待ちきれないんじゃないのかなっぷぷぷ!」 なにがそんなにおかしいのか。 「じゃ!あたしはもう時間だからいくね!頑張ってねーっ! あ、何か面白いイベントをやるときはあたしも呼んどくれ!何でも協力するからさっ!」 元気よく言い放ち、鶴屋さんは奥にある美術室へとスタスタと歩いていった。 朝比奈さん(長門)が美術室の前でこちらを振り向いて小さく口元を微笑ませながら手を振っていた。 その仕草はまるで天使が初めて地上の人に出会ったかのように初々しく神々しかった。 とにかく鶴屋さんがいうにはこういうときは古泉(俺)がなんとかしなくてはいけないらしい。 ──そうだ。 思い起こせばこの前の夏休みの合宿もそうだった。 古泉たち『機関』の人間はハルヒの退屈しのぎにはとても積極的であった。 ハルヒの機嫌が悪くなることがないように、 またハルヒが変な思い付きを実行に移さないようにするため、 何か行動を起こす前にあらかじめ先回りしてこちらからイベントへ導いていたのだ。 さらに今冬には雪山で合宿するという企画まであるらしい。 古泉たちだけではない。 コンピ研の部長の家で巨大カマドウマを倒したこともあった。 あれがSOS団に持ち込まれた初めての相談依頼だったな。 あれは長門の企画だったらしいがSOS団の存在意義を世間に知らしめたおかげでハルヒは上機嫌であった。 朝比奈さんはメイド服を自ら着てお茶汲み要員になったりバニーやナースの衣装を着たりなど、 ハルヒの言いなりになりながらも機嫌取りに終始している。 ハルヒ自身も自分の退屈を紛らわせるために野球大会に参加したり、 夏休みに団員全員を連れて遊びまわしたりもしている。 元はといえばこのSOS団自体がハルヒの退屈しのぎのために作られた物なのだから、 そういうみんなが行動を取るのは当然ともいえる。 そして俺だ。 俺はどうだった? 俺はハルヒの退屈を紛らわせるために自ら何かを企画したことがあっただろうか。 別に俺はハルヒが進化の可能性だとか神様だとか時間の歪みだとは思わないし、 そのせいでハルヒのために何かしろという上からの命令はない。 だが、SOS団という組織が退屈な毎日を打破するためのハルヒの望みであるとするならば、 そこの一員はハルヒの退屈しのぎをするというのが使命…… つまり運命の神様がいるとすればこういいたいのだろう。 次は君の番だと。 全く、ふざけるな。 である。 ハルヒ、お前は何様のつもりなんだ? ちょっと気に食わないことがあるとすぐに機嫌を悪くする。 それは宇宙人いわく、情報爆発を引き起こし、 超能力者いわく、世界を存亡の危機に陥れ、 未来人いわく、時空間に大きな歪みを作る。 まるで超新星爆発クラスの超巨大駄々っ子だ。 そんなところまで面倒見切れん。 しかし、ここは俺がやらねばなるまい。 残された時間は余りない。 古泉の話ではもって明日までだという。 すると今日か明日には何かハルヒの退屈しのぎのイベントを起こさなければいけないのだ。 これはもういまさら論議しても始まらないことなのだ。 クラスに戻ってからも授業のことなど何も頭に入らなかった。 ──何かハルヒにとって楽しいこと…… 考えれば考えるほど俺の頭の中は深みに嵌まっていった。 もともと俺の頭は深く考えて何かいい案が出てくるようには出来ていない。 そもそも今この場所で今日明日に開催されるアウトドアイベント情報など知るすべなどなく、 俺の頭の中では古泉の企画したような殺人偽装事件などは考えられるはずもないのだ。 ハルヒの今までの行動パターンからいって季節ものの企画には食いつきやすい。 秋といえば……ベタなところでスポーツの秋とかはどうだろうか。 前にやった野球のように無茶苦茶な現象を引き起こすことになるかもしれないが、この際は仕方がない。 だが果たしてスポーツをやってハルヒのストレスを解消できるのかは甚だ疑問である。 大食いの秋は昨日やったがハルヒのストレスは増大しているようだし、 アイツが自分で言い出した企画にも関わらずストレスを溜めるとはいったいどういうことなんだ。 ぐるぐると考えだけが積み重なって螺旋状の複雑な図形を作りながら浮かんでは消えていった。 はっきり言ってこんなことをしているのは時間の無駄であった。 あっという間に時間は過ぎていき、 4時間目の授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。 昼休みだ。 周りの席からこちらに向けて集中的な視線が浴びせられる。 昨日、一昨日のパターンから言ってお弁当攻撃が予想されていた。 誠にありがたいことではあるが、今はやらなければいけないことがある。 俺(朝比奈さん)にどうしてもハルヒのことを聞いておかなければいけない。 授業の合間の休み時間ではおそらく時間も足りないであろうし、 ハルヒが一緒では聞けないし呼び出しするのも不自然だ。 よってハルヒと俺(朝比奈さん)必ず別行動になるこの昼休みに狙いを絞ったのだ。 しかし周りの女の子たちは古泉(俺)の机を中心に周りを固め始めていた。 麗しき乙女たちに囲まれてみんなの持ち寄ったお弁当を食う。 こんな機会がこれからの人生でいったい何回訪れるであろうか。 とりあえず昼飯を食ってからでもいいかな?そんな不謹慎な考えが浮かび始めた瞬間、 「古泉くん」 ふとそのとき後ろの席から声が掛かる。 「ちょっと話があるの……すぐ終わるから一緒に来てくれないかな……」 助かった。冷静に考えれば楽しい時間は高速で過ぎていきあっという間に昼休みは終わる。 今朝宿題を見せてくれた恩もあるし、彼女のいうことに逆らう理由はない。 委員長の誘いに連れられた形でなんとか古泉包囲網を突破することができた。 教室を出て行くとき、背中に痛い視線を浴びていたが今はそんなこと気にならない。後で古泉に回しておくツケだ。 階段を登る委員長の後をついて行く。 着いた場所は屋上に出るドアの前だ。 四ヶ月前ここでハルヒに部活作りに協力しろと命令されたっけね。 滅多に人が来る場所ではない。 だからこそ内密の話、例えば愛の告白なんかをするのに向いているかもしれないな。 ただ周りに転がっている未完成な美術品のせいで少しムードは足りないが。 委員長は両手をもじもじとさせながら足元に転がっているマルス像に目線を落としていた。 「あ、あのね、古泉くん……」 委員長が上目使いでこちらに熱い目線を投げかけてきた。 なぜか顔が耳まで赤くなっている。 こっちまでなぜか顔が赤くなりそうだ。 「明日の夜にうちのお庭でお月見パーティーをやることになったの。 あ、明日は満月で暦の上でも中秋の名月の日だからってことでね。 うちは毎年この日に友達とかを呼んでパーティーをするの。 それで……それでね…… 古泉くんに来てもらえないかなぁって……」 委員長はそこまでいうと少しうつむき加減で目をそらした。 明日はもうそんな日だったか……中秋の名月ってたしか旧暦の8月15日だったかな。 ここのところ実家にも帰れない日が続いていたので気にもかけなかったな。 それどころではないのだからな。 しかし明日そんな時間があるのだろうか。 長門(古泉)の話ではハルヒの機嫌が持つのが明日くらいが限界だと言っていたが、 それまでに機嫌を直していたらいけるかもしれない。 だが……今ここでこれからどうなるかわからない明日の約束が出来るはずがない。 ここはうまく丁寧に断ろう。委員長には悪いが俺とお月見したところで本物の古泉と仲良くなれるわけではない。 それに古泉の知らない記憶をこれ以上増やしても古泉にも悪いだろうしな。 口に出すのをためらっているとこちらの言葉をさえぎるように委員長が先に声を出した。 「あ、あ……そ、それでね、古泉くんの他にも涼宮さんやSOS団の方々も一緒にどうかなって ……迷惑だった……かな?」 「え?ハルヒもですか?」 思わずハルヒと呼んでいた。 古泉ならここは涼宮さんと呼ぶところだ。 意外な展開につい言葉が漏れてしまった。 「うん……だって、古泉くん……涼宮さんと一緒じゃないとダメなんでしょ? それにせっかくだからたくさんの人に来てもらったほうが楽しいかなって思って……」 いや、むしろこれはありがたかった。 ハルヒと一緒でもいいのだったらこの提案は天の助けともいえる。 そう、このとき俺の頭の中に天啓ともいえるべきいい考えが思い浮かんでいたからだ。 真っ暗な夜道にポツンとある街灯の明かりのごとくいささか頼りない考えではあったが、 しかしそこに一筋の光明を見出したのだ。 これを利用しない手はない。 「いえいえ、そういうことでしたらぜひ喜んでご招待させていただきます。 そうだ! 何かパーティの宴会芸でもSOS団の団員達で披露させていただきますね。 あと一つご相談なんですがSOS団とは直接の関係者ではないんですが、 僕の友達の一人も一緒にお呼びしてもいいでしょうか?」 友達とは鶴屋さんのことだ。 委員長は満面の笑みで首を縦に振った。 「うん。みんなで来てくれるとうれしいわ。それじゃあ、いっぱいお料理作って待ってるからね!」 委員長は 階段を元気よく降りて行った。 俺は委員長が見えなくなるのを見届けてから5組の教室へと向かった。 5組を覗くと予想通り俺(朝比奈さん)と谷口と国木田が机を囲んで弁当を食っていた。 「ふぇ? 古泉くん? きゅ、急にどうしたの?」 箸にウィンナーを挟んだまま動かなくなっている俺(朝比奈さん)の背中を軽く叩き、急いで立つように促す。 谷口が疑うような怪しい目つきでこっちを見ている。 急いでいるので形にはあまりこだわってはいられない。 構わず俺(朝比奈さん)の腕を引っ張り強制的に教室から連れ出す。 さきほどと同じく屋上へと続く階段を駆け足で登っていく。 「古泉くんって……キョンくんですよね? な、なんだか私にはさっぱりで…… そんなに急いでどうしたんですか?」 「実は話したいことがあるんです……」 俺(朝比奈さん)が落ち着くのを待ってから昨日の朝比奈さん(長門)から聞いた話を聞かせた。 要点をまとめるとハルヒのことで何か思い当たることはないかどうかだ。 「そう…だったんですか………長門さんが私の記憶から……そんなことまでできるんですね」 俺(朝比奈さん)はおもちゃを奪われた赤ん坊のように今にも泣き出しそうな表情をしている。 長門に知られると何かまずいことでもあるのだろうか。 「それでハルヒに何か言った記憶はありますか」 「涼宮さんが不機嫌になる原因が私にあったとは知りませんでした。 無意識に自覚している、と言われましても私自身そんなきっかけになりそうなことを話した覚えなんてないんですけど…… それにわたし、涼宮さんと二人きりのときにそんなに長くお話しなんてしてないです……」 「長門は言っていました。それは朝比奈さんとして俺には話せないことだと。 たぶんそれはすごく言いにくいことなんです。 でもそれがわからないとハルヒのイライラの原因がわからないんです。 朝比奈さん、言いたくないことは重々承知しています。 でも今はどうしてもそれを知らなければならないんです」 「うーん……」 俺(朝比奈さん)は考え込んだままじっと目を瞑っていたが、 ときどき顔を赤くしてはそのたびに首を振るばかりで何か思いついたような表情は最後まで見せなかった。 どうやら本当に覚えがないらしい。 「そういえばこの前の日曜日……ハルヒと一緒になりましたよね?」 朝起きて俺たちの体が入れ替わっていることに絶望を覚えたあの9月8日。 その前日の日曜日に、俺たちSOS団の面々は恒例の不思議探検パトロールに全員で参加していた。 この探索自体はいつものとおり何事もなかったんだが、 午後の回でグループ分けをしたときに朝比奈さんとハルヒがペアになった。 このとき二人の間で何があったかはハルヒと朝比奈さんしか知りえないことだ。 「ええ、あのときはデパートに行ってきました。夏休み明けで新しいお茶が欲しかったのでそれを買いに…… その後は集合の時間までは近くの川原を二人でお散歩しました。特に変わったことは何も起こりませんでした」 「そのとき少しくらいは二人で話とかはしましたか?」 「ええ、しましたけど……どんな内容だったかはほとんど覚えてません。もちろん禁則に触るようなことは何も……」 まあ、いちいちそんな細かいことなど覚えていないのが普通だろう。 俺だって昨日どころか今日の授業だって先生が何を話していたかなんてほとんど覚えちゃいないぜ。 だが、記憶の奥底に眠っていたからこそ長門がそれを知りえたのだ。 「未来に教えてもらうことは出来ないんですか?」 「ええ……未来からは何の指示も……こちらの申請も全て審査中です。 おそらくこのまま……この申請は通らないと思います」 俺(朝比奈さん)はガックリと肩を落とす。 ここで朝比奈さん(大)が出てきて「これはこういうことだったのようふふ」なんて教えてくれれば早いのにな。 とりあえずここは手詰まりだ。 あとは朝比奈さん(長門)に直接教えてもらうしかない。 この俺(朝比奈さん)の直接の許可があれば朝比奈さん(長門)に教えてもらうことくらいは出来るだろう。 俺(朝比奈さん9はまだ考え込むような表情を見せていた。 「ああ、そうそう。明日古泉のクラスの友達の家でお月見パーティーをすることになったんですが……」 「あっ!!!」 ふと急に俺(朝比奈さん)の顔が急に血の気が引いたようになった。 もしかしたらハルヒのことで何か思い出したのか!? やっぱり朝比奈さんとハルヒの間には何か因縁のようなものがあるのか!? 思わず俺(朝比奈さん)に詰め寄り肩を握る。 次の瞬間背中が一瞬にして凍りついた。 「こんなところで何やってんの、あんたら」 氷点下273℃くらいの冷たい言葉が浴びせられた。 …………おい。 なんでこんなところにお前がいるんだ。 普段ならまだ食堂で残り物の恩恵にあずかろうという時間ではないか。 「なんか嫌な予感がして早めに教室に戻ってみたのよね。 そしたらキョンはいなくて食べかけのお弁当が置いてあるだけ。 谷口に聞いたわ。古泉くんと二人で出て行ったって。 それで何やってるかと思えば古泉くんと二人きりで暗い階段の踊り場で肩を寄せ合ってる。 ……あんたアナル萌えだったの?」 ハルヒ…… 仮にも若い女の子がいうセリフじゃねえだろ。 黙ってハルヒの方を振り返ると鉄板をも貫きそうな目でこっちを睨み付けていた。 主に俺(朝比奈さん)を。 俺(朝比奈さん)は古泉(俺)の体に隠れながら震えるばかりだった。 俺が何かを言わなくてはならない。 「違うんですよ。ちょっと話せば長くなるんですが……」 「うちのSOS団にガチホモ団員はいらないわ」 俺もいらん。 落ち着け。ここで取り乱してはいけない。古泉を思い出せ。 あのわざとらしいまでの芝居じみた笑顔を。 「誤解です。涼宮さんを不愉快にさせたのでしたら謝ります 僕はずっと前からも、そしてこれからも完全ノーマルですから」 ハルヒは疑いの目でじーっとこちらを見ている。 ここで焦ったら負けだ。 「明日の夜は中秋の名月なのをご存知ですか? 簡単にいうとお月見の日ですね。 その日に僕の友達に一緒にお月見パーティーをしないかと誘われましてね。 しかもSOS団の全員でいけるみたいなんですよ。 まあ、普通は月を見ながらおだんごを食べたりするだけのものですが、 僕たちなりに違う盛り上げ方ができればと思いまして……面白く宴会のような形で開催できないかと」 急にハルヒの目が強烈な輝きを取り戻した。 「へぇ~。 お月見パーティーねぇ……そんなものがあるのねー…… ねえ古泉くん! それはもちろんタダよね!? やっぱりお餅ついた杵でウサギ追っかけたりするの!?」 それはなんというふるさとの歌だ。 お月見が毎年そんな動物虐待のイベントだったらグリーンピースが黙っているわけがないだろう。 「せっかくパーティーに誘われたのなら、何か宴会芸の一つでもやらなきゃいけないわね。 キョン! ヘソで茶を沸かすくらいのことできるわよね?」 俺をなんだと思ってやがる。ヤカンか。 「ふぇ?え、え、えーっと……たぶん…できません……よね?」 そこはたぶんじゃなくていい。万一にでも出来るようになってほしくない。 未来の力でなんとかされても困る。 「実は僕たちだけでちょっとしたネタを考えてまして…… 今僕たちがしていたのはそれの打ち合わせだったんです。 パーティーはついさっき決まったことなので後で涼宮さんにもお話しようと思ってたのですが、 さきほどクラスにはいらっしゃらなかったもので……」 「ああ、そうだったのね。なーんだ。変な勘違いしてたみたい。ごめんね古泉くん。 そうよね、いくらなんでもキョンが急にホモになるわけないわよねぇ。 ところでどんなネタをやる予定なの?」 「中身は明日になってからの方が楽しみではありませんか? 先に知ってしまうと面白さが半減してしまうと思いますが……」 「それもそうね。ん? ははーん……ニヤリ。ま、期待してるわよー! なんせ古泉くんはSOS団の副団長兼宴会部長なんだからね!」 古泉のいないところで勝手な役職を増やすな。 ところでなんだその途中の含み笑いは。気になるじゃないか。 ハルヒは何かいいことを思いついた子供のようにニ段飛ばしで階段を降りていった。 「朝比奈さん、そんなわけで宴会芸をやることになってしまいました」 「ふ、ふぇえーー!? そ、そ、そんなの無理ですよー!! いきなり明日だなんて絶対無理ですー!!」 「大丈夫です。いい方法があるんですよ。これなら何も準備が要りませんし、 絶対に失敗しませんから。……おそらく。 それにこの宴会芸は最初から俺たちでやるつもりだったんです」 そう、このネタなら間違いなくこの朝比奈さんにも出来る宴会芸だ。 そして受け狙いも……まあ、おそらく大丈夫だろう。 そのためにお笑い要員の鶴屋さんを呼ぶんだからな。 俺は俺(朝比奈さん)に宴会芸の内容を教えた。 「……本当ですかぁ~? そんなのでいいんですか? そんなにこれってなにか面白い芸なんですか?」 面白いかどうかは別として悲しいくらいまでに完璧だ。 きっと鶴屋さんは大爆笑に違いない。 教室に戻るともう昼休みはもうあと一分で終わろうとしていた。 古泉(俺)の机の周りに出来ていたバリケードのようなハーレムは全て解散となっており、 周りの女子の視線もいくらかクールダウンしたものになっていた。 結局お昼は何も食っていないがここは仕方ない。 席に着こうとしたとき後ろの席の委員長が何か含みを持った視線を投げかけてきたが、 こちらは何も言わずにただうなずくだけにしておいた。 次の授業の準備をしようとしてふと気づいた。 机の上にサンドイッチが二つ置いてあったのだ。 誰が忘れて行ったかは知らないがありがたく頂戴する。 うまい。 腹が減るとなんでもうまいというがこれを作った人は天才だね。 放課後、部室に入るといつものメイド服姿の朝比奈さん(長門)が一人で分厚いハードカバーを読んでいた。 じっと目線を本に落としたまま、こちらの様子などまるで気にしていないようであった。 「長門……朝比奈さんはそんな本は読まないぞ」 そういって朝比奈さん(長門)の手からさっと本を奪い取って栞を挟む。 そのまま長机の向かい側に本を放り投げた。 一昨日と同じやり取りだ。 朝比奈さん(長門)はこちらを向いて何も語らない目でじっと俺を見つめていた。 そんな目で見ても無駄だ。 とにかく今はそれどころじゃないってことを理解してくれ。長門。 ゆっくりと扉が開き、次に入ってきたのはなんとハルヒだ。 いつも扉を親の仇のように壊さんばかりの勢いで扉に体当たりをかますこの女が 今日は珍しく普通にドアを開けて入ってきた。 ついに扉が親の仇ではないことに気がついたか。 最後に俺(朝比奈さん)がやってくるのを見てハルヒはキリッとした顔で団長椅子の上に立ち上がった。 「さーて、全員揃ったようね。……ってあれ?有希は?」 「今日は朝からお休みです。なにやら風邪を引いてしまったみ……」 「そんなことより!」 長門の風邪をそんなこと呼ばわりか! なら俺に聞くな! 「今は秋よね?」 そしてまたこのパターンか。 「ええ、秋ですとも。 夏でもなければ春でも冬でもありません。立派に秋と言えるのではないでしょうか」 「はい、みんな秋といえば?」 「読書の秋」 瞬時に返答した朝比奈さん(長門)は立ち上がり、さっき俺に奪われた分厚いハードカバーを読み始めた。 ハルヒは朝比奈さん(長門)の方をちらりと一瞥すると、 次にギラリと俺(朝比奈さん)の方を睨んだ。 「え……えっと~。お月見は明日だから……紅葉の秋……とかですか?」 俺(朝比奈さん)は自信のなさそうにうつむいている。 「みんなぜんっぜんわかってないわねぇ! 秋といえばスポーツの秋に決まってるでしょう! 我がSOS団がこんな小さな部屋に立て篭もって何もしないということはありえないのよ!」 俺が昼間に考えたベタな選択肢と同じものを選んできやがった。 「この四人でですか? 今日これからではメンバーを集めるのは難しいと思いますが……」 これが古泉(俺)としての精一杯の抵抗だった。 普段の俺だったら一人で外でも走って来いと言うところなんだがな。 「何言ってるのよ。卓球だったら二人でも出来るじゃない。 さ、みくるちゃんも着替えて着替えて! ほーらキョン立て! 早く準備して!」 もはや決定事項になってしまったようだ。 今日のSOS団の活動は卓球になりそうだ。 朝比奈さん(長門)は後から着替えてから来るらしいので、先に卓球台を確保しにいくことになった。 「そうだ、卓球するのにはラケットも必要ねえ」 用意してないんかい。 あいかわらず行き当たりばったりの団長さんだ。 まあ、ハルヒのことだから卓球部が練習してるところを無理やり奪うんだろうなと思っていたら、 目の前を行進していたはずのハルヒが急に視界から消えていた。 足元を見るとハルヒが廊下にうつぶせになって倒れていた。 ハルヒ!? こんなところで何してんだ? おい、しっかりしろ! なんとか動き出したハルヒは廊下に四つん這いの姿勢でまた立ち上がろうとしたが、 生まれたての小鹿のごとく足を滑らせるようにしてまた倒れこんだ。 見ると顔面は蒼白と表現するしかなく、しかめっつらで呼吸が荒くなってきていた。 「大丈夫か!? 救急車を呼ぶか!?」 「ん……大丈夫……。ちょっと立ちくらみがしただけだから…… あれ……? 目の前が暗くて……見えない……」 いったいどうしちまったんだ。 さっきまで元気に人の練習の邪魔をしに行こうなんて言ってたやつが。 こんな状態で運動など出来るはずがない。 ひとまず保健室に連れて行かなくては。 俺(朝比奈さん)は後ろでおろおろするばかりで役に立ちそうに無い。 「このままハルヒを保健室に連れて行くから朝比奈さん(長門)を呼んで!」 「え!? え!? でも……」 「いいから! 早く!」 ハルヒは担ごうとした俺の手を払いのけるようにして抵抗してきた。 「大丈夫。いいから……」 何を嫌がってるんだ。 こんなところで寝ているやつが大丈夫なわけ無いだろ。 だが抵抗する手にいつものハルヒほどの力は無い。 これなら無理やりにでも運んでいけるはずだ。 ハルヒの脚を左腕でささえ、首を右腕で支える。 いわゆるお姫様だっこの状態だがこれなら暴れられても運べる。 案の定ハルヒは微力な抵抗をしたが、すぐに具合の悪さが優先したかおとなしくなった。 保健室のドアのところに先生の不在を知らせる札が垂れ下がっていた。 中には寝ている病人もおらず、 ベッドが2台ほど空いたままになっていた。 その手前の方のベッドにハルヒを持ち上げて寝かせ、上から布団をかぶせた。 ハルヒの表情は苦しさを訴えていた。 すぐにも救急車を呼ぶべきかもしれないがひとまず保健の先生に診てもらってからにしよう。 「ちょっと先生いないか探してくる。このままおとなしく寝てるんだぞ」 「古泉くん……さっきからまるでキョンみたい」 ……やばい。 俺さっきこいつのことハルヒって呼んでなかったっけ? しかも口調も完全に俺の口調だったような気がする。 「……待って。行かないで」 弱々しくハルヒが声を出す。 ハルヒがこんなに弱っているのははじめて見る。 孤島で古泉の作った殺人ミステリーに巻き込まれたときより弱っている。 不意に保健室に無言の時が訪れた。 その静寂を打ち破って、急にガラリと扉が開かれた。 全身ピンクのナース服に身を包んだ看護婦さんが立っていた。 いや、今は看護婦じゃなくて看護士っていうんだっけ? どちらにせよその人は本物の看護士でもなんでもない人だ。 長い髪をたなびかせてハイヒールの足音をカツカツと立てながらこちらに歩いてくる。 頭に載せたナースキャップが少しだけずれているのもポイントだ。 胸の部分がこのナース服の規格にあっていないのか、今にも布がはち切らんばかりに張り詰めていた。 その姿にはどんな死人も一発で死のふちから呼び戻す魔力(男のみ)と、 どんな健常者でも退院の日を拒むような神々しさ(男のみ)がそこにはあった。 右手に持った不釣合いなコンビニ袋がなければ俺も思わずクラリと倒れるところだった。 それくらいこの人のナース服は攻撃力が高い。 「みくるちゃん……」 「動かないで。これを」 朝比奈さん(長門)がコンビニ袋から取り出したものは120円くらいの菓子パンと牛乳300ml。 しめて250円くらいの物であった。 ところで長門。どうしてナースのコスプレをする必要性があったんだ。 ハルヒに卓球するから着替えるようにと促されて着替えた服がこれですか? あとで詳しく事情を聞くとして、どこで買ってきたのかそのパンと牛乳をハルヒに与えるのはどういうわけだ? まるでハルヒのこの病状を最初から知っていたかのようだ。 「食べて。おちついてゆっくり」 ハルヒは朝比奈さん(長門)から手渡されたパンを躊躇いながらじっと見つめていたが、 少しずつちぎって口の中に放り込んでいった。 そんなにまずそうな顔をするな。 朝比奈さん(長門)の買ったパンだぞ? その120円のパンは売るところに売れば1000円以上の価値を持つパンなんだぜ。 「少しずつ。この牛乳と交互に」 そういわれるままにゆっくりとハルヒは食事を取り終えた。 飯を食えば治るのか? ハルヒは貧血か何かだったのか? とにかくパンを食べたハルヒはすぐにさきほどまでよりだいぶ顔色がよくなり、 目が見えないといっていたのも治ったようだった。 それにしてもなんで朝比奈さん(長門)はハルヒの倒れるところを見ていないのにそれがわかったんだ? それにそのコンビニ袋に書かれているコンビニはこの学校の近くにはなく、 坂を下りて駅の近くにまで行かないとたどり着かない。 まるであらかじめ準備していたかのようだ。 「ごめんなさい」 この場面でこのようなセリフを聞くとは思わなかった。 どうみても迷惑をかけているのはハルヒの方なのに、 謝ったのは朝比奈(長門)さんであった。 朝比奈さん(長門)がハルヒに向かってごめんなさいと言ったのだ。 「なんでみくるちゃんに謝られなきゃいけないのよ…… 別にあたしはなにも気にしてなんか無いんだから」 「先日のわたしの不用意な発言があなたの自尊心を傷つけたのならここに謝罪する」 「とにかくみくるちゃんは関係ないんだから……」 ハルヒは何も言わずに体を回転させ、ベッドに横向きに寝転がった。 ハルヒはそれ以降声をかけても何の反応も示さなかった。 朝比奈さん(長門)と俺(朝比奈さん)と3人で部室に戻り詳しく話を聞くことにした。 すると朝比奈さん(長門)の口から意外な事実が告げられた。 「涼宮ハルヒは今日の朝から何も食べ物を口にしていない」 「え……!?」 「その前の日も、口にしたのは朝に食べたリンゴ一かけら程度」 朝比奈さん(長門)はどうやらハルヒの毎日の食事まで観測しているらしい。 「わたしは涼宮ハルヒがなぜこのような自虐行動をとるのか原因がわからなかった。 しかし、朝比奈みくるの潜在意識の中からはこれに対する答えが導き出されてきた。 彼女は朝比奈みくるの発言を受けて以来、 自己の体重を減らすことを念頭に置いてそのような行動をとっているらしいということを認識するに至った」 そうだったのか……。 体重を減らす、つまり…… ハルヒはダイエットをしていたのだ。 ハルヒにとっての秋は大食いの秋でもスポーツの秋でも月見の秋でもない。 ダイエットの秋だった。あんまり聞かないが。 あのハルヒがなぜダイエットなんかしなくてはならないんだ? 何のために? 誰のために? しかもその方法がリンゴ一口しか食べないなんてふざけるにもほどがある。 素人にもわかる明らかに危険な減量法だ。 「しかしわからない。なぜ彼女はあのような行動にでるのか」 「長門、お前はこのことをずっと知っていたのか。 なんですぐに教えてくれなかったんだ? そうすれば閉鎖空間があんなに発生する前に止めることが出来たかもしれないじゃないか」 「そのことが閉鎖空間の発生と結びつかない。 なぜ食事を取らないと閉鎖空間が発生する?」 この宇宙人製の人間型端末は人間のストレスの仕組みを全然理解して無いらしい。 「長門、朝比奈さんの中でハルヒがダイエットするきっかけになったと推測するセリフって再現はできるか?」 朝比奈さん(長門)はじっと俺(朝比奈さん)の方を見つめていた。 話してもいいのかと聞いているようであった。 「お、お願いします。わたしにもなんであそこで謝らなければいけなかったのかわからないので聞かせてください」 「そう。了解した。 ただし推測される発言が幾多にも跨っている可能性があるので前後の会話と併せて聞かせる。 ……朝比奈みくると涼宮ハルヒが川原を散歩しているときのことだった。 並木通りのベンチに腰掛けた二人はしばらく何も話はしていなかった。 突然暇ねえと小さくつぶやいた涼宮ハルヒが急に後ろに回り込み朝比奈みくるの胸を揉みしだいてきた。 朝比奈みくるは必死に抵抗するも涼宮ハルヒの力には叶わずたちまち両胸は涼宮ハルヒの手に落ちた。 周りの通行人に聞こえるような大きな声で涼宮ハルヒが質問した。 あ~ら、みくるちゃんまた胸が大きくなったんじゃない? このこの。 涼宮ハルヒの問いに朝比奈みくるは顔を赤く染めるだけで何も答えない。 ただ揉んでいるだけの行動に飽きたのか涼宮ハルヒは指で乳首の」 「ちょ! あ、あああの~!……そ、その辺の描写は余り細かくしないでくれませんか?」 俺(朝比奈さん)が泣きそうになりながら朝比奈さん(長門)の腕にしがみついていた。 朝比奈さん(長門)は淡々と文章を読むがごとく平坦な口調で語っていた。 俺としてはもうちょっと臨場感溢れる演技を期待したいところだ。 「そう。了解した。 胸をひとしきりもみ終えた涼宮ハルヒは朝比奈みくるに質問した。 こんなに胸を大きくして地球をどうするつもり? 朝比奈みくるは答えた。 す、好きで大きくなったわけじゃありませんよう。 涼宮ハルヒはさらに質問した。 今ブラジャーのサイズって何カップくらいあるわけ? 朝比奈みくるは答えた」 「答えちゃだめーー!! フツーにだめー!!」 フツーに!?? 俺(朝比奈さん)が必死に朝比奈さん(長門)の口を押さえた。 俺(朝比奈さん)はこっちの視線を感じたのか、その顔がどんどん赤く染まっていく。 でもまだどの部分がハルヒの機嫌を悪くしたのかがわからない。 ここで止めるわけにはいかないのだ。 今わかったことは朝比奈さんの胸がいまだに成長期であることだけだ。 続けてください長門先生。 これ以上続けるのを嫌がる俺(朝比奈さん)を必死になだめ、 朝比奈さん(長門)にはいつでもストップをかけられるようにゆっくりしゃべってもらうことにした。 「そう。了解した。 涼宮ハルヒはさらに質問した。 みくるちゃんの前世って知ってる? ンモーって鳴いてた動物よ。 朝比奈みくるは答えた。 牛じゃないですよぅ。いじわるしないでください~。 涼宮ハルヒはさらに質問した。 そういえばみくるちゃんの背ってわたしよりちょっと低いくらいだよね? 朝比奈みくるは答えた。 あ、たぶんそうかもです。 涼宮ハルヒはさらに質問した。 ちなみに体重って今何キロあるの?みくるちゃん。 朝比奈みくるは答えた。 え、わたしの体重ですか? 最近2キロも重くなっちゃたんですが、よんじゅ……」 「わわっわっわあわああ!ストップです! もういいです! わかりました! わかりましたからあ!」 俺(朝比奈さん)が目に大粒の涙を浮かべながら朝比奈さん(長門)の口を止めた。 誘導尋問というやつか。 ハルヒは最初に相手の嫌がる質問からだんだんと聞きやすい質問へと絶妙なタイミングで相手を誘導し、 朝比奈さんの体重を聞きだしていた。 もうこれでわかった。 誰の目にも明らかであろう。 ハルヒは朝比奈さんの体重を聞いて愕然としたのだ。 で、40何キロだったんだ? 「朝比奈さんはつまりこの部分がハルヒの不機嫌の原因になったと考えてたわけか」 おそらく最近2キロ増えたというその体重よりハルヒの体重が重かったのだ。 「そういえば確かにこんなやり取りでした。 あのとき涼宮さんの表情が一瞬曇ったような気がしたんです。 2キロも、という発言はいらなかったかもしれないって気づいたんですが、 その後の涼宮さんの態度はいたって普通だったのですっかり忘れてしまいました」 このハルヒの行動からはもう一つのことが考えられる。 それはハルヒが朝比奈さんとの入れ替えを願ったということだ。 ハルヒには常識的な部分と非常識的な部分が混在すると古泉は言っていた。 ハルヒは自分が朝比奈さんになりたいと心のどこかで願ったとしても、 そんなことが出来るわけがないともう一人のハルヒに否定されるのだ。 そんな矛盾がどこかで願いに捻りを起こし、 今回の俺たちの入れ替え騒動に繋がったのではないか。 ハルヒに直接聞くわけにはいかないので、あくまでこれは推測の域を出ないのではあるが。 「朝比奈さん……でもこれちっともいつもどおりじゃないですよ。 昼休みに聞いたときはこの日何事もなかったように言ってましたけど」 「え、でもでも……涼宮さんはわたしと二人きりになるとよくこういうことをしてくるんです。 ただこのときは体重を聞かれてたんですね。そこがいつもと違うなんて気づかなかったです」 俺は心に決めていた。 次にもし中身が入れ替わることがあって自由に相手を選ぶことが出来るならハルヒになろう。 その前にこの鼻血を止めなくてはならないな。 俺は一人でハルヒのいる保健室へと向かった。 今いるSOS団の団員を代表して団長に直訴するためだ。 ハルヒはベッドに寝っ転がったままではあったが、 眠ってはいなかったようだ。 不機嫌そうに天井を見つめている。 「ダイエットでもしてたのですか? どうやらまともに食事も取っていないように見えるのですが」 「……そうよ。わるい?」 「なんでこんな無茶なことをしようなんて考えたんですか?」 ハルヒは寝たままムスっとした表情で憮然と答えた。 「知ってた? みくるちゃんってあたしより4キロも軽いのよ」 えええ!? ハルヒより4キロも軽いのか! ちょっと前は6キロも軽かったのか! ってあぶねえ。 思わず口を割りそうになった言葉をごくりと飲み込んだ。 あとはハルヒの体重を聞けば朝比奈さんの体重がわかってしまうな。 そんなもの聞く勇気は俺には無いが。 「朝比奈さんは涼宮さんよりも背が低いですから」 「でもあんなに巨乳なのに……それで4キロよ? しかもあんなに可愛い顔してるのに!」 顔は体重に関係ないだろ。 それだからこそお前が勝手にSOS団のマスコットに選んだんだろうに。 可愛いからって拉致ってきたのに今度は可愛いからって嫌いになるとか意味がわからないぞ。 やっぱりお前朝比奈さんに嫉妬しているのか? 「みくるちゃんは嫌いじゃないわよ。むしろ好きなくらい。 ただ……キョンが……」 俺? どうしてここで俺が関係あるんだよ。 そこでハルヒはまた黙ってしまった。 ハルヒは別にスタイルは悪くない。 むしろかなりいいほうだ。 かなり力はあるくせに意外なほど筋肉はついてないし、 背も高くはないし女子の中では体重は平均からやや軽い方だと思われる。 もしこの状態からいきなり4キロもの減量をしたら体調を崩すのは当たり前だ。 とにかくこいつのダイエットと世界が均等な価値であるはずがない。 頼むからやめてくれ。 「涼宮さん……彼も僕と同じことを願っています。 みんなすごくあなたのことを心配しているのです。 どうか無理に体調を崩すような真似はしないでください。 あなたは我がSOS団の団長なんですからね」 この瞬間頭に浮かんだセリフを言うべきかどうか、 俺は悩んでいた。 このままではハルヒを説得できるとは限らない。 もう一押しが必要なんだ。 言うぞ! 言え! 言え! 言っちまえ! 「それに……涼宮さんはそのままでとっても可愛いですよ さっき持ち上げたときもビックリするくらい軽くて驚きました。 むしろこれ以上やせてしまわない方がずっと素敵です」 うおぉぉぉぉぉ! やめろおぉぉぉぉぉ! しゃべった口ががムズ痒くなるようなセリフだ。 歯が浮くとはこのことだ。 もし目の前にどこでもドアがあったら今すぐオホーツク海に飛び込んでカニに体を切り刻んでもらいたい。 この体が古泉の体でなかったら絶対に言えないだろう。 もしこんなことを俺が言ったら次の瞬間にはハルヒの強烈な右フックをお見舞いされる。 古泉ならこんなことをいうこともあるだろうというSOS団の共通認識がこんなセリフを可能にした。 長門に元に戻してもらう際に記憶の消去をお願いできないだろうか。 「ちょ、ちょっとぉ、どこからそんなセリフが出てくるわけ? もうわかったわよ……恥ずかしいから変なこというのはやめて」 さすがのハルヒも顔を赤くしていた。 俺は自分がどんな顔をしていたのかわからなかったが、 きっと古泉(俺)のハンサムなニヤケ顔も真っ赤だったに違いない。 「でも……キョンもやめてほしいって思ってるのは本当?」 「ええ、本当ですとも。涼宮さんが体調を崩したのを見てとっても慌てていましたよ。 まるで我を忘れてしまったかのように焦っていました」 嘘ではない。 だからこそこうして目の前でお前を説得しているのだからな。 「そうね。もうこんな無茶なダイエットはしないわ。 あ~あ、悔しいけどスタイルではみくるちゃんには勝てないみたい。 それにいきなりあんな巨乳になるなんてできないしね……ところで」 ハルヒは急に顔を赤くしてこっちを睨み付けた。 「キョンにはこの話絶対にしないでよ!」 うん、それ無理。 なぜそこにこだわるのかはしらんがとにかくよかった。 ハルヒはもう無茶なダイエットをやめると言ってくれた。 本当にやめるかどうかは知らないが、ここはこいつの言うことを信じてやらないといけないだろう。 「でもこのままじゃなんか物足りないわ。 ねえ、もっと何か食べるものないの?」 いきなりだな。おい。 帰り道で偶然一緒になった鶴屋さんを誘って全員で駅前のお好み焼き屋に行った。 ハルヒの命令で俺(朝比奈さん)のおごりになったのは言うまでも無い。 後でこっそり長門(古泉)からもらった三千円を渡しておいたので正確にはおごりではないが、 ハルヒと朝比奈さん(長門)が物凄い勢いで追加注文するので会計はあっという間に三千円を軽々とオーバーしていた。 ちょうど食い終わってお店を出たところに長門(古泉)がいた。 俺たちが食い終わるのを待っていたのだろうか。 「あら、有希。今日は病気で休んでたみたいだけど大丈夫? 外から見かけてたのなら入ればよかったのに。キョンのおごりが増えたのにさ」 ハルヒはいじわるそうに笑うと長門(古泉)に手を振ってそのまま走って帰っていった。 走るのは食後の運動のつもりだろうかね。まったく。 長門(古泉)が話があるようなので俺たちは近くの公園へ行き、 近くの自販機で缶コーヒーを買ってから適当なベンチで腰掛けた。 座った瞬間長門(古泉)がふーっと息を吐きコーヒーを一口飲んだ。 「疲れたので今日はいつものしゃべり方で失礼しますね。 さきほどようやく涼宮さんの精神状態が安定してきました。 昼間はあっちで閉鎖空間を潰したと思ったら次はこっちでといった感じでして、 今日は一日中閉鎖空間の中でした」 おかげでこっちも大変だったんだ。愚痴はお互い様だぜ。 そして俺は今日あったことを長門(古泉)に説明した。 長くなりそうだったので朝比奈さん(長門)の乳揉み話は全て省略した。 「涼宮さんが体を壊すほどのダイエットをしていたと……なるほどね、ふふふ……」 「何がおかしい」 「失礼しました。彼女にそんな女の子らしい一面があるとは思いもよりませんでしたから。 以前ならダイエットなんて考えられないようなことです。 彼女は他人の目を気にするとかそういうことに関しては特に無頓着でしたからね。 これも女性としてきちんと成長してきた証として見てあげるべきでしょうね」 世の中の女性がみんなこんな無茶なダイエットを経験してるわけじゃないだろう。 「いえいえ、結構よくある話なんですよ。 ダイエットは女性なら誰でも一度は通る道です。 あの朝比奈さんだって2キロ増えたことを気にしてたみたいじゃないですか。 女性はみんな少なからずそのような意識を持っていると思うべきですよ」 古泉が得意げに女を語っていた。 まあ、だからこそあんなにモテるんだろうけどな。 「思えば涼宮さんからそれを伺わせるシグナルはいろいろと出ていたのです。 それに気づかなかった僕たちにも責任はあるでしょう。 そしてそれはこれからの僕たちの研究課題です」 僕たちの『たち』の部分には俺は入らないからな。絶対。 「大食い大会も朝比奈さんを太らせたいと願っていたのでしょうかね。 全く動じない朝比奈さんを見て逆に腹を立てていたとは。 それに自分はかなりの空腹状態にも関わらず、 みんながカレーを思いっきり食べているのをただ見ているだけというのはさぞかし辛かったでしょうね。 僕は涼宮さんの心理状態はかなり読めているつもりでしたがまだまだでしたね」 長門(古泉)に明日のお月見パーティーのことを告げると、 そのことを知っていたのか、あるいはなにやら思いついたのか、 こちらの提案を断り自分ひとりでやりたいことがあると言ってきた。 裸芸でもなんでもいい。とにかくハルヒの機嫌を損ねないもので頼むと言ったら、 任せてくださいと自信満々であった。 それから俺は今日泊まる部屋の鍵をもらい、長門(古泉)とその場で別れた。 その夜は体が入れ替わって以来、最も落ち着いた夜であった。 そうさ、明日はお月見じゃないか。 明日くらいは古泉の姿も思いっきり楽しもう。 窓から夜空を見上げるとほぼ満月に近い丸い形の月がこうこうと街を照らしながら光っていた。 月は何も飾りつけをしていないのに、ただそこにあるだけで十分美しかった。 ──4章へつづく── 第4章
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文字サイズ小で上手く表示されると思います 「君達何? 面接? 悪いけど人事がみんな会議中だから、そこに座ってパンフでも見ててよ」 世界の真ん中に立つ塔は 楽園に通じているという 遥かな楽園を夢見て 多くの者達が この塔の秘密に挑んで行った だが、彼らの運命を 知る者はない そして今、また一人… ……俺達は苦難を乗り越えついに秘密兵器を完成させ、最後の四天王「朱雀」を倒し、楽園を夢見て塔を登ってきた……はずだ。 だが、目の前に置かれているのは湯気を立てている人数分のコーヒー、それと茶菓子がにしか見えないし実際にそうなのだろう。 座って待つように案内されたのはどうみてもコの字型8人掛けの応接用ソファーだし、回りを忙しそうに歩いているのはスーツ姿の 男の人やOLだ。広いフロアーには整然とデスクが並び、引っ切り無しに電話が鳴り続けている。 「なんなのこれ?」 文句を言いながらも、自分のコーヒーにスティックシュガーを入れて混ぜるハルヒ。 「あはは……」 とりあえず愛想笑いの朝比奈さん。 黙々と茶菓子とコーヒーを交互に口に運ぶ長門。 「塔の中にこんな場所があるとは思いませんでしたね」 等と言いながらも、すでにこの状態に馴染んでいる古泉。 何故、俺達がこんな所にいるのかと言えば……だ。 ――ハルヒが塔の中で見つけた扉を開いたら、そこはオフィスだった。 以上、回想終わり。 唐突にも程がある……、扉の向こうは雲の上だとか南国だとか廃墟の街だとかの方がまだ納得できるさ。 一応、これは形としてはゲームなんだろうからな。 「いや~お待たせお待たせ……って何時の約束だったかな?予定が立て込んでて把握しきれなくてね」 人が良さそうなおじさんが額に汗をかきながらソファーに座った。 多分、この人が人事の人なんだろう。 あの、ここって何の仕事をしてるんですか? どうみてもただのオフィスにしか見えないんですが……。 「え? 派遣会社から何も聞いてないの?あそこはいつもこれだからな……まあいいや、簡単に説明するよ」 何か致命的な誤解があるような気がしてならないが、まあいい。 おじさんはテーブルの上にパンフレットを一つ、俺達に見えるように広げた。 そこには塔の概観図、そして俺達が旅してきた各世界の概略がこまごまと書かれている。 「我が社はここ、塔の18階ね。で、各世界で起きた災害復旧とか資材納入とかを請け負ってるんだよ。阿修羅があちこち破壊して くれてとにかく人手が足りないんだ。勤務の条件や内容とか詳しい事は資料で渡すからしっかり読んでね、返事は派遣会社にして おいてください……っと。おじさんからはこれだけ、質問があれば聞くよ?」 手早くそれだけ言って、おじさんは手帳を開いて次の予定を確認している。 質問っていうか……この会社はいったいなんなんですか? あの、阿修羅ってなんなんですか? 朝比奈さんの質問におじさんは困った顔をした。 「さぁ……それはさっぱりわからないんだ。阿修羅が神様を封じ込めてるとか言ってる人も居るけど、神様なんているのかねぇ」 俺達の居る応接コーナーに背広の集団が案内されてきた。 この人達はどこから来たんだ? まさかその格好で塔を上ってきたとか言うなよ? 「ああ! お待ちしていました、第2会議室開いてる? 今から2時間程使うからよろしく」 忙しい空気に口を挟む隙間すら見つからない。 俺達に「のんびりしていってくれ、いい返事を待ってるからね」とだけ言って、おじさんはそのまま会議室とやらに向かって歩いて 行ってしまった。 取り残された俺達の中で、長門の茶菓子を食べる音だけが続いている。 「なんだったんでしょうね……」 朝比奈さん。多分、その質問にはゲームの製作者にしか答えられませんよ。 塔に戻った俺達は、業務に追われるオフィスと石造りの塔のギャップに耐えて歩いていた。 廃墟と化した都市世界も、元はあんな感じのオフィスがいっぱいあったのかもしれないな。 塔の通路から19階への階段に差し掛かった時、 「待って」 長門が急に口を開いた。 「どうしたの?」 長門は驚くハルヒをよけて一人階段に進んで行き、じっと階段の上を見つめはじめた。 何を見ているのかわからない、まるで天井の一角を見つめる猫のようだ。 長門、何か見えるのか? 動こうとしない長門の隣に立って同じように階段を見上げてみるが、俺にはただの階段にしか見えない。 「ちょっとやめてよ……そ~ゆ~怖がらせる事言うの」 いや、そんな意味じゃなくてだな。 「次の階は危険。早く通り過ぎたほうがいい」 階段からハルヒに視線を戻し、長門はそう続けた。 感情の感じられない長門の声でそう言われると、心霊スポットを見つけた霊能力者みたいに見えるんだが。 「え、そうなの……?」 演出って訳じゃないんだろうが、長門は少し間を置いてうなずいた。 ハルヒは回りを気にしながら早足で階段へ向かって行く。 「ぼ、亡霊とかが出るんでしょうか?」 朝比奈さんも幽霊か何か出ると思ってしまったようだな。 大丈夫ですよ。幽霊なんて居るわけないでしょう? 仮にも未来人の貴女が霊に脅えるなんて、ナンセンスじゃないですか? 「ううう……」 ハルヒ以上に階段の影や手すりを気にしながら、朝比奈さんも上の階へ登っていく。 ……まさか、未来では霊の実在が確認されてるんですか? ハルヒが居るから今は聞けないが、後で聞いてみることにしよう。 階段を上り終えた俺達は、長門の指示通り19階を探索しないまま次の階段へと向かった。 ぱっと見は他の階と違うようには見えないのに、霊が居るかも? と考えただけで不気味に見えてくるから、人間の認識という ものは不確定な物だと再認識した。というこの認識もまた、どうでもいい出来事で認識を変えてしまう人間の…… そんな終わらない理論について考えていると、いつのまにか20階への階段を見つけていた。 最後には駆け足になりながら階段を上り終えると、 「待って」 また長門が口を開く。 「な、何? またここも怪しいの?」 ハルヒが羨ましい事に朝比奈さんを抱きつきながら長門を見つめている。 「この階は安全。でも、19階に何かの遺志が残っている」 静かに呟く長門の声に、朝比奈さんが早くも顔を青くしていた。 おいおい、あんまり驚かすなよ。 「有希。そ、それってどうすればいいの?」 ハルヒも幽霊は怖いのか声が震えている。 「処理してくる」 それだけ言って、長門は階段を戻って行ってしまった……。 「ちょ、ちょっと有希? 危ないわよ! 戻りなさい!」 追いかけようとしたハルヒだが、階段から下へはどうしても戻る気になれないようだ。 「僕が行きましょうか?」 この手の話題に耐性があるのか、古泉は平気そうだ。 ハルヒはしばらく考えていたが、 「ん~……キョン、あんた行ってきてよ。有希はキョンの言うことは聞くみたいだから」 皮肉ではなく、本当にそう思っているようだった。 まあ、そうかもしれないな。 わかった。長門はこの階は安全って言ってたから、待ってる間にみんなで探索しておいてくれ。 心配そうに朝比奈さんが俺の手を掴んでくる。 「気をつけてくださいね……? 霊に取り付かれたりしないでくださいね? ね?」 妙に深刻に朝比奈さんが俺の顔を見ている、貴女の住む未来の世界はそれが普通の事なんでしょうか……。 「さっさと有希を連れてきてね!」 少しでも早くこの場を離れたいのだろう、ハルヒは俺の手を掴んでいる朝比奈さんを強引に引きずって先へと進んでいった。 古泉もため息混じりに手をあげて、ハルヒの後を追いかけていく。 取り残された俺は、じっと19階への階段を凝視してみた。 ……幽霊……? まさかね……。 19階の階段を降りて長門の姿を探すと、長門は階段のすぐ近くに立っていた。 待っててくれたのか。 「そう」 長門は俺が近づくのを見てからゆっくりと歩きはじめる。 「離れないで」 歩く歩幅は男の俺のほうが広いのだが、俺との距離が広がらないように長門は気を使っているようだった。 ……まさか、宇宙人のお前も幽霊が怖いのか? 長門の意外な弱点を知ってしまったと思った俺のゆるい思考は、次の言葉を聞いた瞬間止まった。 「この階は放射能によって汚染されている」 ………。 えっと……。 何も言葉にならない、とりあえず俺は長門との距離を縮める事にした。 長門、今お前。放射能って言ったか? 「そう」 前を見たまま答えるいつもと変わらない長門の返事が今日は怖い。 放射能って……あれか? チェルノブイリとか菜の花とかのあれだよな? 「そう」 菜の花は確か放射能に汚染された土壌を綺麗にしてくれる……ってそんなのどうでもいい! って! じゃあここに居たら危険なんじゃないのか? こうしている間にも被爆しまくってるんじゃないのか? 放射能なんて物騒な物に詳しくはないが、やばい物だって事くらい俺でもわかる。 「周辺の空間は正常化させている。5人でここを通った時は通路全体を正常化させていたけれど、今は余力が無いから範囲が 狭い。あまり離れられると安全を保障できない」 俺は急いで長門の小さな両肩にしがみついた。 しがみつかれた長門はというと、なんだか歩きにくそうにしている。 すまんが、耐えてくれ。 変な意味でこんな事をしているんじゃないんだ。 そ、それでここで何をするんだ? まさか放射能汚染を食い止めるとかなのか? 「無視できないイレギュラー要素がこの階の部屋から検地されている。それを処理する」 長門はフロアーにある扉の一つに手をかけて、開いた。 扉の向こうは下りの階段で、足元だけが照らされている。 ここは……? 長門に続いて俺が階段を少し降りると、長門はすぐに扉を閉めに戻った。 閉められた扉は分厚い合金製で、厳重なロックがされている。 「シェルター、この中は大丈夫」 長門は呟いて階段を降りていく、慌てて俺もその背中を追った。 しばらく階段を降りていくと、やがて下に部屋が見えてきた。 避難所の様な簡素な部屋の床に何かが見えている。 ……おい、嘘だろ? ――それは、倒れたまま動かない子供だった。 階段を駆け下りて手を触れてみると、その冷たさと痩せ細った体を見て人工呼吸といった措置が既に無意味なんだと告げていた。 痩せ細った子供の遺体は3つ。 これ以上見ていられなくて、遺体から俺は目を逸らした。 ……なんなんだ。ここは何の為にあるって言うんだよ!? 吐き気がして頭が締め付けられるように痛い。 ふらふらとしている俺を横目に、長門は奥の部屋へと歩いて行った。 駄目だ、歩けそうに無い……。 俺が近くにあったソファーに座ってそのまま休んでいると、奥の部屋から長門が戻ってきた。 奥にあったのだろうか? 長門はさっきまで何も持っていなかったのに、今は小さな手帳を持っている。 処理ってのは終わったのか? うなずく長門は俺の前に手帳を差し出した。 ――嫌な予感がする、でも見なくてはいけない。 俺は手帳を開いた。 几帳面な文字が書かれたページが続く、途中強く開かれた跡があるページがあった――そこには ‥‥なんとかこのシェルターに逃げ込めた。 限られた水と食料を長持ちさせる為、私は殆ど手をつけずに子供達に与えてきた。 だがもう限界だ‥‥ケン、ユキ。 お前達を置いていく父さんを許しておくれ。 アキラ2人の事を頼むぞ。 神よ、私の命と引き換えにこの子達をお守り下さい! 私‥は‥‥ そこから先のページはどれだけめくっても白紙だった。 なんだよ……なんなんだよこれは。 俺はそっと手帳を長門に返し、奥の部屋へ行ってみることにした。 暗い通路の先、シェルターの一室。そこには、横たわる無残な程に痩せ衰えた大人の遺体が一つ。 その傍には、何故か見覚えのある乾パンが置かれていた。 これは……都市世界で長門が食べてた乾パンだよな。 俺が子供達が倒れていた部屋に戻ると、長門が子供達のそばにしゃがんで乾パンを並べている所だった。 3人の子供の遺体の前にそれぞれ均等になるように乾パンを並べ終えると、そっと長門は立ち上がった。 「終わった」 誰に言うのでもなく長門は呟く。 もしかして、みんなにこんな状態を見せないように先に行かせたのだろうか。 静かに子供の遺体を見つめる長門は、いつもと同じ無表情でいる。 ――錯覚だろうか。 俺には、そんな長門が泣いているように見えたんだ。 「あ、お疲れ様です」 20階に俺と長門が戻ると、古泉が一人で待っていた。 その顔にいつもの笑顔は無く、なんだか難しい顔をしている。 俺と長門も似たような感じだろうな。 長門はいつも通りにしか見えないかもしれないが。 ハルヒと朝比奈さんはどうしたんだ? 古泉はフロアーの途中にある部屋を指差して、 「この先の資料室に居るんですが、ちょっと意外な物を見つけたんです」 とだけ行って歩き始めた。 意外な物ってのはなんだ? 資料室、そう看板が下げられた部屋はそこそこの大きさの書庫だった。 いくつかあるテーブルでは、朝比奈さんとハルヒが書類を山積みにして読み漁っている。 「それが、わからないんです」 わからないって……どーゆー事だよ? 「そのままの意味です。本当にそれが何を意味しているのかわからない……いや、わかりたくないと言った方が正確なのかも しれません」 古泉が差し出してきた書類に目を通してみると、そこには……。 アーサー‥‥11階 19-3-21 くろう ‥‥13階 50-2-18 ハーン ‥‥19階 72-6-14 ジーク ‥‥ 6階 24-2-12 リズ ‥‥12階 80-1-28 なんの記録かはわからない、名前と意味不明の数字の羅列が広がっている。 なんだこの記録は?いったい誰が…… 次のページを見た時、俺は目を疑った。 ――涼宮ハルヒ‥20階 生存 なんでハルヒの名前がここに書いてあるんだよ? それに生存って……。 まさか、これはこの塔に挑んだ人達の記録だとでもいうのか? 「だめ……他に生存してる人がいないか見たけど、これだけ探しても一人も出てこないわ……」 ハルヒが書類の山に読んでいた資料を叩きつけて埃を舞い上がらせる。 埃の向こうに見えるハルヒはあきらかに苛立っていた。 そりゃそうだ。 ゲームの中の誰かに、自分がゲームのキャラのように観察されているなんて気持ち悪いとしか思えない。 その時、俺は誰かが俺の事を見ているような気がして思わず振り返った。 しかしそこには壁があるだけで、誰の姿も見えない。 それでも、嫌な感覚は止まらなかった。 ……いったいなんなんだ? 不機嫌オーラを全開にしているハルヒが資料室を出て行き、俺達も無言のままそれに続いた。 21階で俺達はまた扉を見つけた。 長門、ここはどうだ? ここはシェルターみたいな事になっていないか?俺はそう暗に長門に聞いてみた。 何も言わないまま長門は首を横に振る。それはどんな意味だったんだろう。 「開けるわよ」 ハルヒが躊躇いがちに扉を開けると、隙間から明るい日差しと暖かな風。そして花の匂いが広がってくる。 「わぁ……!」 明るく声をあげる朝比奈さんの心理状態をそのまま具現化したかのような、そんな明るい花畑がそこには広がっていた。 思わず駆け出す朝比奈さんを追いかけて俺達もその部屋、というか花畑に入った。 色や種類ごとに綺麗に区画分けされた花畑の横には小川が流れ、遠くからは鳥の声も聞こえてくる気がする。 「素敵なところですね」 嬉しそうに微笑む朝比奈さんを見るのは、なんだか久しぶりな気がするな。 「さっきまでと全然違うのね……」 ハルヒはこの空間に不自然さを感じているのか、素直に気を許せないようだ。 正直、俺も気を許せないでいる。 ここも、あのシェルターを塔に繋いだ奴が準備したかと思うと何か裏がある気がしてならない。 「あ、あそこに家があるわ」 花畑の中央、草花に埋もれるようにその家は建っていた。 近づいてみると、家の窓からベットの上で寝ている老人の姿が見えた。 「……お休みのようですね」 別に無理に起こす用事もないからな。 邪魔しないように戻るか。 俺達が静かにその場を去ろうとすると、 「おお、もしやあなた方は‥‥塔から来られたのか?」 掠れた老人の声が家の中から聞こえてきた。 しまった、起こしてしまったか。 仕方なく家の中に入ると、老人は俺達を見て大きく目を見開いて返事を待っていた。 「ええ、そうです。起こしてしまってすみません」 頭を下げるハルヒを見て、老人は嬉しそうに微笑む。 「おお! やはりそうでしたか……どうぞこちらへ、お渡ししなければならない物があります」 老人はベットの上で態勢を起こし、年輪のような深い皺の刻まれた腕で手招きしている。 初対面の俺達に渡さなくてはいけない物? 勧められるままハルヒがベットの隣にくると、 「これを受け取ってください」 老人はベットの隣にある細長い棚を開け、一振りの剣を取り出した。 丁寧な装飾が施された鞘に収められた剣は、素人目にも高価な物に見える。 老人は両手で剣を持ち、ゆっくりとした動作でハルヒに剣を渡した。 「塔から現れる者に渡せと神から授かって以来50年。ついにその日が来ました」 満足げにうなずく老人を前に、ハルヒはさっそく鞘から剣を抜いてみた。 鍔元が鞘から金属音を立てて外れ、白銀の長剣が静かに姿を現す。抜き身になったその剣は、過度な装飾の無い実践向きな 長剣だった。 見た目は重そうに見えるが、ハルヒは木の枝でも振るうように片手で剣を振っている。 どうやら本当に信じられないほどに軽いらしい、振っているハルヒも驚いている。 「凄い……。おじいさん、この剣本当に頂いていいんですか?」 ハルヒが剣から老人に視線を移すと、老人はすでにベットに横になっていた。 「……おじいさん?」 老人の瞼は殆ど閉じかけていたが、なんとかハルヒに視線を向けて、 「これで安らかに眠れる‥‥ありが‥と‥‥」 そう言い残し、穏やかな表情を浮かべたまま老人は瞼を閉じた。 シーツの胸の部分が大きく膨らみ、そして下がって止まる。 ――それっきり、老人は動かなくなった。 俺達は誰も動けなかった。 苦しそうな素振りが少しでもあれば、心臓マッサージや人工呼吸をしたり19階まで走ってオフィスにAEDを置いてが無いか 聞いてくるとか考えられたと思う。 でも、老人の顔はまるで家の周りの花畑の一部なのかと思えるほど安らかだった。 ようやく古泉が動き出し、念の為老人の顔の上に頬を寄せ首筋にそっと手を添える。 しばらくそのままじっとしていたが、起き上がり俺達を見て首を左右に振った。 まじかよ……。 「みんな。ちょっと先に行ってて」 ハルヒが搾り出すように呟く。 その言葉に従うようにまず古泉が、続いて俺の顔を見ながら朝比奈さんが家を出て行く。最後に長門も家を出て行った。 俺はなんとなく出て行く気になれなくて、近くにあった椅子に座る。 剣を鞘にしまって、ハルヒはそれをテーブルの上に置いた。 テーブルの上の剣に視線を向けながら、ハルヒが小さな声で呟いた。 「これって私のせい? 私がここに来たからお爺さんは死んでしまったの?」 それは俺への質問ではないのだろう。 多分、自分に対して問いかけているんだと思う。 ……なんでこんなイベントが終盤に準備されているんだ? 破壊の裏にある経済活動、シェルターの悲劇、何者かの監視、そして出会うことで息絶える老人……。 こんなイベントで俺達に何を感じろって言うんだよ? テーブルに置いた剣を再び手に取り、ハルヒは鞘の革紐を解いて自分の腰に巻いて止めた。 柄を握り、抜剣に支障がないか確かめるとそのまま家を出て行く。 阿修羅が居るって話の23階まで残り2階……。 これ以上何も起こらないように祈りながら、俺も老人の家を出た。 「ああ、お待ちしていました」 懐かしい声が通路に響く。 俺達の姿を見て話しかけてきたのは、案内係の人だった。 22階はフロアーそのものが狭く、探すまでもなく23階への階段が見えている。 階段の前に立つ案内係の人は、優しい笑顔で俺達を眺めていた。 「この上に阿修羅が住んでいます。気をつけて!」 その言葉はとても温かいものだったのだが、ハルヒは案内係の人を完全に無視して23階への階段を上っていった。 お、おいハルヒ! お前が今不安定なのはわかるが、いくらなんでもその態度は失礼だろ? 「私のことはどうぞお気になさらず。きっと阿修羅との戦いの前に気が高ぶっているのでしょう」 案内係の人は困った顔をしながらも、腹を立ててはいないようだ。 阿修羅が居るって場所に一人で行かせるわけにもいかず、俺達も案内係の人に会釈をしながら階段を駆け上った。 23階は緩やかな階段が続く通路で出来ていて、その先には扉が見えている。 そして扉の前に立つ、大きなシルエット。 あれが阿修羅か……。 階段の先で待っていたハルヒは、俺達の姿を確認すると何かを確かめるようにうなずいた。 「……みんな、行くわよ」 落ち着き払った声でハルヒはそう言うと、ゆっくりと通路を進んで行く。 まあいい、今はとにかく阿修羅を倒す事に専念しよう。 まっすぐ伸びている通路を進んで行き、シルエットが巨大な人の形に見えて来た。 「あんたが阿修羅?」 ハルヒが大きな声で問いかけた。 人の形に見えていたそれは、腹の位置らしい場所から何かが生えているように見える。 「そうだ。よくここまで来たな」 阿修羅は面白そうに返事を返してきた。 俺達が脅威の対象ではないのか、その声は余裕だ。 「どうだ、1つ取引をしないか?」 「取引?」 近づいて、ようやく阿修羅がどんな姿をしているのかがわかった。 頭には正面と左右に合わせて3つの顔があり、腕は左右に3本づつ。 なるほど、確かに阿修羅だな……。 しかも身長は白虎よりも遥かに高く、天井近くまで達している。ここまでくると遊園地の着ぐるみにしか見えなくて、恐怖感がないな。 「四天王に代わってお前達がそれぞれ世界を支配するのだ。いい話だろう?」 にやにやと醜悪な顔を歪めながら阿修羅は俺達を見回している。 本気で俺達がそんな話を受けるとでも思っているのか? 「あんたが全ての黒幕なの?」 ハルヒの言葉に阿修羅が顔をしかめる。 「黒幕……とはどんな意味だ?」 「あんたを影で操ってる人は居ないの?って聞いてるの」 ハルヒの言葉を鼻で笑い、 「ふっ、そんな奴はおらん」 阿修羅は首を振る。 「あっそ」 ――俺の目には光が走ったようにしか見えなかった。 その一瞬でハルヒは踏み込みながら剣を抜き、そのまま目の前の阿修羅の足を切り払う。 直径でハルヒの肩幅程はありそうな阿修羅の足首は、あっさりと胴体から切断されていた。 「な?」 目の前の出来事が信じられないのか、阿修羅は反撃もできないまま階段に倒れる。 無理も無い。阿修羅から見れば子供サイズのハルヒが、いきなり自分の足首を切り落としやがったんだ。 俺も目の前で見ていて信じられないんだからな。 そのまま階段を上り、まだ自分の置かれた状態を把握できない阿修羅を見下ろしながら、 「あんたのせいで苦しんだ人達の仇。取らせてもらうわ」 ハルヒの剣がまっすぐ阿修羅の胸に突き刺さった。 おいおい……たった一人で阿修羅を倒しちまいやがった……。 俺達は何も出来ないまま呆然とその場で立ち尽くしている。 「何故……エクスカリバーをお前が……」 阿修羅は、自分の胸に深く突き刺さった剣を見て驚いている。 胸を刺された事よりも、むしろ刺さっている剣そのものを見て驚いているようだ。 「神よ……貴方は私を選んだのではなかったのですか……?」 「え? それっていったい…… 阿修羅の意識が途絶え、体から力が抜けると俺達の体は浮遊感に包まれ落下を始めた。 なんの抵抗もできなかった、なんせ床が突然なくなってしまったのだ。 落とし穴だ! そんな事がわかっても仕方ないが、暗闇の中を落下しながら俺は叫んでいた。 どこまで落ちることになるかわからないが、なんとかしないとみんな死んでしまうぞ?! 必死に長門の姿を目で追うが、みんなの姿はどこにも見えなかった。 遠くから声がする‥‥。 「もう一度上って来れるかー?」 ――誰かが優しく俺を揺さぶっている。 「……ョン君、起きてください?」 その優しい声を間違えるはずが無い、この声は。 朝比奈さん? そう呟いた俺の前にあったのは、期待した通りの朝比奈さんの顔だった。 「残念でした。ミレイユです」 が、違った。 嬉しそうな顔で俺を膝枕してくれているのは、空中世界で朝比奈さんと入れ替わったりと色々あったミレイユさんらしい。 改めて見てみると、ここは薄暗い塔の中ではなかった。 視界に入るのは広い高原、俺を見下ろすミレイユさんの笑顔。 すぐ近くにある石造りの町、この町はもしかして……。 「大丈夫ですか?」 辺りを見回す俺を、ミレイユさんが心配そうに見つめている。 ここはどこですか? 「ここは塔の1階、大陸世界です」 1階だって? じゃあ俺達は20階以上の高さからここに落ちてきたのか? それにしては体には怪我の一つも無い、っていうか普通死ぬだろ? みんなの姿が見えないが無事なんだろうか。 長門が無事なら多分、全員助かってると思うんだが。 あの、長門を知りませんか? 俺達と一緒に居た無口な女の子です。 すぐに思い当たったらしい、 「ほら。向こうに居ますよ」 ミレイユさんが指差す先では、長門が恰幅のいい男の人と一匹のスライムと会話していた。 長門、何をやってるんだ? 俺が長門に近づくと、長門の前に居た男の人は嬉しそうに俺の手を取り、 「鎧を手放して初めて本当に大切な物に気づいたよ。ありがとう」 嬉しそうに話しかけてきた。 ……えっと、この会話が成立しない人には覚えがあるぞ。 確か鎧の王様だったか? えっと、気になさらないでください。 俺は適当に答えて、鎧の王様の手を振り払った。 「私、幸せよ。あの人の子供がお腹の中に居るの」 今度の声は下から聞こえてきた。 ……そこには、うようよと動くスライムが一匹。 ああ思い出した、声は綺麗な村一番の美スライムさんか。 それより今、なんて言った? あの人の子供がお腹の中に居るだって? 改めて見てみたが、そこに居るのはスライムだった。 まさか、お腹の中に子供を入れて消化中って事じゃ……ないよな? ……まあいいか、長門ちょっときてくれ これ以上深く考えるのは止めよう。 俺は長門の手を引いて、とりあえずその2人? から離れた。 落とし穴に落ちた俺達を助けてくれたのはお前か? まあお前しかこんな事はできないよな。 俺の問いかけに長門はしばらく不思議そうな顔をしていた。 なんだ、お前じゃなかったのか? まさか古泉? 「私達は落とし穴に落ちていない」 長門の返答は俺の質問そのものを否定するものだった。 え? でもハルヒが阿修羅を倒したら急に床が無くなって……」 「床と通路を含めた全ての情報が書き換えられ、私達の位置が変わった様に見えているだけ」 すまん、さっぱりわからん。 頭を押さえる俺を見て、意味が通じなかった事を察したのか長門は続ける。 「何者かによって私達が居た周辺の情報が書き換えられた。ここは塔の23階であり、1階でもある」 さらにわからなくなった……とりあえずだ。 みんなは無事なんだな? 俺の質問に今度はうなずき、長門は町の一角を指差した。 そこにはハルヒに朝比奈さん、ついでに古泉の姿が見える。 よかったとにかくみんなの所へ行こう、状況の把握はそれからだ。 「あ、目を覚ましたんですね!」 「よかった、キョン君だけ目が覚めなくて心配したんですよ?」 町の中に来た俺と長門を出迎えてくれたのは、2人の朝比奈さんだった。 え~っと、ちょっと待ってくださいね。 まずは消去法でいこう。 さっき町の外に居たのはミレイユさん、ということはここに居るのはジャンヌさんと朝比奈さんだ。 服はどうだ? ……だめだ、今は2人とも同じ服を着ているからわからない。 「あ~私がどっちかわからないんですか?」 「え~ショックです」 2人はからかうように戸惑う俺を見て笑っている。 町にはジャンヌさんだけではなく、これまでお世話になった人達が集まっていた。さっきの鎧の王様に村一番の美スライムさん、 海洋世界の老人に、朝比奈さんのそっくりさん姉妹、さらにさやかさんの姿もあった。俺達との出来事で話題が尽きないのか、 塔の前は賑わっている。 やれやれ阿修羅戦までのあの緊張感はどこへやら、だな。 「何にやけてんのよ」 ハルヒがいつの間にか俺の後ろに立ち、腕を組んで睨んでいた。 まあそう言うなよ、やっとゲームも終わりなんだ。エンディングくらい笑っててもいいだろ? 俺の言葉にハルヒは顔を曇らせる。 「本当にこれで終わりなの?……なんかあっけなさすぎて信じられない。もしかしてあの阿修羅は偽物とか、幻だったんじゃない?」 それはお前が強すぎただけだろ? 今更だが、俺達は長門のおかげでドーピングがしてあるんだ。 ……と、俺は思いたいんだけどな。 最後に阿修羅が言った言葉、あれはいったい。 俺が顔を上げると、海洋世界であった老人が俺の顔をじっと見つめていた。 「お前等の倒した阿修羅はただの幻だったのか‥それとも‥‥」 まるで俺の心を読んでいるかのように、老人は独り言を言っている。 お爺さん、それってどういう意味ですか? 「‥‥‥」 お爺さんは何かを考えるように俯いて、それっきり口を開かなかった。 「この世界から出てっても私達の事、忘れないでね」 聞き覚えのある声に振り向くと、ライダースーツの女の子がハルヒに抱きついていた。 赤い鉢巻でポニーテールを結わえたさやかさんはもう涙目になっている。 「ばっかね~さやかちゃんを忘れるわけないじゃない」 さやかさんの頭を優しく撫でるハルヒも、なんだか寂しそうだった。 ――これで終わりかな。 阿修羅の言葉はすっきりしないが……まあこれで終わりってのもありだろう。 町の中央に見える大きな塔は、はじめてこの町に来た時と同じように天高くそびえ建っている。 塔の入口の扉に以前は無かった4つ丸い窪みが見える、あそこにクリスタルを入れて扉を開けるって事なんだろうな。 扉の向こうはもしかして現実世界なんだろうか? 「あの扉の向こうに楽園への真の道があります」 その声は騒がしい町の中だというのに、不自然な程にはっきりと俺の耳に聞こえてきた。 別れを惜しむように盛り上がる輪から外れた場所に、あの案内係さんが一人で立っている。 あなたはいったい……? 俺の質問には答えないまま、案内係さんは塔の扉へと俺を促す。 示されるまま扉へと近づくと、自然に扉は開いていった。 扉の向こうには、残念ながら現実世界ではなく上へ登っていく階段が見える。 「あ! キョンあんた何勝手に一人で先に行ってるのよ!」 怒った顔のハルヒ、困った顔の古泉。名残惜しげに大きく手を振る朝比奈さんと、それに付き合うように手を軽くあげたまま 歩く長門。 全員が塔の前に揃った所で、ハルヒは町を振り返った。 「みんな! ありがとう! 元気でね~!」 楽しそうなハルヒの声をバックに、俺達は塔の中へと歩き始めた。 塔の中は、何故か階段ではなくエスカレーターが設置されていた。 「最初からエスカレータにしてくれればよかったのに」 エスカレーターの手すりを逆方向へ引っ張ると言う無意味な抵抗をしながら、ハルヒが誰に言うでもなく不満を言った。 それだと味気ないからじゃないか? 「やれやれ、これでクリアですね」 古泉が嬉しそうに息をつく。 お前、前にも同じことを言わなかったか? 「そうだったかもしれません」 俺に指摘されて古泉は小さく笑う。 これでまた海洋世界が待ってたら笑えないけどな。 敵が現れる事も無く、俺達はのんびりとエスカレーターに乗っていたのだが、 「先に行ってるわ!」 ハルヒは飽きたようだ。 おい! あんまり一人で先に行くなよ? 「わかってる~」 エスカレーターを2段飛ばしでハルヒは上っていってしまった。 まてよ? 本当にこれで終わりなのか? 長門、もう敵は出ないんだよな? あっさりと長門はうなずく。 そうか、ならほっといてもいいか……。 ほっとした俺に長門の追加説明が入った。 「大丈夫、エンカウント率は0のままにしている。本当はこのエスカレーターには復活した四天王が配置されていた」 マジか?! ……じゃあまだエンディングじゃないんだな。 やっぱりラスボスは別に居るって事か。 「このままエンディング」 終わりなのかよ?! 「復活した四天王以外にボスのような敵の情報は存在しない」 なんだそりゃ? ゲーム的に考えたら、復活した四天王って展開の後に待ってるのは真のラスボスの登場なんだが。 「変わった趣向ですね。このゲームの製作者の意図はよくわかりません、エンディングではどんなイベントが待っているんでしょう?」 こうして塔は救われた……塔を救った勇者達は元の世界に戻り、変な空間に閉じ込められる事も無くなって平和に暮らしましたとさ。 これじゃだめか? 「パレードとかあるんでしょうか?」 それは、どうでしょうね。あるかもしれませんよ? 来春公開の映画の内容を予想するようなのんびりとした時間を過ごしていると、 「遅いじゃない!」 エスカレーターはいつの間にか俺達を最上階まで運んでくれていた。 お前が勝手に先に行ったんだ。 エスカレーターの終わり、ハルヒの立つ後ろには大きな扉が見える。 今度こそ現実に戻れるんだろうか? 期待する俺の顔を見てうなずいてから、ハルヒは扉をゆっくりと開くとそこには……。 「これが楽園なの?……殺風景なところね」 白かった。 むやみに広く白い空間、足元はコンクリートなのか石なのかわからない不思議な質感の床がありどこまでも広がっている。 見上げる空には雲ひとつなく、というか太陽がなかった。 それなのに、不自然なほどに明るい。 地平線が見えないほどに広がったその空間には、所々適当に家具が置かれていた。木が生えている所もあるのだが、それは 何の法則があるのかわからないような疎らな生え方で、自然の状態には見えない。 風も無く、何の音もしない。 まるで最初に俺達が来た、あの白い部屋みたいだ。 「す、涼宮さん」 朝比奈さんの驚いた声に振り向くと、さっき俺達が通ったはずの扉はそこには無かった。 代わりにとでも言うのか、小さな泉が扉があったであろう場所の地面から沸いている。 閉じ込められちまったってことか? 「向こうに川が見えますね」 古泉が指差す方に、一直線に伸びる川が見えている。 他に目標になるような物もなかったから、とりあえず俺達は川の方へと行ってみた。 川は側溝を広くした程度のもので、またごうと思えばまたげてしまえるのだが川の上流に小さな橋が見えている。 橋があるって事は、その先に何かあるんだろうか? 異様な雰囲気にその後は誰も口を開かないままで橋へと歩いていくと、視界に見覚えのある姿の男性が見えてきた。 男性は木製の椅子に座り、テーブルに置かれたいくつかの水晶をじっと見つめているようだ。 「まずい事になりました」 古泉が小声で話しかけてくる、いつものにやけ顔はそこにはなく真面目な顔でこちらを見ている。 何がだ。 「手短に言います、涼宮さんと同じ力をあの男性から感じるんです」 周囲の環境を自分の思うがままに操る力、だったか? ……おい、まさか。 古泉はうなずく。 「今回の出来事を企てたのが誰なのか、それはまだわかりません。ですが、実行したのは恐らく……」 俺達が橋を渡り終えた時にはそれが誰なのかはっきりとわかった。 いつか聞いた古泉の言葉をふと思い出す。「その様な力を持つ存在を人は神と定義します」 顔がはっきりと見えるほどに近づいた所で、その人はようやく椅子から立ち上がる。 ――シルクハットをかぶり黒いスーツに身を包んだその人は、大陸世界の町で俺達を見送ったはずの案内係さんだった。 「やっと来ましたね。おめでとう。このゲームを勝ち抜いたのは君達が初めてです」 拍手をしながら案内係さんは近寄ってくる。 穏やかな笑顔はいつもと変わらないが、それはいつもの案内係さんではなかった。 「ゲーム?」 ハルヒが眉間に皺を寄せて聞き返す。 すると説明したくてたまらなかったのか、嬉しそうに 「私が作った壮大なストーリーのゲームです!」 両手を広げて案内係さんは明るく答えた。 「ど、どういうことなんですか?」 状況がわからないのか、朝比奈さんは脅えている。 「私は平和な世界に飽き飽きしていました。そこで阿修羅を呼び出したのです」 何考えてんだ! 俺の声に耳を貸す様子も無く、案内係さんは微笑んでいる。 「阿修羅は世界を乱し、面白くしてくれました」 その時の事を思い出しているのか、案内係さんは嬉しそうにテーブルに置かれた水晶を撫で回した。 水晶には破壊される町や繰り返される抗争が映っては消えていく……。 ふっと案内係さんの顔から表情が消え、水晶に映された映像も同時に途絶える。 「だがそれも束の間の事、彼にも退屈してきました」 ……なんてやろうだ……。 こいつ一人の娯楽の為に、都市世界の犠牲やあのシェルターの悲劇はあったっていうのかよ? 「そこでゲーム……ですか?」 怒りを隠そうともせずに古泉が呟くと、 「そう! その通り!! 私は悪魔を打ち倒すヒーローが欲しかったのです!」 嬉しそうに案内係さんは古泉を指差した。 「何もかも、貴方が書いた筋書きだった訳ですね」 古泉が睨みつけても、案内係さんからは笑顔が消えなかった。 「中々理解が早い。多くの者がヒーローになれずに消えていきました。死すべき運命を背負ったちっぽけな存在が必死に生きていく 姿は私さえも感動させるものがありました。私はこの感動を与えてくれた君達にお礼がしたい! どんな望みでも叶えてあげましょう」 本気でそう思っているのだろう、案内係さんの言葉は本当に感謝に満ちている。 もういい、黙れ。 聞くに堪えない。 俺が一発ぶん殴ってやろうと近寄ろうとすると、ハルヒが俺の前に出た。 「あんたの為にここまできたんじゃないわ! よくも私達を、みんなをおもちゃにしてくれたわね!」 我慢しきれず、ハルヒが老人の剣を抜いた。 剣先を自分に向けられても、案内係さんからは……いや、もうさん付けで呼ぶまでもない。 案内係は笑みを絶やさないでいる。 「それがどうかしましたか? 全ては私が創った物なのです」 黙って聞いていればさっきからこいつは……。 俺達は物じゃない! 俺は都市世界でハルヒに押し付けられた銃を案内係に向けた。 後ろでは朝比奈さんがこわごわとバルカン砲を構え、古泉も赤い玉を手に浮かべている。長門は何故かじっとしたまま動かないで いた。 「神に喧嘩を売るとは‥‥どこまでも楽しい人達だ!」 高らかに笑いながら案内係、いや神は俺達からゆっくりと離れていく。 ……逃げるつもりなのか? 隣に立つ古泉が神から視線を話さず呟く。 「涼宮さんがあの男を毛嫌いしていた理由が今ならわかる気がします。きっと、あの笑顔の下にあった邪悪さを無意識に感じ取って いたんでしょうね」 ああ、今となっては素直にあいつを頼りにしていた自分が恥ずかしいぜ。 古泉、一応聞くがあれはハルヒのお仲間みたいなもんなんだろう? お前らの機関としては倒しちまってもいいのか? 神から目を離さないまま、隣に立つ古泉に呟く。 「全く構いません。機関の考えはともかく、僕にも神を選ぶ権利はあると思いますから」 同感だ。 たとえ暴君で我侭だとしても、同じ神なら俺はハルヒを選ぶさ。 神はある程度離れた所で振り向いた。 そして俺達の顔を順番に眺めてから、何故かため息をついた。 「どうしてもやるつもりですね。これも生き物の欲望(サガ)か‥‥」 神の顔から、ついに微笑みが消える。 「よろしい。死ぬ前に神の力、とくと目に焼き付けておけ!!」 それまでの落ち着いた雰囲気を捨て、神は怒鳴りながら俺達に無防備に近寄ってきた! 俺や朝比奈さんが構える銃口を前にしても怯む様子は全く無い。 く、撃てないと思ってるのかよ? 撃つ自信はないが、このまま撃たないでいられる自信はもっとないぞ! 「こ、来ないでください!」 朝比奈さんが悲鳴混じりに叫んで引き金を引いた、朱雀をあっさり葬りさった銃弾は神に向かって真っ直ぐ飛んでいったのだが、 どれだけ撃っても何故か神には当たらずにすり抜けていってしまった。 長門がデータをいじってくれてるのに当たらないだと? 朝比奈さんは引き金を引いたまま、弾切れになった事にも気づかずに呆然としている。 俺も神の足を狙って引き金を引いてみた、が弾は虚しく地面にめり込んで止まる。 どうなってるんだ? 銃では倒せないと考えたのか、ハルヒが神に向かって走り出す。 あっという間に剣の間合いに入ったが、神は構えようとも避けようともしないでいた。 「懺悔なさい!」 ハルヒが老人の剣を高く振りかざし、神の肩から一直線に振り下ろした―― 「何をしているのですか?」 神の顔には笑顔が戻っていた。 そしてわざとらしく、ゆっくりとハルヒに問いかける。 ――神は何もしなかった。 阿修羅をもあっさり倒した老人の剣は確かに神の体を切りつけ、 「うそ……」 柄を残して消滅してしまっていた。 「まさか……私が創った武器で私が傷つけられるとでも思っていたのですか?」 動揺するハルヒに向かって無防備に腕を広げながら、神は笑っている。 「さあどうぞ攻撃なさってください。無残に散った人達の仇を討つのでしょう?」 「涼宮さんよけてください!」 ハルヒの背後に近寄っていた古泉が神に向かって赤い玉を投げつける。 玉は体をひねってかわすハルヒの目の前を通過して神に直撃する。 やったか? 爆炎が巻き起こり神の姿が見えなくなる、その間にハルヒは距離をとった。 炎が収まると、神は無傷のままそこに居た。 「私の創造物ではない存在だと……?」 神の顔からは笑顔が完全に消えている。 それに反比例するかのように、 「って事はとりゃー!」 ハルヒの明らかに顔を狙った上段蹴りが神を襲う、なんとか両腕で防いだものの 「ちいっ!」 神の表情に余裕は無い。 「素手なら殴れるって事ね! だったらいけるわ!」 さっきのうろたえた表情が嘘だったかのように、ハルヒは嬉々として神に接近していく。 顔を狙ったパンチを防ごうと神が腕を上げたところを掴んで下腹部に膝を入れ、さらに後頭部を両手で叩き落す。 無様に地面に崩れた神が起き上がろうとすると、今度は古泉の赤い玉が襲い掛かる。 2人の連続攻撃の前に反撃できず、神は防戦一方だ。 こうなるともう俺の出番はないな、朝比奈さんも何も出来ずにおろおろと戦闘を見守っている。 いいんですよそれで、ハルヒが神をノックダウンしたらタオルでも投げてやってください。 もう一人の傍観者、長門はハルヒではなく神の様子をじっと見ていた。 どうした長門? まだ何かあるのか? 俺が近づいても、長門の視線は神の動きに釘付けになっている。 長門? 「いけない」 神を見つめたまま、長門は答えた。 何がいけないんだ? 暴力か? そりゃまあ暴力はいい事じゃないが、あいつに同情はいらないぞ。 「彼を倒してはいけない」 神が動くのに合わせて、長門の瞳が細かく動く。 どうしてなんだ? まさか、あいつが居なくなったらこの世界が無くなるとかなのか? 「規模と力は限定されているものの、彼には涼宮ハルヒと同様の力があると考えられる。統合思念体は彼を新たな観察対象として 認定した」 ……その、認定されるとどうなるんだ? 「当該対象を観察し、情報を集める。また、当該対象に致命的な危害を加えようとする存在が現れた場合はそれを排除する。私の 担当は涼宮ハルヒ、遠からず統合思念体は彼を担当するインターフェースをこの場所に送り込む」 それってお前や朝倉みたいなのがここに来るって事なのか? 光の中に消えていったクラス委員の顔が記憶に蘇る。 長門はうなずき、そして続けた。 「新たなインターフェースの到着まで、私が彼を担当する」 ……それって。 「今よ古泉君!」 ハルヒのでかい声に振り向くと、とび膝蹴りが側頭部に決まり神が膝から崩れ落ちる所だった。間髪居れずに倒れこんだ神に 向かって飛んでいく赤い玉。 俺の隣で長門が何かを呟くと、赤い玉は急に進路を変えて地面に落ちてしまった。 「こら、ちゃんと狙って!」 起き上がる神に追撃しながらハルヒが古泉を指差して怒る、 「す、すみません」 頭をかきながら愛想笑いを浮かべる古泉は、そっと長門の方へ視線を送った。 古泉の顔に焦りが浮かんでいる、俺の顔にも浮かんでいるだろうな。 この世で最も敵に回してはいけない存在、長門が敵に回ってしまったのだ。 「この愚民どもめ……悔い改めよ!」 神は両手を広げて空に向かって何かを叫んだ。 見えない風圧のような何かが神から広がっていく、すぐ近くに居たハルヒは怯んだだけだったが 「きゃあ!」 「くぅっ!」 長門の傍に居た俺は影響を受けずにすんだが、朝比奈さんと古泉はその場に倒れてしまった。 「え、ちょっとみくるちゃん?古泉君?」 神に追撃してくる様子がないのを見て、ハルヒが倒れた朝比奈さんを抱き起こしに向かった。 となると俺は古泉か……。なんて残念がってる場合じゃない。 倒れたまま動かない古泉の元へ走り、背中に手を当ててゆさぶってみる。 おい古泉起きろ! 目を覚ませ! 俺が声をかけると古泉は目を開けてゆっくりと俺の手を掴んできた。 立てるか? 俺が引き起こそうと力を篭めると、逆に強い力でひっぱられて俺まで古泉の上に倒れてしまった。 って、何しやがる! 古泉は何故か俺の手を掴んだまま離そうとしない。 「意外ですね、貴方がこんなに積極的になるなんて」 妙に甘い声で古泉が囁く、っていうか囁くな気持ち悪い。 おい大丈夫なのか? 「ええ、僕はいつでもいいですよ?」 嬉しそうに古泉は俺を見つめている。 まて、これってまさか……。 「ちょっとみくるちゃん止めなさい!こら!そんなとこひっぱらないの!」 向こうでは朝比奈さんがハルヒの上に馬乗りになっていた。 「えへへ~抵抗しちゃだめですよぉ。さあ脱ぎ脱ぎしましょうね~」 とろ~んとした目つきで朝比奈さんはハルヒの服を脱がそうとしている。 「こらバカ! こんな事してる場合じゃないでしょ?! ちょっとみくるちゃん!」 2人とも混乱してるってのか? 「さあ、僕等も楽しみましょう?」 古泉の言葉の意味がやっとわかり、俺が本能的な恐怖を感じた時。 白く細い腕が古泉の額に触れて、そのまま古泉は意識を失って再び倒れる。俺の色んな意味での危機を救ってくれたのは、 無表情のまま俺達を見下ろす長門だった。 「わからない」 とにかく立ち上がり、まだ目を覚まさない古泉から俺は少し離れた。 何がわからないんだ? 古泉の今の言動の意味か? 頼むからそれは俺に聞かないでくれ。思い出したくも無い。 神の様子を確認してみると、ぶつぶつと何かを呟きながら自分の体についた砂や埃を念入りに落としているところだった。 「統合思念体との連結は依然限定的、指令は神と自称する男と涼宮ハルヒの情報収集、そして脅威の排除」 お前がわからない事を俺がわかるとは思えないが、それ以前に質問からわからんぞ。 つまりどうしろって言ってるんだ? 「涼宮ハルヒと神を自称する男、2人に対して危害を加える存在を排除する」 ハルヒに危害を加えるってのは神の事だろうが、神に危害を加えるってのはハルヒと……。 それって……俺達を……か? 長門は肯定しなかった、しかし否定もしなかった。 「その行動は涼宮ハルヒに極めて重大な影響を与えてしまうと考えられる。情報収集をする上でそれは避けなければならない。 でも、他に指令を遂行する方法が見つからない」 「……よくも、よくも万能の神であるこの我を地に這わせてくれたな……」 シルクハットを脱ぎ、髪型を整えてもう一度かぶりなおすと神はようやく落ち着きを取り戻したようだ。 くそっ! こっちは問題が山積みで忙しいんだ! もっとのんびり身なりでも整えてろよ! 「絶望という物を教えてやる……光、あれ!」 神が再び空に向かって何か叫ぶと、今度は視界が全て真っ白に覆われた。 目潰し? とにかく目を閉じてみた。 嘘だろ? それでも視界は真っ白なままだと? 「何よこれ? 何も見えないじゃない!」 ハルヒの声が聞こえるが、どこに居るのかすらわからない。 となると、俺達の中にはまともに動ける奴は一人も居ないって事じゃないか! 「せめてもの情けだ、何もわからぬままに殺してやろう」 神が何をしようとしているのか知らないがこのままじゃやられちまう! 焦る俺の手を冷たい誰かの手が握りしめる。 途端に俺の目に視力が戻り、目の前にはじっと俺を見つめる長門の顔があった。 ……助けてくれた……って感じじゃないな。 長門は俺の顔を見つめたまま、しばらくその場で立っていた。 そしておもむろに俺の腰に巻かれているホルスターから銃を取り出して、長門はそのまま銃口を俺へと向ける。 デジャブって奴か? かつて俺を殺そうとした同級生の言葉が思い出された。 『気をつけてね? いつか長門さんの雇い主が心変わりをするかもしれない』 朝倉の言葉は皮肉にも現実になっちまったわけか。 大人の朝比奈さんといい、長門といい、ハルヒの回りの人間が気をつけろって言ったら確実に危険が訪れるってのかよ。 長門は、いざとなれば俺がハルヒに「俺がジョン…スミスだ」と言う事を知っている。 そうなれば不確定要素のバーゲンセールだ、誰にも予想のできない未知の世界がくるんだろう。 だからこそ、長門にとって最大の不安要素は俺って事なんだよな。 無骨なマグナムは長門の細腕一本で支えられ、銃口は正確に俺の眉間を狙ったまま微動だにしない。 朝倉の時と違って動けないわけじゃないが、逃げようとか抵抗しようなんて考えは浮かばなかった。 それが無駄な事だってわかっていたし、これが俺の人生の最後だというのなら無表情な長門の顔を最後まで見ていたい。 長門の無機質な瞳に俺が映り、揺らいでいる。 ……揺らいでいる? 冷静で私情を挟まないというか、私情そのものが存在しないはずの長門はいつまで経っても引き金を引かないでいた。 俺をはじめて呼び出したあの日、長門は俺に自分の事を「この銀河を統括する統合思念体によって創られた、対有機生命体 コンタクト用インターフェース」だと説明した。 でも今、俺を見つめているのは誰だ? たとえ真実がどうであれ、俺には長門は大事な仲間だとしか思えない。 いや、俺にとって長門はそれだけの存在ではなく……。 俺の思考がまとまる前に、長門の目は閉じられ。 ――引き金は引かれた。 至近距離から自分に向かって発射された銃弾を見ることが出来る、そんな人間はこの世に居ないだろう。 万一居たとしても、高確率で死亡するだろうからやはりこの世には殆ど居ない事になる。 だが、俺の目の前で空中に静止しているのはどうみてもマグナム弾で、それはそのまま動こうとしない。 「通信情報連結。解除」 目を閉じたまま動かない長門が呟くと、マグナム弾は重力に従ってその場に落ちて乾いた金属音を立てた。 その音が合図だったかのように、長門の手に握られたマグナムが光に包まれて姿を変えていく。 数秒後、光は縦に伸びて一本の剣が長門の手に握られていた。 剣の刃は透明なガラスの様なもので出来ていて、刃の向こうには目を閉じたままの長門の顔が見える。 長門。 俺に名前を呼ばれて長門は目を開き剣を下ろすと、俺の手を取り剣を渡した。 この行動はさっきまでの長門の話からすれば、多分命令違反とかになるだろう。 いいんだな? 長門は俺の顔を見つめたままうなずく。 俺は空いている手で長門の頭を撫でてやった。 少しうつむいて、不思議そうな顔で長門はされるがままになっている。 いつもすまないな。 俺に撫でられながらも長門は横に首を振る。 しばらくの間、俺は長門の柔らかな髪を撫でていた。 覚悟を決めた俺が向き直ると、神は両手を空にかざしていて、その真上には巨大な赤い玉が出来上がっていた。 かなり上空に浮いているはずなのに、多少熱を感じる気がする。 太陽でも作ってるのか? あんなもんぶつけられたら即死だな。 そう思いながらも俺は何故か冷静になっていた。 おい! 俺は神に向かって怒鳴った。 その声に神に届いたようだが、意にも介さずにそのまま赤い玉を巨大化させていく。 やるしかない、俺は長門にもらった剣を握り神に向かって走り出した。 「ガラスの剣か……私が創った武器の中では最強の物だ」 視線だけを俺に向けながら神が呟く、 「だが、私が創った武器では私を傷つけることはできない……それくらい学習したらどうかね?」 知るかそんな事。 これで駄目なら全滅だろうが……俺にできるのは長門を信じる事だけだ! 「無駄なことを……」 加速した勢いそのままに飛び上がり、真正面から剣を振り下ろす。神はその様子を冷めた目で見つめていた。 その時、離れた場所で長門は呟いていた。 「アイテムコード、ガラスの剣のデータを置換」 俺の手に握られた剣が、再び光に包まれる。 「な………」 姿を変え、騒音を撒き散らしながら俺の手に握られていたのは、 「データ修正完了」 それは武器だと言うのもおこがましい大工道具、チェーンソーだった。 振り下ろそうとしていた動きはそのまま止まらず、驚いた顔のまま固まっている神にチェーンソーは振り下ろされる。 回転するチェーンが神に触れた瞬間。 まるで霧に突風が吹き込んだかのように神の体は四散していき…… ――かみは バラバラになった たった数秒の対峙で、世界をもてあそんできた神は何の痕跡も残さず消え去ってしまった。 やっちまったぜ……。 俺は振動を続けるチェーンソーを地面に落ろし、自分もその場に腰を下ろした。 今度こそ終わり、だよな。 もう戦闘なんてこりごりだ。 チェーンソーのエンジンも止まり、神が消えた空間は何の音もせず静寂に満ちている。 ――こんな場所で一人で居たらおかしくなるのもわかる気がするぜ。 俺は、ここまでじゃないにしろ殺風景な場所に住んでいる同級生へと視線を向けた。 「‥‥」 視線の先に居る長門はじっと俺を見つめ返してくる。 終わったぜ、長門。 「これからどうするんでしょうか?」 朝比奈さんがハルヒに肩を貸しながら俺のそばへとやってきた、どうやら正気に戻っているらしい。 ……そうですね、どうしましょうか。 俺は答えられないまま、とりあえず立ち上がった。 ハルヒは朝比奈さんにつかまって立っているが、まだ目が見えないのか視点が定まっていない。 「ねえキョン、そこに居るの? 神は?」 これは長門に頼んだ方がよさそうだな。 ああ。神は俺が倒したよ。 「あんたが?」 何で不満そうなんだよ。 俺は長門を呼んでハルヒの事を頼み、神の座っていたテーブルへと歩いていった。 テーブルの上には透明の水晶がいくつも並んでいる。 その表面には何も映ってはいない。 ……こんな小さな画面に映る世界を見るだけがあんたの楽しみだったのか。 神が作った世界は全てが神の思い通りになるんだとしたら、神にとってそれは退屈な世界でしかなかったんだろうな。 だからわざと壊したり、自分の意のままにならない存在を望んだりしたのか。 戦闘中は気づかなかったがテーブルの向こう側には真っ白な壁があり、そこには扉が見える。 テーブルに近づく足音に振り返ると、古泉だった。 ……見た感じ正気に戻っているようだが安心はできない。 身構える俺の隣に立ち、 「この向こうにも別の世界があるんでしょうか?」 壁の扉を指差して古泉が聞いてきた。 さあ、どうだろうな? もしかして楽園ってのがあるのかもしれないぞ? 試しに行ってみたらどうだ? 「僕はどちらでもかまいませんよ。万一この世界から出られないのであれば最低限の生活環境は確保しなくてはいけませんしね」 本気か冗談なのかわからない、いつもの口調で古泉は答えた。 そうかもな。でも、新しい世界を探さなくてもここも結構いいとこになったんじゃないか? 世界中のどこを探しても、朝比奈さんのそっくりさんが2人も居る場所なんて無い。 「そうですよね。悪い人はみんなやっつけちゃいましたから」 元気になったハルヒと長門を連れて、朝比奈さんもテーブルまでやってきた。 神に阿修羅に四天王。 この世界を支配していた存在は全部倒してしまった事になる。 ようやく目が元に戻ったのだろう、長門と一緒にハルヒが歩いてくる。 「ねえキョン、あんたはこのゲーム面白かった?」 水晶の一つを手に取り、覗き込みながらハルヒが聞いてきた。水晶の中で反転したハルヒの顔を見ながら答える。 それなりに、な。でもまあ所詮ゲームだ。 いつも巻き込まれてる不思議な出来事に比べればどうってことない。 「ふ~ん」 水晶をテーブルに戻し、ハルヒは俺達の前を通り過ぎて扉へと向かって歩いていく。 扉の前に立ったハルヒは、俺達を振り返った。 「行きましょう」 ハルヒの顔には迷いは無い、聞いても無駄だが一応聞いてやろう。 「何処へでしょうか?」 「何処へですか?」 何処へだ。 俺達の声が重なる。 我らの女神はいつものように胸を張り、満面の笑顔で宣言した。 「私達の世界へ!!」 そしてハルヒが扉を開き、隙間から溢れ出した光がその顔を照らす……。 「おい!誰か中に居るのか?」 乱暴にドアを叩き続ける音が狭い室内に反響する。 突然暗闇が視界を覆い、それが自分がヘルメットをかぶっているからだと気づくのにしばらく時間がかかった。 その間も苛立たしげなノックはエンドレスで続いていて、俺は慌ててヘルメットをテーブルに置いてソファーから飛び起きると ドアの鍵を外した。 扉を開けると、狭いブースの通路に知らないおじさんが立っている。 「あんた、いったいどこから入ったんだ?」 作業服に身を包んだおじさんは、俺の顔を見て不審そうな顔をしている。 えっと、入口の自動ドアからなんですが……。 「ああ、だから入口が開いてたのか。誰だ鍵を開けたままにしたのは……すまんがオープンは来週の日曜だ、また出直してきてくれ」 おじさんは俺を部屋の外へ追い出すと、部屋の中に色んな工具を運び込み始めた。 ……改めて自分の姿を確認してみる。 朝比奈さんに貸したはずの上着はちゃんと着ているし、ハルヒの力に負けて飛んでいったはずのボタンも全部付いている。 腰にはホルスターも当然銃もない。まあ、あったらあったで困るが。 ……ちゃんと現実に戻ってこれたって事か?それとも全部夢だったのか……? 俺ははっきりしない頭を振りながら、みんなを起こすために順番にドアを叩いていった。 全員が揃ってブースから出てみると、ゲームセンターの中には作業服に身を包んだ人が大勢溢れていて配線や機械の設定の 最中だった。 どうみても今日オープンって感じではないぞ、これは。 「なんで? オープンって今日じゃないの?……あれ? チケットって誰が持ってたっけ?」 ポケットを探すハルヒに長門が5枚のチケットを差し出した。 ハルヒはそれを受け取り、日付を確認してみる。 ……あの世界はやっぱり現実だったのか。 ハルヒが持つチケットの裏には、大陸世界で別行動する時に書いたマークが残されたままだった。 「来週じゃないのこれ!」 怒りにまかせてチケットを押し付けられた俺は、ハルヒがマークに気づかないようにそっと自分の上着にそれをしまった。 間違えた俺達が悪いんだ。とりあえずここを出よう、仕事の邪魔になってる。 俺の言葉を待っていたかのように、ブースの前に立つ俺達を押しのけるように大きな看板が運び込まれてきた。 看板には大きく「魔界塔士SaGa」と書かれている。 「ふ~ん……」 ハルヒは看板をしばらく見ていたが、やがて興味を無くしたのか出口へと歩いていった。 朝比奈さんが着替えを終え、俺達がゲームセンターから出た時にはすでに夕方を過ぎていた。 「……すみません、バイトが入ってしまいました」 外に出た途端、古泉がそう切り出した。 見るからにハルヒは不機嫌だからな、まあがんばれ。 「え~? ……古泉君はバイトだしもうこんな時間だし今日は疲れたし……今日はもう解散ね」 携帯電話を見ながらハルヒが愚痴った。 お前でも疲れるって事があるんだな。 解散と言って駅まではどうせみんな一緒に行くことになる。ハルヒについて長門と朝比奈さんが歩いていき、俺もそれについて 行こうとすると、 「よかったらご一緒しませんか? 今回のバイト先へ行く途中で貴方の家の傍を通りますので」 わざわざ俺だけを誘うって事は何か意味があるって事か。 俺は長門に古泉と一緒に帰る事を伝え、むかつくほど都合よくやってきた黒いタクシーへと乗り込んだ。 「今回は誰の仕業だったんだ?怒らないから言ってみろ」 俺の不機嫌な視線を受けながら古泉はいつもの笑顔で前を見ている。 「僕は最初、機関のメンバーの暴走。そう考えていました」 考えていました。って事は違うのか? 「ええ、残念ながら。確認してみましたがそのような事実はありませんでした」 いつ、どこで確認したっていうんだ? ……それはいいとして、 残念ながらってのはどーゆー意味だ? まさかお前、神になりたいなんて思ってるのか? 「今回のような力を持つ者が我々の機関に居れば、万一の時の切り札になるでしょう?我々には貴方のような切り札はありません ので」 何の事だ? 古泉の想像している切り札と、俺の持つ切り札は違うだろうがわざわざ教えてやる義理はない。 「ご想像にお任せします。さて犯人について、ですが」 知ってる事は全部話せ、知っていても何もできんかもしれんが心の準備はできる。 ついでに言えば、逃げ出す事もできなくもないかもしれんからな。 「長門さんでも朝比奈さんでもなく、涼宮さんも直接の原因ではなかったようです」 ……じゃあ誰だよ。 新たな人物の登場か? できれば常識のある人でお願いしたい。 「僕が以前、神の定義についてお話したのは覚えておいでですか?」 ああ、前にタクシーで聞かされたあれか。 残念ながら覚えておいでだ。 自らの意のままに世界を作り変えるような存在、などという妄想のことだよな。 「ではお聞きします。貴方も見たあの男性、彼は神と呼ぶべき存在だったでしょうか?」 シルクハットをかぶり、俺達を欺いてきたあの笑顔を思い出す。 いいや。 あんな奴が神様でたまるかよ。 面白半分に世界を壊すなんてのはテレビゲームの中だけにしておけってんだ。 「そうでしょうね。人間は神には自分達を庇護する親のような存在であって欲しいと願っているのでしょうから」 まるでお前が人間じゃないみたいな言い方だな。 天使なら朝比奈さんだけで十分だ。 「僕から見ても彼は神と呼ぶには身勝手過ぎました。涼宮さんが力を自覚したとしても、ああはならないでしょうね」 まだハルヒが神様だとでも言いたいのか? 「話が逸れました、ここから先は僕も聞いた話なので直接本人からお聞きになるといいでしょう。さあ、着きました」 俺の家まで送るとか言っておいてどこに運んでいるかと思えば……。 タクシーの窓から見える見覚えのある建物、それは長門の住むマンションだった。 まあいい、長門には色々聞いておきたい事がある。 俺は料金を支払う事無くタクシーを降りた。メーターが動いてすらいなかったからだけどな。 運転手も何も言わないでいる所を見ると機関とやらの一員なんだろう。 どうみても普通のドライバーにしか見えないが、閉鎖空間では赤い光に包まれて神人相手に戦っているのかもしれないな。 ……ゲームの世界よりも、むしろ現実世界の方が現実離れしてる気がしてならないのは俺の気のせいなのか? 「ではまた、部室で」 後部座席の窓を下げ、古泉は笑顔で手を振っているが……。 おい古泉。 一つ確認しておきたい事がある。 「なんでしょうか?」 ゲームの世界で、神の力でお前が混乱した時の事なんだが。あの時の事は覚えているのか? 意味深な笑みを浮かべながら、 「忘れられそうにありませんね」 寒気のするウインクを残して窓を閉めると、古泉を乗せた謎のタクシーは走り去った。 犯人は長門でも朝比奈さんでもなくハルヒでもない……まさか、俺だとか言うなよ? まあいい、ともかく長門に話を聞こう。 俺がマンションの入口に向かうと、暗証番号のパネルの前に立つ無表情な女子高生の姿があった。 こちらに無機質な視線を向けているのは、言うまでも無く長門有希。 どうやってタクシーよりも早くマンションまで戻ったのか? なんて事は聞いても無駄だろう。長門がその気になれば、距離も時間も関係無いんだろうし。 話を聞かせてくれるんだよな? 俺の言葉にうなずき、長門は暗証番号を入力してマンションの扉を開いた。 長門のマンションに入るのはこれで何度目になるんだろう? 一人暮らしの女の子の部屋を夜に何度も訪ねる俺の姿は、監視カメラの向こうではどんな風に見えているんだろうな。 恋人? 友達? それとも近所に住んでいる家族とか。 まあ、宇宙人に怪奇現象の発生理由を聞きに行ってるとか、過去に閉じ込められたので未来に帰る為の方法を聞きに行っている とか、暴走女を監視している事を打ち明けられに行っている等と想像できるような奴が居たなら即、SOS団に勧誘だ。 そんな妄想を広げながら現在の階数を表示するパネルを見ていると、目的の階に到達しエレベーターは停まった。 長門の部屋は以前見た時と同じで殺風景だった。 家具らしい家具は以前とかわらずコタツくらいしかない。 ある意味清清しいとも言える。 エアコンがついてるから暖房は大丈夫か、カーテンがないから非効率だな。 冬を目前に控えた宇宙人の暖房対策を確認していると、台所から長門がポットと茶器セットを持って戻ってきた。 電源コードの無いポットか、懐かしい物を持ってるんだな。 長門がお茶を準備し始めるのを見て、俺もコタツを挟んだ向側に座った。 俺の視線を気にする事無く、長門は黙々と急須にお湯を注いでいる。 古泉には先に犯人を教えたんだってな? 俺の質問には答えず、長門は湯飲みにお茶を注いで俺の前に置くとそのまま固まってしまった。 そのまま無言の時間が経過する。 ……お茶を飲むまでは質問には答えないつもりか? 宇宙人にはどんなルールが存在するのか知らないが、とりあえず俺は湯気を立てている湯飲みを手に取りそっとお茶をすすり 飲んだ。 もしかしたら、飲み干したらお代わりを注ぐのが長門の流儀なのかもしれない。 お茶を飲みながらそう考えた俺は、半分ほど飲んだところで湯飲みをコタツの上に戻した。 ……よし、お代わりは来ない。 俺が湯飲みから手を離すと、それに連動したかのように長門の手が急須に伸びた。 待て、お代わりが欲しいんじゃないんだ。 あまりここでのんびりしてると帰る方法がなくなる。今日は自転車で来ていないんだ。 犯人はいったい誰だったんだ? 頼む、俺を指差したりするなよ? 「犯人という言葉に該当する者は居ない」 ……自然現象だったって事か? 「その表現でも間違いではない」 なるべく簡単に説明してもらえるか? そしてできれば手短に頼む。 「涼宮ハルヒは神の存在を認めていない、しかし神という存在が持つであろう力は想像している。その力は自らの思うがままに 世界を作り変える力。彼女の力は神という存在にそんな力を与えた」 与えたって……。 神様なんていないんじゃないのか? 「確認されてはいない」 まあ、そうだけどさ。 悪魔の証明みたいなもんで、居るという証明ができなければ存在しないって事にはならないのか? 「殆どの人間はそう考え、同時に存在していて欲しいとも願っている」 確かに……。 「そんな不確定な筈の存在でしかない神を、大勢の人間が一つのイメージで認識するゲームが存在した。そのゲームは100万人 以上の人間がプレイし、結果多くの人の認識の中で神は一つの形になった。それが、彼。三年前のあの日、惑星レベルの 情報フレアの中で涼宮ハルヒの認識に従い、多くの人間の中で「神」と認識されていた彼もそれなりの力を手に入れた。ゲームの中 の彼は退屈していた、自分の想像するストーリーを超えるような冒険者がいつまで経っても現れなかったから。彼は自分を心から 楽しませるような存在が現れる事を願った」 ……でも、それは所詮ゲームの中の神様なんだろ? それがなんであんな事になったんだ? ゲームの世界に引き込まれるなんて事が起きたら、普通は失踪事件とかになるだろ。 「統合思念体は彼とコンタクトする事を望んだ。しかしゲームという制約の中の彼からは有益な情報は得られなかった。急進派は 彼に暫定的に現実世界に対して干渉できる力を与えた」 ……って事は何か? お前の上司の誰かが、ゲームの中の神様に余計な力を与えたって事か? 俺の質問に長門はうなずいた。 ……もしかして、その急進派ってのは朝倉を送ってきた奴と同じ奴か? それなら一発殴ってやらないと気がすまない。 「力を得た彼は自分が望むような存在が現れるのをじっと待った。その条件に適合したのは、涼宮ハルヒ」 あいつは予想の斜め上を行くのが基本だからな、製作者としては見ていて飽きないだろうよ。 じゃあ、お前があのゲームに興味を引かれたってのは 「ゲームから涼宮ハルヒの力に近い何かを感じた」 ……やれやれ、意思があるだけハルヒの描いた絵よりも性質が悪いぞ。 それであいつはどうなったんだ? またこんな事が起きたりするのか? 長門は首を横に振る、神のその後については長門は答えようとしなかった。 まあ、同じような事が起きないならそれでいいさ。 なあ、ここからは秘密の話なんだが。 まて、秘密の話をするにしても、だ。 ……俺がここで話す言葉ってのは統合なんとかってのにも聞こえてるのか? 「手に入れた情報は統合思念体に全て報告している」 そうなるとまずいな……。 それってなんとかなるか? 内緒話というか秘密の話をしたいんだが。 俺の言葉を聞かれても、長門は何故かすぐには答えてくれなかった。 まずい事をいったのか? と俺が思い出した頃になって、 「秘密にする」 長門はそう呟いた。 俺はコタツの向かいに座る長門の目を見ながら話し始める。 ……俺を殺さなくて大丈夫だったのか? 俺の言葉に長門は何も反応を示さなかった。 お前の上司は、あの場所に居たハルヒと神以外の存在を消せって言ってたんだろ? それなのに俺の手助けをしちまったら 色々大変なんじゃないのか? 今度は返事があった。 「大丈夫」 本当か? どう考えてもまずいと思うんだが……。 「あの時、情報連結は不安定な状況だった。貴方を殺害する為に発砲した直後に「連結は完全に途切れてしまった」事にした。 神が貴方によって消去された事は統合思念体に報告していない。ゲームセンターに戻った後、ゲームの世界に入る前の状態まで 情報を改竄。情報連結を復元して、涼宮ハルヒは現実に戻り神は消滅した。と事後報告した」 よくわからんが……つまり誤魔化したって事か? 長門はあっさりとうなずいた。 それってばれたりしないのか? まあ、お前が本気で誤魔化そうとすれば普通は誰も見破れないと思う。 でも相手はお前の上司なんだろ? 色んな可能性を考えているのか、しばらく沈黙した後に 「貴方が、秘密にしている限り」 長門は、そう付け加えた。 何故かはわからないが、長門は聞かれるまで黙っている事はあっても俺に嘘をつかないと信じている。 だからこの時も俺は長門の言葉をそのまま信じる事にした。 じゃあ2人だけの秘密だな。 俺はテーブルの上に右手の小指を差し出した。 長門は指の先を見てじっとしている。 ああ、知らないのか。 長門、右手の小指を出せ。 言われるままに差し出された長門の細く小さな小指に、俺の小指を絡ませた。 軽く手を上下してみたが、長門はじっとされるがままになっている。 これは、約束を守る時にする御呪いみたいなもんだ。 万能元文芸部員は不思議そうな顔で、俺と絡ませている自分の小指をいつまでも見つめていた。 涼宮ハルヒの欲望 Ⅴ ~終わり~ その他の作品 ~後日談~ 週明け、これからはじまる一週間を考えていつもなら軽く憂鬱になるはずの登校中、俺はそれなりに機嫌が良かった。 平凡な日常に戻れたという事実、それだけで幸せを感じられる程に昨日の出来事は非日常過ぎたからな。 「おい~っす、なんか機嫌いいな?」 俺の肩を叩く谷口にも笑顔を返してやれるほどに俺は寛大な気持ちになっている。 たまにはのんびりした日常もいいもんだって思ってな。 「あ? 何言ってるんだお前。変な物でも食ったんじゃねえのか?」 気にすんな。 もしかしたら、こうして俺がのんびり歩いている間にも東京は朱雀に襲われているのかもしれない。 でもまあその時はその時だ。 昨日の俺達がいずれなんとかしてくれるだろうさ。 「……おい、本当に大丈夫か?」 薄く曇った灰色の空を見上げて微笑む俺を、谷口は不審そうな顔で見ていた。 いつもの教室、いつもの机。 「おはよう」 いつもの俺の後ろの席。ハルヒがそこに居た。 今日はちょっと変な顔をしている。 何か言いたそうな、言ったらばかにされそうな、でもいいから聞きなさいよと言いたげな……とまあそんな顔だ。 どんな顔だそれは、と言われれば迷わず俺を見上げるハルヒの顔を指差してやろう。 おはよう、今日も早いな。 月曜の朝にそんなに早く登校できる理由を教えて欲しいね。 席に座った俺にハルヒが詰め寄ってくる。 「あのさ、昨日のあれだけど……あれって本当にゲームだったの?」 ……。 ゲームをクリアして現実に戻れたらこいつをどうやって誤魔化そうか、阿修羅と戦うまでの俺はそればかり考えていた。 しかし、エンディングかと思ったら製作者が登場して戦闘になり古泉と朝比奈さんは混乱して、長門は寝返るしお前は 目潰しくらっちまうという状況で……言い訳はよそう、忘れていた。 「なんか釈然としないのよね……リアル過ぎたっていうか。説明できない事ばっかりだったもの」 さ、最近のゲームは凄いからな。 あまり余計な事は言わないほうがよさそうだ。 「……」 当然ながら俺の苦しい言い訳では納得できないらしい。 ハルヒ。 あれがゲームかどうかはおいといて、だ。 「何?」 俺が気になってるのはそこじゃなくて、お前の考え方なんだよ。 お前、誰かに決められたストーリーのゲームと、誰にも予測ができない現実ではどっちが面白いと思う? ハルヒの顔が当たり前でしょ?と言いたげな顔に変わる。 「そんなの、現実に決まってるじゃない」 そうかい、それならいいんだ。 俺は安堵しながら視線を黒板へと戻した。 「なによそれ」 お前が「ゲームの世界のほうが面白い」なんて認識になってないか不安だったんだよ。 放課後、掃除当番を終えた俺は朝比奈さんにも今回の事情を話しておかないといけないな~等と考えながら部室へと向かった。 別に長門に直接話してもらってもいいが、朝比奈さんは長門と2人っきりになるのはまだ怖いみたいだから俺が行くしかないので あろう。無論、せっかく朝比奈さんと2人っきりでお話できるチャンスを古泉にくれてやる気など欠片もない。 「ど~ぞ~」 元文芸部の扉をノックするとハルヒの声が返ってきた。 扉を開くと、部室にはPCの前に座るハルヒとその後ろに立つメイド姿の朝比奈さんが居た。 古泉が居ないのはよくある事だが、長門が居ないってのは珍しいな。コンピ研にでも遊びに行ってるんだろうか? 「ねえキョン、昨日転送したはずのみくるちゃんのコスプレ画像が届いてないのよ。あんた知らない?」 ハルヒが睨みつけるモニターを見てみると、メールの受信箱に未開封のメールは無く、既読にもそれらしいメールは無かった。 お前が送信先アドレスを間違えたんじゃないのか? 「そんなはずないんだけど……おかしいわね」 リロード繰り返したりごみ箱を確認したりしているハルヒの後ろで、朝比奈さんは苦笑いを浮かべている。 まさか、朝比奈さんがお昼休みに部室に来てこっそり削除しておいたとか。 俺の思考を読んだのか、朝比奈さんが慌てて口元に人差し指を立てる。 あらら、正解ですか……そうですか……。 俺は落胆する本音を隠しつつ、ハルヒにはばれないように朝比奈さんを真似て口元に指を当てた。 後でコンピ研の部長氏の所に行ってみよう、削除されてしまったデータの復元方法を知っているかもしれない。 小さな音を立てて扉が開き、無言のまま部室に入ってきたのは長門だった。 いつものようにハードカバーの並んだ本棚から迷う事無く読みかけの本を取り出し、定位置の窓際の椅子へと歩いていく。 「お茶、入れますね」 朝比奈さんが茶器セットへと向かい、長門はしおりを挟んだページから読書を再開する。 ハルヒはまだPCと格闘中だ。壊すなよ? その内古泉の奴も来るだろう――俺はいつもの日常が完全に戻った事を実感しながら自分の席へと戻った。 パイプ椅子に座り、朝比奈さんのお茶を待つこの時間こそが幸せってもんさ。 モニターを睨んでいたハルヒの視線が俺の方を向いている事に気づいてしまったが、気づかない振りをしておく。 ……どうせすぐに非日常になるんだろうけどな、それまではこののんびりとした時間を楽しませてくれよ。 「はい、お待たせしました」 優しく微笑みながら朝比奈さんが、いつものようにお茶を持ってきてくれた。 やはり朝比奈さんに一番似合う服装はメイド服だと確信せざるをえない。 お茶配ったのは俺が最後だったので、空になったお盆を持ったまま朝比奈さんは感想を待っている。 「ありがとうございます。美味しいですよ」 俺のありきたりな言葉に嬉しそうに微笑みながら、朝比奈さんは茶器セットを片付けて俺の向かいに座った。 どうかこんな幸せな日常が少しでも長く続きますように……。 神様はバラバラにしてしまったので、俺は代わりに目の前に居る可愛い天使にそう祈った。 「あ、キョン君。ちょっと見て欲しい物があるんです」 そう言って朝比奈さんがいそいそと鞄の中から取り出したのは、小さな半透明のケースに入った灰色のゲームソフトだった。 「懐かしいですね、ゲームボーイのソフトじゃないですか」 「え?なんですかそれ」 そうですか、ゲームボーイを知らない年代ですか……って貴女は俺より年上なんですけどね。 「昨日、家に帰ったら鞄の中にそれが入ってたんです」 どうやら箱と取扱い説明書は無いらしい。 タイトルを見ようとソフトを手に取ると、俺の肩越しに顔を出したハルヒがそのまま持ち去っていく。 「SaGa2秘宝伝説……。キョン、これってもしかして昨日のゲームの続編?」 ハルヒは俺の肩を掴んで揺さぶっていたが、俺は中々振り返る気になれないでいた。 涼宮ハルヒの欲望2 へ?
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涼宮ハルヒの切望Ⅱ―side H― キョンが欠席した翌日。 今日もあいつは欠席していた。 ただ何かが違う。 岡部は今日も「家の都合」って言った。 でも詳細は教えなかったんだから。 よく考えたら昨日はあたしも頭に血が上っていたのか、もう一つ欠席表現としての言葉を思い出した。 もし親戚に不幸があったなら『忌引き』って言うはずよ。 それが無かったということは答えは一つしかない。 と言っても、まだこれは憶測の域を出てないから軽はずみなことは言えないんだけどね。 あたしの昨日までの怒りは完全に収まってたわ。 ううん。そんな状況じゃなくなった気がする。 そんな疑心暗鬼のまま、一日は過ぎ去り、そして放課後。 あたしはいつものように部室へと向かう。隣にあいつがいないことになんとなく隙間風を感じてしまっていることは自覚しているわ。 んで否定する気もない。 そりゃそうでしょ? 犬だって三日飼えば情が移るんだから。 それが三日どころか一年以上、隣にいたんだし、それが当たり前だと思っていたから寂しくなって仕方がない。 あ、言っておくけど、これがキョンじゃなくてみくるちゃんや古泉くん、有希が傍にいなくなっても同じ感情を抱くわよ! 絶対に勘違いしないように! って、あたしは誰に何を言っているのかしら。 などと考えながらあたしは部室のドアをくぐる。 「お待たせー! キョン以外のみんな! いる!?」 キョンが居ないことでみんな気にしてたみたいだから少しでも明るい雰囲気を作らないとね。てことで、あたしは努めて明るい声を張り上げたわけだけど。 「ハルにゃん!」 って、え!? まったく予想していなかった泣き叫んでいるような幼い声を耳にして、あたしは思わず素っ頓狂な表情を浮かべてしまったの。 ちょっと待って……今の声は…… 「妹ちゃん!?」 「ハルにゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!」 あたしが目を丸くして呼びかけると同時にキョンの妹ちゃんが泣きながらあたしにむしゃぶりついてきた。 いったい何がどうなって……? あたしの胸の中で泣きじゃくる妹ちゃんの様子にどうやらあたしの疑念は確信に変わってしまったらしい。 自分でも分かる。 周りの世界がどこか遠くなって、色彩が薄れていく感覚に包まれて―― キョンに……何かあった…… 茫然自失と立ち尽くすあたしの頭の中はそのフレーズをリフレインするのみになってしまった…… 「えっとね……ひっく……あのね……ひっく……おとといの日曜日にね……ひっく……」 妹ちゃんはみくるちゃんの腕の中で、泣きじゃくりながら語り始めていた。 「家に着いたらね……ひっく……真っ暗で……ひっく……でも鍵がかかってなくて……」 「鍵がかかってなくて真っ暗、ですか?」 「う、うん……」 古泉くんの神妙な確認に、まだ震えながら頷く妹ちゃん。 そうね……あたしも今、まだ茫然としているし、ここはみんなに任せましょう…… 「それでね……ひっく……キョンくんのお部屋に行ったらね……ひっく……誰もいなかったの……」 「妙ですね」 「でしょ……」 「で、今日まで彼から連絡もなかったということですか?」 「そうなの……うっうっうっ……」 それっていったい…… 「ハルにゃぁぁぁぁぁぁぁん!」 ととっ! 今度はあたしにむしゃぶりついてきたし! 「SOS団って不思議を探し出すところなんでしょぉ! いきなり消えちゃったキョンくんって不思議だもん! だから、キョンくんを、キョンくんを探してよぉ! お願いだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」 あたしの胸の中で泣き叫ぶ妹ちゃんの気持ちはよく分かる。 今の話をそのまま信じるならキョンが日曜日の時間は不明だけど、その日から消息不明になっているってことだから。 でも……なぜ……? しばし、あたしの胸でむせび泣いていた妹ちゃんが静かになったと思ったら―― ん…… そっか、泣き疲れて寝ちゃったんだ…… 優しく頭をなでてあげる。 と、妹ちゃんは一瞬、びくっと震えて、またすすり泣く声だけが聞こえてきた。 キョンの夢でも見てるのかしら…… などと、あたしもどこか物哀しげになってくると、 「わたしは明日、明後日とSOS団の活動を休止する。許可を」 うわ! 顔近いし有希! 息もかかる! って、そうじゃなくて今何て? 「彼を探索するため、わたしは情報統合思念体にアクセスし、この惑星のみならず銀河系規模で捜索する。そのためには二日から三日ほど必要であり明日と明後日、学校に来ることも不可能。だからSOS団活動の休止の許可を」 銀河規模でキョンを探す!? ちょっと! なんたってそんな大事になるのよ!? 思わずあたしは聞き募っていた。 ん? 有希が宇宙人ってことなら知ってるわよ。正確には宇宙人が造り出した対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイス、だったかしら? つい最近、ちょっとした……じゃないわね、かなりの大きくて衝撃的な出来事があって、その時にキョンが有希が宇宙人だって教えてくれたの。あとキョンがジョン・スミスでみくるちゃんが未来人ってこともね。しかもその言葉に嘘がないことの証言もあったし信じるしかないってもんよ。んで、その衝撃的な出来事の時に異世界人で『魔法』という名の超能力を振るう存在にも出会ったんだけどそれは別の話。 今はもっと重要なことがあるし。 すなわち―― キョンを探し出す―― 「昨夜、情報統合思念体から連絡があり、彼がこの惑星外へ飛ばされた可能性がある、と報告を受けた。むろん杞憂かもしれないが確かめる必要はある。そうなると銀河の広さを鑑みれば二日から三日は捜索期間として妥当」 何ですって!? 「杞憂かもしれないと言ったはず。だから、あなたたちはこの地域を捜索してほしい」 ええっと……何か一足飛びどころか、百足も千足も、と言うよりそれ以上ははるかに飛んでる気がする想定なんだけど…… しかし、あたしの苦笑を浮かべた困った表情は有希の真摯な両眼に迎撃されてしまい、 そ、そうね……宇宙規模となれば有希以外誰も何もできないでしょうけど…… 「わ、分かった。有希は明日と明後日、団活を休んでいいからね」 苦笑のまま不承不承に頷くあたし。 「感謝する」 有希が深々と頭を下げた。 「もう一つ確認したいことがある」 って、また顔近いし! 「あなたは仮に彼がこの惑星外に強制送還されたとしても生きていると思う?」 そんなあたしの焦りを無視するがの如く、有希は何でもないような顔で聞いてくる。 ……? 何、今の質問。んなの答えは決まってるじゃない。 「もちろん生きているわ。ヒラで雑用のあいつの生殺与奪の権限はあたしが持っているんだから。それがたとえ宇宙空間だろうと生きてなきゃ許さないわよ」 「それを聞いて安心した。これでわたしも希望を持って創作……もとい、捜索できるというもの」 何で言い直したのかしら? 「単なる言語表現の間違い。深い意味はない」 本当に? 「嘘つく意味もない。わたしという個体も彼のオリジナルが戻ってきてほしいと望んでいる。わたしだけでなく、あなたはもちろん、古泉一樹も朝比奈みくるも」 「分かった。じゃあしっかり探してきてね。あたしたちもこの辺りはくまなく探すから」 「了解した」 あたしが了承すると同時に、有希は颯爽と部室を後にする。 その後ろ姿を見送って、 頼んだわ……有希…… 妹ちゃんを抱きかかえたまま、あたしは、自分では気付けなかったけど、悲壮感漂う表情で有希を見送っていたらしい。 涼宮ハルヒの切望Ⅲ―side H― 涼宮ハルヒの切望Ⅱ―side K―
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前:お絵かきBBS/お絵かき掲示板ログ/2837 次:お絵かきBBS/お絵かき掲示板ログ/2887 2837の続きと言うことで。アラレちゃん式のメンテだって社長にはお茶の子さいさいさ☆ -- のん (2008-07-23 11 59 46) 岩男への反応これかいw でもメンテナンス中の訪問って何かエッチだ……サーセンorz -- 名無しさん (2008-07-23 12 08 26) 岩男をメンテしてくれるとは…意外といいとこあんな社長w -- 名無しさん (2008-07-23 12 15 16) なのはが昇天してるww -- どっとあーる (2008-07-23 12 24 07) 恐い話を聞いたりした後はささいな事でもビビる様になるんだよねw -- 名無しさん (2008-07-23 15 54 31) びびるみんながかわいいな。確かに生首がしゃべるとやつらはビビる!私もビビる! -- 名無しさん (2008-07-23 18 58 38) これなんてあられちゃん? -- 名無しさん (2008-07-23 19 12 32) 社長は岩男の意識を落としてからメンテナンスするべきだったな。しかしそれにしても放心なのはかわええ -- とおりもん (2008-07-23 19 26 33) このなのはは絶対漏らしてるwwwwwwwwww -- 名無しさん (2008-07-23 20 43 50) 恐怖してる4人がカワイイww ビビりすぎだw -- 名無しさん (2008-07-23 20 50 28) 名前 コメント
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ここにはシュールな短編を置いてください 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 涼宮ハルヒのウイルス トライフリング・コーダ 長門有希の1日 もしもハルヒがゲームだったら 涼宮ハルヒのネットサーフィン 巨人の☆ 環 涼宮ハルヒの憂鬱?パロ フルーチェネタ 長門有希と愉快な獣達 バレンタインカオス 涼宮ハルヒの脱毛 ハルにゃんが大王 黒古泉 ナガえもん キョンのあだ名を考える 朝倉涼子の弁明 不条理日記 痔ネタ 手紙ネタ クイズ みくるの観察日記 モニタリング ピューと吹く!ハルヒ ミルキーウェイ 人生計画 長門とジャンプ感想文 門番の憂鬱 ドッキリ エビオスで精液ドバドバ キョンの性癖 オドリグルイ 鬼畜キョンの罠 ヤンデレーズ ケーキ 密室殺人事件 内視顕微鏡もしくは胃カメラ ハイテンションSOS団が出来るまで 鬼教師岡部 僕とあなたのスウィートナイト 長門の日記 馬鹿長門 古泉一樹の観察日記 涼宮ジョジョの奇妙な憂鬱 ブギウギ・マンハッタン・ツイスター キョンの絶望 それぞれの呼び方 長門vs周防 長門vs周防 ~その②~ ドッグファイト! ドッグファイト! ~その②~ 涼宮ハルヒの逃避行 ~その①~ 涼宮ハルヒの逃避行 ~その②~ 朝倉涼子のおでん 長門vs周防、再び 長門vs周防、三度 ちょっとアホな喜緑さんと長門さん エスパーマンが倒せない 朝比奈みくるのバット 朝比奈みくるのバット ~裏腹~ 朝比奈みくるのバット ~蒸し返し~ 朝比奈みくるのバット ~満願成就~ 仮面ライダーナガト 仮面ライダーキョン王 涼宮ハルヒの24 北高附属大学入試問題 サークルオブザムーン ● 佐々木の災難な日常 SMステ 古泉一樹の大暴走 門長艦軍本日大 くたばっちまえ 続!古泉一樹の大暴走 涼宮ハルヒの情報連結解除 スズミヤ家族24 幕張おっぱいほしゅ パフォーマンス過多な雪かき的文章(或いはB・L・Tサンド) -じくも-ズーリシ門長艦軍本日大 プーン 北京 世界のナガアサ 抜け殻 脱皮 小箱 空蝉 WC セキグチさん(ホラー) 周防九曜の侵略 涼宮ハルヒの仕業 涼宮ハルヒの悲鳴 長門有希とガリレオ 若布マヨご飯 もしもキョンが……シリーズ キョンにゃん、或いはネコキョンの可能性 せんてぃぴぃど 黒木田保守 催眠療法士喜緑さん 涼宮ハルヒの呪縛-MEGASSA_MIMIKAKI+冥&天蓋こんにゃく百合カレーmix-Relinquished あなたにポテト~差し入れの焼き芋にょろよー!!~ Dear My Friend いかすめる きらーん☆(註:メガネが光る音)かいちょーさん スク水 エロデレハルヒ 住民たちの団結 羽化 世にも珍妙な物語~内臓ブギウギ~ 胡蝶の夢 ポケットの中
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The Puzzlement of Haruhi Suzumiya ギラギラと首筋を照りつける日差しが、俺に今の季節が正真正銘夏である、ということを有無も言わさず感じさせていた――何ていった俺も思うが変な冒頭のくだりはさておき、新学年が始まって早々俺をのっぴきならない事態に追い込んだあの事件もどうにかこうにか終わりを迎え、何事もなく平穏にただ無事に済めばいいなぁなどといった俺の浅はかではありながらも切実な願いがあの何でもかんでも都合のいいことしか聞こえない耳に聞き入れられることはなく一学期は振り返ってみると駆け足で過ぎていき、季節は夏を迎えた。 梅雨前線がどうのこうのといった気象情報を俺は耳にしたが、俺たちの住む星は去年も思ったがやはり本格的に狂い始めたようで、この国に春と夏の間にある梅雨という季節を遂に到来させぬまま夏真っ盛りとなった――いや、語弊があるか。到来しなかったわけではないが、とでも言ったところか。 しかしそれがめったやたらと熱いのには――暑いの間違いではないぞ。もうそんな範疇じゃないってこった――、こちらも閉口以外にしようがない。 夏は人を長門にする。まさしくその通りだ。誰が言ったかなんて野暮なことは訊くな。 梅雨っていうのもこの国にはそれ特有の湿気がもれなく付いてきて蒸し暑いこの上なく、早く終わってくれぇ、何ていうさっきの発言からしてみれば180度相反した台詞が口から迸ることになるのだが、水の確保は重要なことであるという事実を俺は田舎のばあちゃん家に行ったとき身に沁みて実感しているためそれでも、梅雨の到来を待ち望むのさ。 だが、下手に長引きすぎるのも危険だってことも俺は漏れなく体験している。雨が降りすぎてしまったら、今度は俺のばあちゃん家の裏を心配しなくちゃいけなくなるのだから不思議なもんだよ、全く。 そこんとこの匙加減が器用に出来ていたら俺はこの星もまだまだ頑張ってくれているなと安心するのだが、それが不器用になって来ているのではないかと俺はこの頃懸念している訳なのである。 それでも俺はこの盛夏、既に短い生涯を全うしようと息巻く大量の蝉どものシュプレヒコールをBGMに、通い始めて一年を越えたこの急すぎる坂道をダラダラと汗を掻きながらただただ歩いていた。 偶にこういうことってないか? 何度も何度も通い歩き慣れた道のりを、気が付いたら無心で歩いていたことって。まるで動物の帰巣本能に似ているな。 ――まぁ、別に何も考えていなかったという訳では決してないのだが。 横で相変わらず無駄話を振ってくる谷口に俺は生返事をしながらも、今日家を出る前に耳に入ってきたとある言葉を思い返していたわけさ。 カメラの前ではまだどこか初々しさが残っているレポーターが、どっかの見慣れない町並みを風景にまさにその日の特集を喋り始めていた。 「今日の日付は七月七日です。そう、皆さんも御存知の……――」 と聞こえたぐらいで俺は家を出ていた。残念ながらこの学校に行くにはそれなりの早さに出なけりゃならなく、いつもその枠は最後まで見れないわけだ。 話が逸れたがもう分かってくれていると思う。 年に一度天の川を跨いで、織姫と彦星が出会える日。 そして個々が其々の願いを小さな短冊に込め、笹の葉に吊るす日。 今日は――あの七夕なのである。そしてあのと言うからには、かなり、そりゃもう特別な日なのである。 俺にとっては一年に一度、どっかの誰かさんのどこか憂鬱そうにしおらしくなった状態を眺められる日でもある。去年のこの日、俺はそいつに堂々と宣言されちまっているため、今日何をするであろうかのプランを大体把握していた。 そいつ、SOS団団長、涼宮ハルヒ曰く今から十六年後と二十五年後の未来にそれぞれ叶えて貰いたい望みを、去年と同じくベガとアルタイル宛に認めるということだ。 さてさて俺は、去年一年間をハルヒたちと共に過ごしてきて、あいつの秘められたトンデモパワーなるものを充分に見せつけられてしまっている。それも嫌というほどにな。 それは古泉が言うところの願望を実現させる力であり、長門が言うところの無意識の内の周辺環境の情報操作ということらしい。 つまり、短冊に何らかの願いごとを書くと、それが下手をすれば十六年後や二十五年後にあいつの力によって、叶ってしまう恐れがあるっていう訳だ。 そんな高校生が背負うには重すぎる事実を突きつけられてしまっては俺の筆も鈍ると言う訳で、何かこう穏便に済むような願いを俺は頭をフル回転して考えさせられる羽目になってしまうのだ。おまけにハルヒがそれを却下なんぞしようもんなら益々終わりが遠ざかって行ってしまうため、だったら事前に内容を考えておくほうがいいだろうということを俺は去年の教訓として身につけた。 大体だが、去年の十六年後(及び二十五年後もだが)の次の年に叶えてもらう願いって、難易度が高すぎやしないか? ついつい無難に無難にと考えてしまう俺を一体誰が攻められよう。 ――通い慣れた道というものは何らかの考えごとをしていても、勝手に足が辿ってくれるものだ。 学校に辿り着くまで、谷口は絶え間なく俺にとって無駄でしかない話を提供してくれていた。よくもまぁ、そんなしょうもない話を一人で続かせられるものだと思わず感心してしまう。実のところ二割もその中身を聞いちゃいないのだが、果たしてそれに気付いているのかも怪しいな。今度古泉と討論でもやらせたらいい勝負になるんじゃないか? どれだけ自分に酔って話せるか。 ――とは言っても結果は見え見えなため、最近また溜まってきてるんじゃないかと思うハルヒの退屈をこれっぽっちも紛らわせることはできないだろうが。 ギラギラと直射日光が首筋を照りつける窓際後方二番目のサウナ席で俺は悶絶しながら、これまた真夏の太陽並のハルヒの笑顔に圧倒されていた。 というか、なんだか俺の焦点があってない気がするぞ。ハルヒの顔の輪郭が揺らいで行く――いよいよ危険か。俺は自分の意識を理性の岸辺の杭に縄でぐるぐると括りつけておくことで俺は必死になっていた。結び方が甘かったらすぐにでも川に流されそうだ。 そんないかにも朦朧としているのが一目見たら分かるだろうに、ハルヒはSOS団専用特注スマイルを俺に向けながら、 「今日は何の日か分かってるわよね!」と、自信満々に訊いてきた。 あぁ、既視感フラッシュバック! 分かっているともハルヒよ。今日は、お前の誕生日でも、朝比奈さんのでも、長門のでも、ましてや古泉のでもない。そうだろう? 「当然よ。……あんた、ちょっとおかしい?」 少しでもそう思うんなら俺をそっとしておいてくれ。だがどうやら頭を使っている間は縄の結び目はほどけないようだった。 というか去年あんな体験をしていては、俺がこの日を忘れるなんてことは一生ないだろうよ。 「と・に・か・く! 部室で待っていなさい。あたしは笹を用意するからあんたは願いごとを用意するのよ。先に言っちゃうけど、ちゃんとあたしが認めるような願いごとを考えないとボツよ?」 俺だってそうそうアイデアマンじゃないんだぜ。 それに決めるのはお前の理論では彦星と織姫だと思うんだが。 「何言ってるの、二人とも毎年山のように願いごとが書かれた短冊を手にするのよ? 少しでも目につきやすいようにあたしが選りすぐってあげておくんじゃない。平凡過ぎたらつまらないじゃないの」 そうかい、そうかい、それは去年と同じじゃいかんってことか。 「そういや笹もまた裏山から盗んでくるのか?」 「……人聞き悪いじゃないの。でも別に良いじゃない、減るもんじゃないでしょ?」 それ以外どんな手があるのよ言ってみなさいよ、とでも言いたげな目でハルヒは俺を睨んだ。 あれは、私物の山っていう話なんだがな。しかも確かに一本減るわけだし。 まぁ、もとよりハルヒと睨みあいをして勝てるなんて思っちゃいないので、俺から先に逸らすことにした。ハルヒと真正面に視線をぶつけあって勝てるのは長門くらいのもんだろう。 「とにかく。ちゃんと考えておくんだからね!」 ハルヒの予言じみた台詞と去年の奇天烈な実体験が頭のなかで交錯して、俺の心のなかには真夏の雲ひとつない青空には全くと言っていいほど似つかわしくない、黒々とした暗雲が立ち込めてきていた。 ――まぁ、結果論から言ってしまうと、予想通りその真っ黒な雲は俺に大粒の雨を降らすのである。 それも梅雨顔負けのどしゃぶりのなか、超特大の嵐とともに―― まだ俺がその黒雲が超特大の積乱雲だということに全く気付いていなかった頃。 俺はらしくもなくハルヒとではなく黒板と睨めっこをしていた。良くも悪くも、期末試験の前の最後の足掻きというやつだ。我ながら哀れだな。 結果的に中間考査で赤点ラインすれすれを低空飛行してしまい、いろいろな方面から散々言われることとなった。両親と岡部教諭ならまぁまだ分かるが、あの脳内年がら年百快晴女に耳元で大音量の暴言を吐かれては、流石に俺も再起不能になるかと思ったぜ。 おっと、スレスレとギリギリはどっちが接触していないか、なんてことを随分と前にテレビでやっていたがどっちか知っているかい? スレスレは擦れてるからもう当たっちゃっているらしい。 つまり赤点ラインすれすれは――皆まで言わないのが日本人の美学、だよな? ちょっと気を抜けば舟を漕ぎそうな念仏のような授業をバックに、俺の頭のなかでは無意味に終わりそうなことを自覚している俺――現実的な悪魔――と、その現実から目を逸らそうと懸命に努力している俺――けなげすぎる天使――がせめぎあい不毛な抗争を繰り広げていた。 往々にして俺の場合は天使よりは悪魔が優勢となってしまう。自分がよく理解できていることは武器ともなるが、知りすぎているということは時として悲しいものだね。 結局今回も軍配はあっさりと自己を理解している俺――何事も諦めの精神で立ち向かっている悪魔――に下ったってわけさ。 今にも切れそうな集中力をノートの片隅への落書きで保持していた右手のシャーペンを俺は放り出して、約十五ヶ月間近く俺の後ろに居座り続ける奴を振り返った。 SOS団内の偏差値を一人で下げ続けていると勧告してき、このままでは処罰も已む無しと宣告してきた我らが団長涼宮ハルヒは、机の上で少しおとなしくなった暖かい日差しに包まれて――熟睡していた。 しばし無言。 自分の目を疑いたくなるね、嘆息。試験の前の総まとめ的授業を寝て過ごすとは、どうやら本当に学校を舐めてかかっているようである。黒板で板書をしている教師のほうを俺は振り返ってみたが、注意しても無駄なことを熟知しているかの如く、また触らぬ神に祟りなしとでも言わんばかりに完璧なまでな無視を決め込んでいるようだった。 それで良いのか、教師陣よ? 一応これでも俺は学校の教師というものにそれなりの敬意を抱いてはいる。俺たちの担任の岡部教諭だってそれなりに俺たちのために一生懸命やってくれてるじゃないか。 だがそんな俺のやはり限りある良心も、ハルヒのこれまた心地よさげな、涼やかな寝顔を観賞していると、起こしてやるのもこれまた蛇足な気がしてきたので教師を見習い放っておくことにした。大方、昨日七夕のことを考えすぎて興奮でもして睡眠不足になったんだろう。まるで遠足前夜の小学生みたいだな。 今お前が観ているその夢のなかに果たして俺、ジョン・スミスは登場しているのだろうか? もし現れていたら――などと考えていたら少し背中がこそばゆくなったような気がした。 睡魔が、襲ってきた――。 適当に掃除当番を済ませたあと――そういや班交代の掃除当番だから、思い返してみるとこれまたハルヒと一緒だったってわけか――俺の脚は自然と旧校舎のほうへと向かっていた。 あっという間に時間が過ぎたように感じるかもしれないが、まぁ何もなかったってだけさ。 ハルヒの奴を掃除場所で見かけることはなかったが――つまりサボりだ――何をしているであろうかは何となく想像できた。また裏山で無許可で笹と格闘しているんだろう。 思い返してみると、去年の俺の一年間はおよそ八、いや九割方がSOS団によって占められていたのだなと、俺は再認識し今日何度目かの嘆息をした。 まぁ、今となっては別に良かったと思う。俺はそういう風に思えるようになっていた自分に今更驚いてなんかいなかった。 知っている方もおられるだろうがこの学校は他校と同じくして、考査の一週間前からの部活動は原則停止である。県立だけあって学校も成績には口煩く言ってくる。 しかしそんななかでも俺の脚は文芸部室へと向かっている。それこそまるで動物の帰巣本能の如くにだ。つまりだ。涼宮ハルヒの脳内には年中無休という言葉しかなく、試験など何ぞやということらしい。ちょっとは俺のことも考えてくれよ、なぁ。 部室の前に着いた俺は自分の腕時計を確かめたあと、部室の扉をノックした。時間帯によってはまだ朝比奈さんが着替えている可能性もあるからな。それはそれで、健康な一般男児として観てみたくもあるのだが、そこは俺の純真なる理性が押し留めてくれていた。 多分、天使のほうの俺だろう。まぁ、その天使もいつ堕天使ルチフェルになるのか分からんのも一理あると言えるが。 「は~い」と篭った返事を聞いて、ドアをそのまま押し開ける。 「キョンくん、こんにちはぁ。すぐにお茶を入れますねぇ」 古泉のところに湯呑みを置いていた朝比奈さんは、返事をするとそのまま慣れた動きで俺のぶんの湯呑みにお茶を注ぎはじめた。何というか迅速な対応である。 まるでどこかの屋敷の専属メイドみたいだな――と思ったあとで、あぁハルヒかと俺は自分で突っ込みを入れた。 既に部室内にはハルヒを除いた主要メンバーが揃っていて、俺は机の上でまたなにやらボードゲームをやっている古泉の対面に腰を下ろした。 「どうぞ~」 そう言って俺の目の前に置かれた湯呑みからは、淹れ立ての白い湯気が上がっていた。 「ありがとうございます」 そういや、誰も冷茶にしてくれ何て言わないのかね。こうも毎日暑いと、扇風機だけしか冷房設備がないこの部屋では生き抜けんと思うのだが。 朝比奈さんのお茶の温度が年柄年中変わらなかったことから――と言ってもそれは俺の体感であって、本人は細かく温度計を突っ込んで測っていたようだが――、ハルヒでさえ去年文句を言ったことはないようだ。 俺かい? 俺は別に言わないね。麗しき朝比奈さんのお茶が折角飲めるっていうのにいちゃもんを付けるなんて、百万光年早いね。――つくづく思うが百万光年って何だ? どういう意味で使ってるんだろうか。あとで長門にでも訊いておくか。確かあれは距離の単位だったはずだが。 「おいしいですよ」 「ありがとうございますぅ~」 どうやら待っているようだったので、俺は口に含んだあとで礼を言った。それは本心だ。朝比奈さんが淹れてくれるものは何でも美味いに決まっているはずさ。確かに例外もあるが。 「どうですか? あなたも一局」 古泉が駒を進める手を止めて、俺に訊いてきた。 「やめておく」 こうも暑いと俺の頭がうまく働かんだろうから、それを余計にオーバーヒートさせるようなことは避けたい。というかしたくない。 「まぁ、お前相手にボードゲームでオーバーヒートするようなことはないだろうがな」 「それはそれは耳が痛いお言葉」 そう言って、古泉はいつもの微笑フェイスのまま手を盤上に戻した。 「しかしながら、貴方のご期待に副うことはできかねます」 「どういうことだ?」 「……今日は何の日だかご存知ですね?」 質問に答えろ質問に! という俺の渾身の睨みは、無残にも古泉の微笑のポーカーフェイスとは不釣合いな鋭い射るような視線に跳ね返された。――瞳だけが笑っていないというのは少々不気味なんだがな。答えてやるか。 「あぁ分かっている。七夕だろう?」 「分かっているのなら結構です。でしたら――」 「何をするかも把握していますね、って言うつもりか? それも大体分かっているつもりさ。朝からずっとそれを考えっぱなしだ」 「流石、話の呑み込みが早くて助かります」 古泉はそれからパイプ椅子にもたれかかりながら手を組んで続けた。金属の軋む音がする。 「それにですが先程朝比奈さん、長門さん両名から話を伺ったところ、予てからの推理通り七月七日は涼宮さんにとって最も重要な日であり、必ず何か出来ごとが起こるようなんです。こういった情報は未来人がいてくれて助かります」 ちょっと待て、それはさらりと重大発言じゃないのか? 何だかネタバレ感がするのは俺だけか。 しかし、何でハルヒの野郎はそんなに七夕が好きなんだ? 願いが叶うっていうところがハルヒ的ポイントなんだろうと見た。――当の本人は何でも自分の願いが叶う可能性があるってのを知らないから、逆にあいつが健気に見えてくるな。やれやれ。 俺は、先程からパイプ椅子にちんまりと座ってこちらを見ている、メイド装束の未来人に確かめることにした。 「本当にそうなんですか、朝比奈さん」 「はい。未来から観測していて気付いたことなんですが、涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来ごとが起こることがあるんです」 朝比奈さんは俯きながらもすらすらとまるで予想していたかのように答えた。 そういや、時間関係で朝比奈さんがつっかえずに話しているっていう状況は、俺の記憶を軽くリサーチしてみても引っ掛かってこなかった。ん? 必ず起こることがあるんですってどういう意味だ。 「それよりあの……禁則、かかっていないんですか?」 「そうなんです。こういう未来に起こる出来ごとを事前にその時代の人に伝えることは、厳しく制限が掛かるはずなんですけど……」 朝比奈さんも、そうです不思議なんですといった顔をして首を傾いでいたが、古泉は何やら意味ありげな視線を俺に送ってきている。その目はまるで「あなたにはその理由が分かっていますよね」と俺に語りかけてきていた。 何だか癪に障るがまぁ、正解だ。多分朝比奈さん(大)が何らかの必要性を感じたのだろう。 「長門は、どうなんだ?」 俺はただいま読書中の宇宙人の有機端末にも訊ねることにした。すると、 「そう」 とだけを緩慢に顔を上げて答えた。それは肯定って意味だな? 「そう」 何という短さだ。すると長門は補足するようにして、 「今のわたしは未来のわたしと同期を行ってはいないが、朝比奈みくるの話と情報統合思念体の観測情報を照合した結果そのように考えられる、という仮説が判明した」 最初からそう言ってくれ。それだけ言うと長門は必要性を感じなくなってのか、また本の世界へと潜り込んで行った。つまり――。 「つまりこういうことです。この七月七日、本日七夕の日に何か事件が起こる可能性があるということです。そしてそれに僕自身はどうかは分かりませんが、あなたは確実に巻き込まれるということです」 古泉は最後の部分を嗤ってやや自嘲気味に言った。何だそれは皮肉か? しかも何故そうなる。 「くっくっ、貴方へのあてつけです。とにかく、貴方には身構えておいて貰いたいのです。よろしいですよね?」 何がよろしいですよね、だ。どこまで俺はアイツに振り回されなきゃならんのか。その上、俺が断る何ていう選択肢はもとより用意されていないんだろう、どうせ。俺はあいつの子守役になった覚えは全くないのだが。 「察しの通りで。しかし任命されたはずでは?」 面倒くさいときは無視、と。 「あとさっきから気になっていたんですが、その重要な出来ごとというのはもしかして……毎年起こって――あぁ面倒くさい――起こるんですか、朝比奈さん?」 朝比奈さんが身体を強張らせた。 ここんところは意外と重要だ。一応俺がどれだけ世話を焼かされるのかは事前に知っておきたいってもん―― 「それは、……禁則事項です」 一体何の冗談ですかそれは、朝比奈さん。それはある種の振りだとも考えられますよね? ここまで来て『禁則事項です♪』は、暗にこれからずっと何かが起こりますよって言っているようにも取れる上に、それこそ未来人勢力が誤魔化していると言うか毎年発生しないのかもしれなく、面倒くさいなぁ全く。 また朝比奈さんが申し訳なさそうな表情をした。 「あなたも困惑しているようですね。取りあえずですが、もし何かが起これば我々『機関』のできる範囲であなたを手助けすることにいたしますよ。但し時間移動が関わっていなければ、ですけれども」 古泉はさも可笑しそうに言う。 「お前……どれだけ根に持っているんだ」 「そう見えますか? だとしたら僕の演技にも更に磨きがかかってきた、ということでしょうか」 嘘吐け、目が笑っていないぞ、古泉。 お前、演技なんかしたくないって言ってたじゃねぇか。 「……やれやれ。もし時間移動するって場面になったら、お前も呼んでやるようにするよ」 朝比奈さんが困ったような表情をしたが、この際無理を言わせてもらうことにしよう。 「いいんですか? それは誠に光栄です。是非、お願いします」 いちいち動作が大袈裟だ。それにお前にお願いされたって嬉しくもなんともないんだがな。お前の魂胆なんて見え透いている、と確かにそのとき俺は普通に考えていた。 余談だが、俺は古泉の同行を朝比奈さんを通じて未来人に通せば、許可が下りるじゃないかと密かに自信を持っていた。全く持って何となくなんだが、多分俺が言い出すことは向こうにとって既定事項だったりするんだろう。 確かに踊らされている気分ではあるが、流石に自意識過剰すぎるかね? 「みんな、集まってる~!?」 不意にハルヒの声が静かだった部室に轟いた。相変わらずこいつは台風なんじゃないかと思うほどの威力とスピードでハルヒは扉を開けたあと、一瞬の内に団長席で笹を旗のように勢いよく突いていた。 御丁寧にも机の上には色とりどりの短冊がばらまかれてあった。いったいいつの間にだ。 「さぁ! みんなもう言わなくても分かってるわよね?」 とハルヒ団長は団員の表情を伺うよう覗き込み、 「だったらいいわ! 今すぐこの短冊に、みんなの願いを書きなさい!」と、言い放った。俺の顔のどこに恭順の意を読み取ったのかね。 まぁ、こいつの耳や目には反対の意思は映らないようだし、俺以外のSOS団団員が反対意見を言うこともないだろうから、ハルヒの感覚では満場一致ってとこなんだろう。 「あ、言っておくけど去年と同じじゃだめよ。分かってるわよね、キョン?」 何で俺だけ名指しなんだ? 他の奴らはどうなんだよ、ええ? 「去年の願いと合わせて、一番最初に叶った人が勝ちだからね!」 聞いちゃいねえ。 俺が一人不平不満を漏らしている間、既に俺を除いた恭順なる三人の団員は短冊になにやら書き込み始めていた。もしかして去年頃から考え始めていたりでもしたか? 「さぁ、どうでしょうねぇ」 古泉、お前もさっきからまともに答えやしない。そんなに俺を嫉んでどうするつもりだ。 「決して僻んでなどはいないつもりなんですが。……まぁ、あなたの立場にやや嫉妬していたりするのもまた事実でしょう」 やっぱり、お前の言うことだけはどうも分からんな。古泉は俺の反応に対して目だけで、なにやら意を表明していた。言っているだろう、お前だけのは分かりたくともなんともない。分かってもいいためしがない。 「ちょっとそこ! 願いごと、書けてるんでしょうね!」 なぁハルヒよ。さっきから感嘆符がやけに多いような気がするんだが。お前が半額サマーバーゲンを一人でやっているみたいだ。 「それより、お前は書けているんだろうな?」 「決まってるじゃない。あたしにはちゃんと夢ってものがあるのよ。あんたとは違ってね」 そういうとハルヒは席を立ちあがって外に吊るした笹に短冊を括りつけはじめた。 最後の一言が余計だ。 しかし――数十分後、やはりというべきか俺はまだ机の上で悶えていた。 俺以外のメンバーは早々と書きあげ、長門はいつもの定位置で読書、古泉は独りボードゲーム、朝比奈さんは真面目にもテスト勉強をして三者三様に暇を潰していた。そういや朝比奈さんにとっては一応、受験の年だな。 ふといつまで朝比奈さんはSOS団で活動できるのかというある種の不安が頭をよぎった。 ハルヒはというと、団長席でパソコンのモニター越しに俺に明らかな怪視線――怪光線はさすがに無理だろう――を不機嫌な顔をして送っていた。 「ちょっと、キョン。あんたまで出来上がってないの? もしかしてあんた、行事とか学期末の反省書くの苦手なタイプだったりして?」 「……なんで分かるんだよ。あぁ、そうさ。確かに俺は小学校の頃からあの面倒くさい質問を矢継ぎ早に投げかけてくる紙には何遍も困らされていた。偶に女子のを見て何でそんなに書けるのかって、何度も敬服した憶えがある」 「やっぱりね。あんなのはね、ちゃっちゃと適当なことを書いて済ましときゃいいのよ。誰も裏づけを取れないしね」 「そんなこと言いながらお前、俺の書いた短冊何枚却下したんだ?」 「仕方ないでしょ。手の抜き方にも適度ってものがあるわ。もちろん、手抜きは当然却下だけど」 「言ってることの辻褄が合ってないぞハルヒ。アホか」 「はぁ? 団長に向かってその言い方はないわ! ぜっったい、あたしが認める願いごとをひねり出しなさい!」 しまった、いらん火にいらん油を注いでしまった。ハルヒの瞳の奥の炎がよりメラメラと燃えあがるのを俺はまるで本物のように見つめながら少し考えこんでいた。今回ハルヒはあのメランコリー状態に落ち込んでいない。どうしてだ? 古泉曰くの、こいつの精神が安定してきたということの証なんだろうか。確かに、去年のハルヒは傍目から見ていてもテンションの上がり下がりが著しかったが。うーむ、確かに喜ぶべきことなのかもしれないが、やはり俺は静かなハルヒも助かると思う次第で、そんななかで先程の朝比奈さんの預言を思い出していた。 ――『涼宮さんが生きた時間軸上の七月七日には必ず重要な出来ごとが起こることがあるんです』―― 俺がさっきから考えを巡らしているのは、果たしてハルヒはそれに対してどんな表情を見せるのだろうかということだ。SOS団専用の超絶笑顔か、それとも入学当初の不機嫌モードのハルヒなのか。 もしくは、『あのとき』のような困惑した――。 いやいや。俺は頭を横に振った。 したくない想像ははなからしなかったらいいわけで、そんなことは頭のなかからきれいさっぱり消してしまったらいいのさ。 俺の持つペンは、右手のなかでぐるぐると回っていた。これくらい、俺の脳も回転してもらいたいものだ。 部屋からの眺めが少し赤みを帯び始めていた。 まだ少しハルヒの暴言を聞くはめになりそうだ、と俺はすでに九枚目の短冊を見つめながら思った。 ――そして俺は束の間の休息を味わっていた。 いやそのときの俺は束の間とは微塵にも考えてはいなかったのだが、結果から見ると確かに束の間ではあった。 未来人の預言を忘れていたのだから笑止万全だ。 そして、嵐の前の静けさが終わる―― 古泉の指す駒の音だけが部室内に響いていた。 その頃部室内の団員たちは、読書やボードゲーム、うたた寝、をしており、ハルヒ団長は窓の外を眺めながらおとなしくなっていた。 俺はというと、そのあと紆余曲折の末、無事二枚の俺の血と汗と涙の結晶の短冊を提出し終わって、三人娘を少しばかり目の保養としていた。良かったなハルヒ、空が晴れていて。 柔らかい夕焼け空のなか、こうして部室内の風景を眺めていると不思議にも心が落ち着く。俺にももうその答えはわかっていた。 つまり俺の居場所は既にここにあるってわけさ。一年と二ヶ月前から。 そしてそれは、そんな緊張感ゼロのなか起こった。 ふいに長門が目線を文字の羅列文から上げる。 コンコン。 まるで呼応するかのように続いて部室のドアをノックする音が響く。 そしてノックの音が充分に響き終わったとき、既に四人はそれぞれの臨戦態勢を取っていた。朝比奈さんは何やら膝の上で拳を握り締めており、古泉は駒の置く手を停めて目だけが微笑みゼロの顔で扉を注視していた。 ハルヒは突然の来客宣言に呼応するかのように団長席でどっかりと腕を組んでいる。 長門は分厚いハードカバーを膝の上に置いたままさっきの目線でやや目を見開いていた。 多分長門にはドアの向こうが見えているんだろう。それくらい長門は簡単にやってのけることを、俺は知っている。 俺はと言うと、特にすることもないためしたがってドアを注視していた。生憎と透視能力は俺にはないが。 部屋の空気が一気に引っ繰り返ったなか、ハルヒは「どうぞ」と扉の向こうにいるであろう人物に了承の返事をした。 それからはまるでスローモーションを見ているようだった。ノブがかちりと音を立てて回り、ゆっくりと扉が内側に開いていき――『そいつ』は俺らの眼前に現れた。振り返ると朝比奈さんは口を手で押さえ、古泉は目を見開き、長門も微量ながら目を大きくしている。 ゆっくり、悠々と『そいつ』は部室内に入って来ると全員の視線を浴びながら、確かな足取りで俺の前を素通りし団長席へと向かった。 そしてついさっきまでの泰然自若の面持ちがどこかへと消え去ってしまった涼宮ハルヒに片手を挙げて、こう言ったのだった。 「よう、久しぶりだなこの時代のハルヒ」 ハルヒの口と両目が呼応しながら徐々に開いていく。 「この俺が、」 そして――。 「……キョン?」 「ジョン・スミスだ」 少しかすれたハルヒの声に『そいつ』は一発目で手札を切った。 教室の空気を春に感じたものと同じ戦慄が走った。そして瞬間的に俺は悟った。このSOS団は瓦解するかもしれない、と。 誰であろう、未来の『自分自身』の手によって。 「うそ……」 ハルヒはまるで漫画のように目を見開き、口をポカーっと開けている。茫然自失の態だ。 古泉は鋭く射るような目を『そいつ』に送り、何故かは分からないがが長門は俯いている。朝比奈さんはわなわなと小刻みに肩を震わせていた。俺の頭のなかには去年からのSOS団でバカやってた記憶が早送りで駆け巡っていた。これがいわゆる走馬灯ってやつか? 俺は『こいつ』になに命の危機を感じてんだ、しっかりしろよ。 俺たち四人が衝撃に黙りこくっているなか、破滅を呼び起こすハルヒと『そいつ』のダイアログは進んで行った。 ――涼宮さんは非常識を望みながらも、とても常識的な考え方の持ち主なんです。 「え? ど、どういうこと?」 ハルヒには珍しく困惑した表情を浮かべている。俺はまるで金縛りにでもあったかのように手も足も声も出なかった。 「だから言っているだろう、俺の名はジョン・スミスだ。お前にとっての四年前、中学一年の今日七夕の日に校庭の線引きを手伝ったあのときの高校生さ」 「で、でも、どう見たってキョンじゃない……」 ハルヒは俺と『そいつ』の顔を見比べている。 「もしかして……そっくりさん?」 とことん、ハルヒは今の現実を受け入れられない様子だ。迷っているのか? 俺たちにとってそいつは明らかに未来からの闖入者だが、ハルヒはそんなことは知らないはずだ。 だったら一体何に驚いているんだ。 真実を言うと四年前からお前の周りは常軌を逸脱した出来ごと尽くしだったんだ。 そして同時に俺は『そいつ』、未来の自分に苛立ちを感じていた。何で、この時期、このタイミングに全てを壊そうとしているんだよ。俺は自分の想いをとっくの前から確信している。俺はこの唯一無二のSOS団が好きなんだ。それは未来の俺にとっても変わらないはずなんだ。変わらないでいてほしいんだ――。 なのに、どうしてだ。どうして知らないほうが幸せでいられる真実を明かそうとする。 まさか朝比奈さん(大)の引き金だっていうのか? こんなことが既定事項だって言うんですか? 「そっくりさん、か。残念ながらそれは違うぜ、ハルヒ。そこにいる奴は……」 それ以上言うな。それを言ってしまうと、もう戻れなくなる。 「過去の俺、つまりは同一人物、ってわけさ。言ってることが分かるか?」 くそったれ! 俺は拳を握り締めてその腕を振り上げようとした瞬間、 「俺とそこの間抜け顔は同じ人間。でもその同じ人間が一つの時間に二人もいるわけないよな? その答えはひとつ」 古泉が素早い動きで俺の手を抑え、目で制した。 眼光の迫力が桁違いだ。その迫力に、俺は自称メイドの裏の顔をまざまざと思い出した。 「つまり俺は、未来人なわけさ」 人差し指を立てて『そいつ』は言う。 「お願いします。ここは抑えてください」 古泉が机を越えて至近距離で囁いた。お前らのところの機関はもう動いているんだろうな? 「えっ……み、未来人? で、でもそういうことになるの……? え、ありえないわ……」 ハルヒは目に見えて困惑している。珍しくいつもは鋭い瞳が不安定に揺れ動き、言葉にも精彩を欠いている。意外と俺よりも頭のなかが常識で雁字搦めになっているようだ。でもある意味正しい反応だとも言える。 さっきからハルヒの視線が『ジョン・スミス』と笹から吊るした短冊の間を揺らいでいる。それに気付いた様子の古泉は目を見開いて驚きぶりを示した。お前も一体どうした、何に気付いたっていうんだ。 「……そうだな、ハルヒ。どうしても信じられないようなら証拠を見せてやる。ほら、これを見ろ」 服の内側から紙の束を『そいつ』は取り出した。まさか、新聞紙か。 「お前ならすぐにその意味が分かるはずさ」 ハルヒは差し出されたものを恐る恐る受け取った。一体どうなっているんだ、未来人は既定事項と禁則事項に縛られているんじゃなかったのか? 朝比奈さんももうどうにかなっちゃいそうな雰囲気だ。 半信半疑の様子で新聞紙に目を通したハルヒは、いつもより大きく目を見開いた。 「まさか……だってこれ、本当に……?」 「そう言うことだ、ハルヒ。その日付と年を見れば瞭然だろ? それが俺が未来からの来訪者だっていう証拠さ」 「つまり……あなた本当に未来人なのね?」 「だから言っているだろう? やれやれだな」 思わずお前がその口癖を使うな、ってシャウトしたくなった。いくらそいつが『未来の俺』なんだとしても、俺は絶対お前を俺自身だとは認めない覚悟だ。 俺は目線を動かすと、果たして今度は俺までもがハルヒに驚かされる破目になった。さっきと打って変わってハルヒの表情が見る見る輝きを増していき、今朝見た専用スマイルに猛スピードで近づいていく。何か楽しいことを見つけたときの涼宮ハルヒの表情。まさか――今の状況を受け入れ始めたって言うのか? 信じられない――がそれでも俺は去年の記憶を再び引き出した。 一学期の中頃、涼宮ハルヒは閉鎖空間のなかで歓喜を起こした。退屈したときとは全く違う別の理由で生み出された『閉鎖空間』。現実を拒絶し、もう一つの新しい世界を受け入れようとした俺だけが知るハルヒの表情と、今のハルヒのそれが酷似していることに俺は気付いた。 俺は虫の報せとでも呼ぶべき嫌な予感がした。そしてだが、やはりそれは当たるのである。古泉、朝比奈さん、長門がそれぞれ草野球のときと同じ、何かを感知した動作をする。 「本当なのね!! やったわ、遂に見つけたわよ未来人!!」 ハルヒは椅子を跳ね除け、そいつの顔を指差した。 「お前が見つけたんじゃなくて、俺から出てきたんだがな」 耳のうしろを掻きながらそいつが言った。 「どっちでも同じことよ! とにかくいっぱい訊かせてもらうわ! あたしについて来なさい、ジョン!!」 そして鞄を掴んだかと思うと、そいつの服の袖を握り締めて猛スピードで扉に向かった。 ――ジョン。そうあの世界で長髪のハルヒは俺をそう呼んだ。 「おいハルヒ!! お前……」 「今日はもう解散していいわ、キョン!! あたし急いでるから!!」 「おいおい、急ぎすぎじゃないのか?」 アイツは苦笑しながらもなされるがままになっている。 「いいのよ!!」 瞬間俺は見た。開け放たれた部室の扉から見えたこちらをちらりと振り返った奴の顔が、酷く醜く歪んだことを。 「お、おい、待て!!!」 だがそのとき既に二人の影はなかった。俺の声は無残にも旧校舎を反響しただけで終わり、静寂のなか俺は不恰好にも腰を浮かせ手を伸ばした状態で少しの間固まっていた。 その静寂を打ち切ったのは古泉だった。 「すいません、どうやら事態は急を要します。現在この地域一帯に規模の大きな閉鎖空間が複数乱立発生しています。これから、僕は機関のもとで神人退治に向かわなければなりません」 顔、声ともに稀に見る真剣さを帯びている。――確かにそれもそうか。お前は一般人ではあるが、確かに超能力者でもある。だが古泉よ。 俺は今すぐにでも鞄を掴み部室を出ようとした古泉を呼び止めた。俺はお前に確かめないといけないことがある。 「あのときのお前の言葉、憶えているだろうな?」 古泉、お前は一体どこに帰属するのか。これだけで俺の意思は伝わったはずだ。さっきから沈黙を保っている朝比奈さんと長門も古泉を直視している。 古泉は眉根をあげ、沈黙ののち口元に手をやりながら答えた。 「……そうでした。確かに……ええ、そのような大事な約束を失念していた自分を深く恥じます」 古泉の声は本当に侘びていた。 「思い出してくれたか。それで、お前の立場は一体どこにあるんだ? 機関の尖兵なのか、それともSOS団の副団長なのか?」 実のところ俺としてはシリアスに迫ったつもりだった。古泉はというとやや目を伏せて、 「そのようなことを確認されるとは。まだ僕は……貴方の絶対的な信頼を勝ち得てはいないのですね」と少し愁いを帯びた表情で絶対的を強調した。どうやら、軽率にものを言ってしまったらしい。だが心配するな、俺はお前に疑念を抱いてはいない。 そして再び顔を上げた古泉は、いつもの凛々しい決意の眼差しをしていた。 一度深呼吸をしたあと、 「自分は……このSOS団副団長、古泉一樹です!」 「あぁ……よく分かった!」 大丈夫だ。まだ、SOS団は崩壊しない。 自分の掌を見つめたあと、俺はそれを固く握りなおした。ここに古泉がいて、長門がいて、朝比奈さんがいる。そうさ、いつもSOS団は危機を手を合わせて越えて来たじゃないか。 俺がいる限り、ハルヒを必ず取り戻してやる。 だがそのときの俺は知らなかった。知りようもなかった。 部室を出たハルヒが走りながら、「ジョン……」と小さく漏らしていたことに。 窓の外の景色は闇一色になっていた。だからといって涼しくなるわけでもなく、俺は部屋のクーラーをつけて更なる熱気を外へと放出させていた。 約束の時刻まであと一時間。俺は素早く出れるように外出着のままベッドの上に寝転がり、携帯電話のサブディスプレイに点滅する時刻をずっと眺めていた。 ベッドの向かい側、普段さほど向かうこともない勉強机の上には何度も読み直した便箋が開かれたまま置いてある。俺が予想したとおりに、その手紙はスタンダードに下駄箱のなかに入っていた。 古泉と長門には家に着いてからすぐに連絡してある。流石に、朝比奈さんの前で伝えるのは許されていないからな。 それにしても依然、ハルヒとは連絡が取れない。――いや、それも当然のことか。 一時間ほど前にかかってきた古泉からの電話。 ――『申し訳ありません。時間がないので手短に伝えます。この世界から涼宮さん、そして先程のもう一人の貴方の存在が確認できなくなりました。これは情報統合思念体とも確認してあります。そして更にほぼ同時刻に、我々の侵入を拒否するほどの強大な閉鎖空間が一つ発生したのも確認しています。おそらくは両名はそのなかにいるのではないかというのが我々機関の見解です。去年のように貴方に協力を仰ぐ可能性もあります』 そのときの古泉の吐いた最後の溜息から全て言い終えたという雰囲気が言外に伝わってきた。珍しく早口で話してそのまま通話を切りそうだった古泉に、俺は便箋の内容を伝える。 ――『……分かりました。僕は貴方に自分はSOS団の副団長であると宣言しています。必ず時刻に間に合うように調整致します』 意識して事務口調で話しているのか、そのまま「では」と機械のように古泉は冷たく告げて電話が切れた。 ハルヒとは連絡が取れない。 当然だ。今この世界から消失してしまっているからな。 しかし――よりによって、どうしてあいつとなんだ? 古泉からの電話のあと、情報の確認と連絡のために去年末から急激にかける頻度の上がった電話番号に俺はコールした。 ――『…………』 相変わらず応答の返事をしない長門に俺は名乗ったあと、古泉の伝達があっているかを確かめた。何度も思うが、「もしもし」くらいは言うように勧めるか。 ――『違わない。涼宮ハルヒと貴方の異時間同位体は二十八分と十九秒前にこの時空間からその存在を認識できなくなった』 ――やはりそうなのか。つまり相当機関の決断が早かったってわけだ。 次に俺は、例の手紙の内容を、言い終わると兎に角沈黙しているアンドロイド少女に伝えた。 ――『……分かった。彼女がわたしの立会いを望んだことには何らかの意図があると考えられる。今から行けばいい?』 待て待てまだ集合時間は一時間後だと慌てて長門に伝えたあと、少し気まずいような沈黙が流れた。 何故だかは分からないがふとそのときの沈黙に、長門がまるで何かを俺に伝えようとして逡巡しているような感覚がした。そういや、帰り際も俺のほうを見て何か言いたそうにしていたような気がする。自意識過剰だろうか。 ――何か言いたいことがあるんなら遠慮しなくてもいいんだぜ、言っただろう? 俺は促してみたが、長門は小さく『いい』と言って、電話を切った。 ――一体どうしたんだ? しかしながら今思い返してみても、古泉の切羽詰った上に凍ったような声には心底肝が冷えた。バックグラウンドには何やら、オペレーターらしき声が飛びかっていた。やはりそれほど緊迫した状況だということだろう。 俺は何も知らない。何も知らされていない。 未来人、超能力者、宇宙人の三者三様の裏事情を。だがそれでも世界は俺に全ての荷を追わせようとしている。まるでそれが世界の意思だとでも言うように。何度も思い返すが、理不尽にも程があるだろう。 一度携帯を開いて閉じ、白く輝くデジタル時計を俺は再確認した。 23 30。 そろそろ出かけることにするか。いつもの、あの集合場所へ。 親に気付かれずに家を出るという荒業を俺は何とかこなし、自転車で向かった。 自転車をいつもの通り銀行の横に止め、道をこえて北口駅の北西口広場に着いた。丁度電車の出発する音が聴こえ、遠くにマホガニー色の車両が走って行くのが見えた。 既に広場には、そこだけは普段通りセーラー服の長門が佇んでいた。まるで何十分も前からそこにいたような雰囲気と一体感を醸し出している。しかし、同時に不釣合いで違和感のある情景にもなっていた。やはり今日ばかりは、いつものあの見慣れた風景とは何かが違っていた。 「よう、長門」 俺は少し明るい声を作って長門を呼んでみた。長門も俺に気付いたようで、無味乾燥ないつもの目を俺に向けてきている。俺は、やはりあいつがいないことが気になって仕方がない。 すると長門は、俺のあたりを探る視線を読んだかのように、 「古泉一樹はまだ現れていない。先程連絡があり、予定集合時刻には間に合わせると言っていた」 そうか、つまり閉鎖空間での仕事は全然かたが付いていないというわけだ。 いつも集合時間の前に余裕の表情で待っていて、柔和な微笑みを向けてくる古泉は俺のなかでいつのまにかデフォルトになっていたようで、それが少しでも異なっていることに俺は精神的不安を感じられずにはいられなかった。 深夜の駅前広場に佇む、私服の少年と制服の少女という組み合わせはさぞかし異様に映ることだろう。まぁ、そんなことはいちいち気にしていられないし、誰も見てはいないだろうから。 俺は長門にもう一人の人物の存在について訊ねた。 そちらもまたデフォルトに、下駄箱のなかに手紙を忍ばせて用件を伝えてきた人物。ここに我々を集めさせた張本人。 「朝比奈さん……はどうした?」 今の朝比奈さん(小)の数年後及びグラマラスバージョンの姿はまだ見えなかった。 俺が長門を見ていると、長門は少しだけ顔を傾かせ――一般感覚で言うと、ほんの僅かに――また言葉を紡ぎだした。 「貴方の言っている人物を朝比奈みくるの異時間同位体と認識した。彼女なら先程わたしの部屋のなかに現れて用件を伝えに来た」 そうなのか。しかし、長門が俺の考えを読んだとは少々驚きだ。 いや今の長門ならそれくらい出来そうだが、出会った当初の長門なら「どっちの」やらなんやら、言っていたであろう。 やっぱりこいつは徐々に人間に近づいている。些細なことからでも俺はそう感じた。 それで何て言ってきたんだ? 「……貴方に伝えていいと判断。朝比奈みくるは彼女が午前零時零分零秒から彼女のいうこの時間平面に留まっている間、彼女自身を防護していて欲しいと頼まれた」 防護って――攻撃から身を守ることだろう? 一体何があるっていうんだ。 「それは彼女自身からあとで伝えられる」 俺はたったそれだけで今がのっぴきならない事態であるということを理解した。長門に助けを求めるということは尋常な事態ではない。しかもあの朝比奈さんが直接長門に頼んでいる。 そのとき車が急ブレーキを掛ける音がして、広場の入り口あたりに真っ黒な車が一台停車した。俺がそのシルエットに何やら見覚えを感じていると、後ろのドアが開きいつもよりやけに真剣な表情をした、不釣合いな超能力を持つ同級生が降りてきた。 なるほど、運転手は新川さんか。古泉はなにやら開いた窓越しに新川さんと話したあと、車はどこかへと走り去っていき、古泉はこちらを振り向いて小走りで近づいてきた。 「遅くなってすみませんでした。少々手間取っていたもので」 古泉が弁解する。だが俺は古泉の表情と焦りようを見て、少々どころではないことをすぐさま理解した。 「何も言わなくていい」 「……ありがとうございます。……それで彼女は、朝比奈さんはもう来たんでしょうか」 「まだ来ていないみたいだ」 一陣の風が吹いた。生温いいやな風だ。空も黒々と分厚い雲に覆われている。せめてハルヒのためにも七夕の日には最後まで晴れていてもらいたいな。 そのあと黙ってその時刻が訪れるのを待つこと、数分。 「まもなく、七月八日午前零時零分零秒」 長門が時報のように短くアナウンスした瞬間、「皆さんお揃いのようですね」と、いつもの妖精の声が聞こえた。慌てて振り向いてみるとやはりというべきか朝比奈さん(大)が茂みのなかから現れてこちらへと近づいてきた。 「いつの間に……」 古泉が発すべき言葉を失っている。まるで、幽霊でも見たかのようだ。その現れ方に驚いているのだろうか。そういや、お前は本人を見るのは初めてだったな。 朝比奈さん(大)は古泉に軽くお辞儀をしたあと、俺に向かった。 「早速ですが、話に入らせてもらいます。……長門さんもいいですか?」 どうやら朝比奈さん(大)は急いでいる。それに呼応するかのように呼びかけられた長門もすぐ頷いて、 「了承した。この広場一帯に不可視遮音フィールド、同時に時空干渉防護シールドを発生させる」 そのまま長門は掌を空に向けて、見えない何かを触る仕草をした。俺は当然首を傾げたが、朝比奈さん(大)は充分だというように頷き、喋りだした。確かこの人は時空震が分かるのか。古泉もなにやら納得したものがあるみたいだ。 「今日、じゃなくてもう昨日ですね、貴方たちは未来のキョンくんを見ましたね?」 俺らは頷いた。 「実は今、貴方たちの時間から数年後の世界に、ある時点で我々の勢力と別の未来人の勢力が突然ですが武力衝突します。それは大規模な時空改変の衝突です。そこで向こうの勢力は涼宮さんの能力を使って改変を行おうとするんですが……なんでその時代の涼宮さんを使わなかったのかは禁則に当たるんですいません。とにかく、この時代の涼宮さんを利用することになるんです。そこで……長門さんはもう気付いているかもしれないけど……」 と言って一端区切り、長門のほうを見たあと、 「情報統合思念体と天蓋領域が未来のキョンくんに情報操作を行って、この時間に連れてきて彼を誘導して涼宮さんが情報爆発をするように仕向けたんです」 それに続いて長門も、「気付いていた。彼の異時間同位体を確認した時点で、両方の勢力の介入を認識している」と続けた。 そうかつまりあの俺は宇宙人の操り人形だってわけか。俺は彼の取った行動が俺自身の意のものじゃなかったことを知ってどこか安心した。 「そういうことになります。ともかく今も未来のその時点では攻撃が繰り返されています。わたしも、本当なら向こうにいるはずなんだけど、特別に貴方たちに伝言するように伝えられてやってきました」 朝比奈さんの声音がいつになく真剣である。それにしても未来人の攻撃って一体どういったものなんだろうか、などと考えていると少し思い出したことがあった。 「朝比奈さん」 「何でしょうか?」 「その正面衝突って……もしかして分岐点のことですか?」 古泉、朝比奈さん(大)がそれぞれ違う理由で驚きを示した。俺としても思い切って訊ねていた。 かつて朝比奈さんが俺に伝えてくれた分岐点の存在。それが何のことなのかはまったく以て不明なのだがひょっとしてこれのことなのではないかと俺はひらめいたのだ。 やはり告げてはいけないことなのか、朝比奈さん(大)が俯いて押し黙った。 少し蚊帳の外状態にあった古泉が割り込んできた。 「ちょっといいですか、その分岐点というのは?」 あとでいいだろう、そう言おうとした矢先何と答えたのは朝比奈さん(大)だった。 「わたしたちが涼宮さんに関連して最も重要だと考えている時間上のひとつの契機です。わたしたちは全てがそれに繋がるために規定事項をなぞっています。涼宮さんに関する時間上の不確定要素も」 「そう……そうだったのですか」 古泉が興味深げに頷く。お前に言ったことはなかったか? 「いえ、まったく以て初耳としか言いようがありません」と、肩を竦めて答える。 「そうか、そうだったか……。とにかく、朝比奈さん。その衝突が貴方たちの呼ぶ分岐点なんですか?」 朝比奈さん(大)は最後の逡巡を見せると言った。 「答えは……いいえです。まだ分岐点は先の話です。決してそう遠いわけではないのですが……」 その解答は俺が前に訊いたものと良く似たものだった。近いけど遠い。遠いけど近い。そういう類のニュアンスだ。 俺はせっかく答えてもらったもののどこか消化不良気味だったが、迷惑を掛けれないとも思い頷く素振りをした。禁則事項の規制の強さは朝比奈さん(小)とも変わらないということなのか。 俺が一歩下がると今度は古泉が手を挙げた。 「ちょっといいですか」 「……え、ええ」やや声が沈んでいるのはさっきの質問のせいか。 「貴方がやってきた未来では現在形で戦闘が行われているんですか?」 「え? そ、そうですけど」 朝比奈さん(大)が驚いたように答える。どういう意味だ、現在形って。アイエヌジーか? 懐かしいな。 古泉は口元を押さえ、いつもの考え込む仕草をとった。 「その戦闘は、……貴方たちの言う既定事項、というものだったんですか?」 すると朝比奈さん(大)が急に黙った。俺にも分かるくらいどうやら核心的なことを訊ねているようだ。 「あと彼らの目的は多分この世界――いえ時間軸と呼ばせてもらいましょう――の消滅及び改変でしょう。この世界では既に、涼宮さんが大きな情報爆発を起こし続けています。いえ、断続的に少しずつ大きくなっているといえば良いでしょうか。とにかく、この世界が貴方たちの世界に繋がっていないということは容易に想像できます。それを食い止める方法を一切思いつきませんからね。しかし、貴方はここにいる。どうしてでしょうか? これは既定事項なんでしょうか」 麗しき朝比奈さん(大)は、目線を伏せたままだ。そういや、朝比奈さんは古泉に対して意味深なことを随分と前に言っていたよな。もしかして、この先関係が悪化というか何かしたりするのだろうか。古泉は挑むような視線を向け続けている。 成る程。古泉一樹、敵にまわしたくない人物、か。確かに厄介そうだ。 暫し沈黙があった。静かになって再び電車の発車の音がする。もう終電の時刻だろうか。 「どうなんですか、朝比奈みくるさん」 古泉が畳み掛ける。彼女も決心したらしくようやく面を上げて、「……言えないことがたくさんありますが」と前置きしてから話し始めた。 「敵対勢力によるこの時間への介入は確かに既定事項外です――わたしにとっては。未来から調査したときこの時間平面にはこのような異常は認められませんでした。この七夕の日は……言えませんが我々にとって都合よく進むことが既定だったんです」 朝比奈さん(大)は、少し間をおいて続けた。すでにこの段階で俺はいくつかの疑問が浮かんでいた。 「しかし事実こうなってしまいました。わたしたちの見解は、この時期の涼宮さんと七夕の日を利用することによって最大エネルギーで時空振動、情報フレアを発生させたいのだ、と考えています。あとわたしがこの繋がっていない時間軸に来られていることは、最大級の禁則です。それにあなた方にSTC理論を言語で伝えるのは不可能に近いので、言えません。すみません」 「じゃあ、本当に繋がっていないんですね?」 「……ええ」 終始、古泉は顎を擦りながら真剣な表情で聴いていた。 俺はというと、100%理解したか? と訊かれたら、ノーと答える自信はある。なんだか朝比奈さん(大)も微妙なところを答えているような気もしてくる。 長門はさっきからずっと無言で朝比奈さん(大)を見つめている。 「もしかして、この時間平面もずっと介入が続けられているのですか?」古泉が訊ねる。 「……はい。わたしたちは今、その改竄の応酬の最中にいます。ですから、長門さんにお願いして気付かれないように手配しているんです。わたしも当然狙われるので」 全くこんな話が現実のこととは到底思えないな。ようは本当に世界の裏側で二つの集団が時間を越えて戦闘を繰り返しているというわけだ。残念ながら、未来人の攻撃が如何なるものかは分からないため、そこら辺の想像のしようもなかった。 「とにかく、この戦闘はわたしたちが食い止めます。貴方たちにはその影響が及ばないようにもします。もちろん『わたし』にも。ですので皆さんには、この流れを元に戻してくれることを頼みたいのです」 なんとも無茶なお願いだ。 「前にもキョンくんには言ったと思いますが、時間を改竄するにはその時間平面にいる人を使って行わないといけないんです。憶えていますよね?」 確かに。二月のあの一週間の出来ごとは多分この先そう簡単に忘れることはないだろう。この先必要にもなるであろうし。 「ですので、わたしたちには不可能なんです、お願いします。あと今回わたしは一切のヒントを上げられません。わたしは何も知らないので。……すみません」 そう――なんですか。やはり、いつもはヒントがあるというわけか。 朝比奈さんは浮かない表情で俯き続けた。何も知らないから何も言えないのか、何か知ってるから何も言えないのか。 「よく分かりました」と言って古泉は頷きをして腕を組んだ。 「僕たちで、頑張ってみましょう――いえ、頑張らなければなりません。ところで彼女の、朝比奈みくるの時間移動には頼れるのでしょうか?」 「ええ、緊急措置としてほぼ全ての時間移動を許可してあります。申請がありしだい許可の返事を取るようにしていますので」 残念ながら、それを聞いても俺は安堵のしようがない。この際、常人離れした三人に頑張ってもらうことにしよう。俺みたいな一般人は、後ろを突いて行く役割で充分さ。 「それでは、頑張ってください。あっ! 必ず、貴方たちの時間を正しい流れに戻してください。じゃないと……困ります。では、また貴方たちと逢えることを願っています」 そう言い残して、どこかへと行こうとしたとき、俺は重要なことを思い出した。 「朝比奈さん!」 「……何でしょうか」朝比奈さんが微笑みながら振り返る。 「訊きにくいんですけど……朝比奈さん。俺たちは貴方を信じてもいいんですか? 貴方は嘘をついていないんですか?」 また風が吹いた。さっきとは打って変わって身体が凍えた。 朝比奈さん(大)もブラウスの上から両腕をさすった。 そしてもう一度笑みを浮かべた。 「信じてもらわないと困ります。だってわたしはSOS団の副々団長なんですよ?」 そう言って朝比奈さん(大)は微笑みを残して小走りで暗闇の夜の街へと消えた。 何となく、俺は追わないほうが良いような気がしてその場に立ち止まっていた。一瞬、三年前の七夕のことが頭を過ぎった。そうか、副々団長ですか。俺は内心少し安心していた。 古泉はずっと腕を組んで考えあぐねている。長門もまだ静止したままでいた。 時刻は、もう零時半に近い。高い空は以前鼠色で、街も僅かな灯りだけを残して闇色に染まっている。 そのまま放っておくと誰も喋らなそうなので、俺から口を開くことにした。 「全く、やれやれとしか形容できんな。それで、これから一体どうするんだ?」 古泉は組んでいた腕を解くと、西洋式にお手上げのポーズをした。 「流石にこれは困りましたね。正直僕だけではどうしようもありませんよ。……実は我々にはタイムリミットというものがあるんです。言っていませんでしたが」 タイムリミットか? つまりはデッドラインっていうわけか。 「ええそうです。拡大し続ける閉鎖空間が全世界を完全に覆う瞬間を我々はリミットとしました。涼宮さんの能力が完全に失われてしまっては、もう何もかもおしまいです。もちろんその閉鎖空間に全世界が覆われて、世界は創り直されるでしょうが」 そして、確かそれはもう停めようがないんだったよな? 「ええ、我々が一番大きな他の小さな閉鎖空間を吸収しつつ成長する、涼宮さん本人が存在すると考えられる閉鎖空間に侵入することが不可能なので、神人を倒してその拡大を阻止する我々の最終手段が実行不可能なんです。……まぁ、一つだけ方法がありますがそれもかなり絶望的と言えるでしょう」 何だそれは。長門もそれを聞いて驚いたように顔をこちらに向けている。もちろんその驚きが表情に表れているわけではないが。 その表情が驚いているってことが分かるのもSOS団のメンバーだけに限られるんだろうな、と俺は少し考えた。 古泉は言い淀み、口を滑らしたと反省するような表情をした。 「それは……去年、貴方が行われたように、涼宮さんをこちらの世界に戻すことです。憶えておられますか? しかし残念ながら、それは無理だろうという結論も同じくして出ています。長門さんがその閉鎖空間に入れるというのであれば話は別なんですが……絶望的なことに涼宮さんは、『貴方』ではなく、『ジョン・スミス』を選んでしまったようなので」 古泉の声はどこまでも張り詰めていて冷え切っていた。 俺はそれを聞いて心のなかに得体の知れない黒い靄が生まれたのを感じた。 どうした、俺は嫉妬しているのか? ジョン・スミスに? 何故? 分からない。 「どうかされましたか?」 古泉が意地悪く微笑んでるように感じて仕方がない。 すると今度はさっきまで貝のように口を閉じていた長門が喋りだした。 「わたし個人の意思で、涼宮ハルヒの創りだした空間に介入することは許されていない。また、情報統合思念体の主流派は観察を目的としている。わたし個人の意思が解決できる問題ではない。……弁解する」 どうしてわけもないのに長門が謝るんだ。 古泉もそれを聞いてまた腕を組んで考える姿勢をとった。全く悪夢でも見ているようだ。夢ならとっとと醒めてくれないか。 朝比奈さん(大)が来たからといって結果的に繋がるのだと期待を抱いてはいけない、ということをさっきの会話で俺たちは暗に釘を刺されていた。ようはあの夏休みのときと同じだ。 「なぁ長門。もし許可が下りたら、俺をその閉鎖空間のなかに連れて行くことはできるのか? 出来るんだったら、無理にでもしてもらわないといけなさそうなんだが」 「……それは前例がないから不明。しかし、不可能に近いことは予測できる」 驚きだ。長門にでも出来ないことがあるのか? 「ある。涼宮ハルヒの潜在的な情報操作能力はとてもわたし一人で防ぎきれるものではない。それに彼女が現在、空間内から断続的に起こしている情報爆発は今までに類を見ないほどの膨大な量である。わたしにはその構成情報を書き換えることすら不可能だと判断した」 そう、なのか。そこまでハルヒはとんでもないやつだったのか。 ということはだ。 「なぁ、古泉。やっぱり朝比奈さんに助けを求めないといけなくなったと俺は思うんだが」 というか、それしかないだろう。古泉は自分で時間移動関係には機関が無力であると宣言してしまっているし、長門も現在の閉鎖空間には無力だということを釈明したし。 古泉も小さく溜息をつき、「確かにあとはそれしか方法は残っていなさそうです」と呟いた。 じゃあ、案ずるより産むが易い。タイムリミットだってそう遠い話じゃないんだろう? 「ええ。まぁ……仰るとおりです。閉鎖空間の拡大率から計算しましたところ、この世界が現状を維持できるリミットは明日の夜九時半頃になると予想されています。確かに少ないですがまだ我々に時間はあります」 夜の九時って言ったら、ハルヒが東中の校庭にでかでかと謎の文字を俺に書かせた時刻と符合する。これも果たして偶然か。 「ではそうと決まれば、今から朝比奈さんに連絡します」 何でいつもお前なんだ? 「どうしてです? そろそろ絞り込んでいるものとばかり思っていましたが」 だからお前の言っていることはどうも分からん。 「いえ、今のは失言でした。とにかく最後は貴方がどうにかされるのでしょう? 準備くらいこちらで整えさせてもらいますよ」 「……古泉」 「何でしょうか」古泉は可笑しくてたまらないとでも言うように顔の筋肉を弛緩させている。 そんなに他人が理解できない皮肉を言っていて楽しいか? 「それこそ、何のことかさっぱりです」 まぁいい、今回は念願の時間移動が出来るんだ。満足じゃないのか? 「さぁ、どうでしょうねぇ。……失礼。…………夜分遅くにすいません、古泉です。今、彼と長門さんと三人でいつもの駅前に集合しています。……はい、そうです。そのことで話をしています。是非来してもらえませんか? ……事情はついてからということで……ありがとうございます。そこでなんですが、来られる途中時間移動の申請をしてもらえないでしょうか? ……ええ、彼が仰っていますと、お伝えください。……それでは、お待ちしております。…………ふぅ。取り敢えず、今すぐ来られるようですよ」 古泉は携帯をしまうと、俺のほうをまた向いた。何だそのよく分からん顔は。何も出てこないぜ? 長門はというと、まだどこか宙の一転を望洋していた。 「長門。ちょっと訊きたいことがあるんだが」 「……なに?」 「お前、『あいつ』が部屋に入ってくる前に扉の向こうを透視、していたよな。あのとき何か見たのか?」 確か長門は食い入るように扉を見つめていた筈だ。長門はまた沈黙を置いて、 「透視ではない。一種の遠隔熱伝導情報感知」 そんなことは残念ながら俺にとってはどうでもいい。それで何を見たのか? 「……貴方の異時間同位体。貴方も見た」 「本当にそれだけか?」 すると長門はさっきよりも長く沈黙した。 長門は俺に据えていた視線をほんの一瞬下げてから、 「……それは禁則事項。貴方にもいずれ解ること」と呟いた。 長門が俺に対して、禁則事項ってワードを使ったのは今回が二度目だ。 どうやらこれ以上は教えてくれないみたいだ。まぁ、分かるんなら別に詮索はしないさ。 ぽつねんと宙を見上げる長門を、古泉が懐疑的な視線で見つめていた。 ――やはり、このとき俺はどこか楽観視しすぎていたようだ。 もっと複雑怪奇な問題であるということに俺は気付いていなかった―― 十数分後。暗闇のなか、街頭に照らされて可愛く走ってくる朝比奈さんの姿が見えた。遠目でもいつもの私服のセレクトに怠りはなかった。 朝比奈さんは一瞬入り口で立ち止まったあと、息を整えながらやってきた。あぁ、今朝比奈さんが驚いているのは俺たちが急に視界に現れたからだろう。長門が不可視何たらフィールドを発生させていたのを俺は思い出して納得した。 「一時的にバリアの一部に進入経路を造成した」 長門がつまらなさそうに補足説明をしてくれた。助かるぜ。 「はぁ、はぁ、はぁ。……ふぅ。遅れてすみません。待ちました?」 赤く上気した顔で朝比奈さんは胸の辺りを撫で下ろしていた。いいえ、全然。朝比奈さんのためなら何年でもほったらかしのまま集合場所で待っている自信がありますよ。 「それで、許可のほうはどうなりました?」古泉が横目で俺を見ながら催促した。どうせ時間の移動をするのだから焦る必要はないと言ってやりたかったが、まぁ、それもまたいいかと俺は何も言わなかった 「あっ! それのことなんですけど……申請したら、まるで待ってたようにすぐOKって出ちゃいました。またこの前みたいにキョンくんの指示に従えって……。目的すら分からないのに、キョンくんって一体誰にとっての何なんですか?」 古泉がやはりとしたり顔で頷く。正直、何なんですかって言われてもなぁ。 とにかく俺は、全てにとって共通認識として《鍵》なんだろ、と俺は理解しているのだが。 「ええ、その認識で間違ってはいませんよ」 古泉、お前は黙ってろ。どうしてか嘲笑されている気がする。 閑話休題、長門よ。あの野郎に会ってそれからどうするんだ? 「彼に対して掛けられている情報操作の解除と、以降の介入を妨害する防護壁を彼の体内にナノマシンとして注入する」 朝比奈さんが少し口元を抑えたのを目の端が捉えた。そういえば朝比奈さんはあれを去年やったらめったら打ち込まれているからな。俺も一度されたが、またあれかあのガブリと一発。 古泉は一つ咳払いをすると、 「では準備も整ったようですので。朝比奈さん、時間移動の準備をお願いします」 「あの、一体いつに飛べばいいんでしょうか」 朝比奈さんが困ったように問いかけて、古泉はまた違った困った表情を浮かべた。俺に助けを求めるように振り返る。そうか、古泉は知らないのか。 俺は長門のほうに頷いて、さっきまで後ろのほうで控えていたところからトテトテと朝比奈さんのほうへ近寄った。 「……手、出して」 「はい」 古泉は瞳を丸くして、朝比奈さんの掌に長門が人差し指を立てる様子を眺めていた。 「あれで伝わるというのですから彼女たちは侮れませんねぇ」憚るように手で口元を隠しながら古泉が耳打ちをした。 お前だって、俺からしてみればおんなじだ。 「何を言っておられるのですか、僕たちには時間を超えたり次元を超えたりする能力はありませんよ」 「空間は超えられるだろう?」 「それも、限定的なものですよ」 つと目をやると長門は朝比奈さんの掌から人差し指を離した。 「分かりました……でもその前に、移動する理由を教えてもらえますか?」 長門はそのまま首を動かして質問を俺たちに回した。 俺には長門が無言のまま俺たちを試しているように感じた。どこか罪悪感を抱えたまま俺は長門から受け取った視線を古泉へと向けた。古泉は俺には顔を向けずどこか時間が惜しいとでも言うように朝比奈さんを真っすぐ向いて、急かすよう答えた。 「それは向こうに着いてからお教えます。とにかく今は『彼』が現れる少し前に遡ってくれませんか?」 「そう……ですか。やっぱりそうかなって思ってました」 瞼を閉じて頷いた朝比奈さんは、そのまま俯きながら掌を出して「手を、重ねてください」と俺たちに向かって告げた。朝比奈さんにはいつも罪悪感がある。俺はいつそのことを謝れるのだろうか。 「では」と断ってから、古泉、長門、俺の順で手を重ねると、誰からともなく目を瞑った。 しまった、時間移動するであろうと読んでいたのに、酔い止めを用意するのをまたしても忘れてしまった。 暫く目を瞑っているとまたしてもあの天地が引っ繰り返るような衝撃がやってきた。心なしか去年より和らいでいる気がする。慣れてしまったということだろうか? まぁ、いい。どちらにしろ、もどしそうになっているのは変わらない事実なんだからな。長門は多分平気だろうが果たして古泉はどうなんだろうか。あいつは今回が初めてのはずだ。いや、しかし鍛えているって可能性もあるな。――どうやって三半規管を鍛えるんだ? そして既に暗転している世界のなか俺の感覚が、そのほか意識諸共完全にブラックアウトした。 灰色の、天井。 目を見開いたとき、俺の身体はどこかの廊下に横たわっていた。ぼやけていたが見慣れていることから、どうもここは旧校舎のなからしい。 どうやら今回俺は前ほどは眠っていない――みたいだ。慣れたのだろうか。顔を傾かせて階段を確認する。 「あっ、今回は……その、禁則事項……の時間を短くしました。……そのほうがすぐに動けますから」 つっかえつっかえ朝比奈さんが答えた。どうやらいつもみたいに長く眠っていると支障が出るってことらしい。つまりは臨戦態勢でってわけか。 あいつが訪れた時刻を俺ははっきりと憶えていなかったが、窓の外の夕紅の景色からもうまもなくであるということは分かった。 「さぁ、もうすぐです」 俺が何故か痛い頬をさすりながら上体を起こすと、階段を上がったところの角から廊下を伺っている古泉が声を掛けてきた。かくいう古泉はゼロアワーを覚えてでもいるのだろうか。 「長門さんから教えてもらいました」 そんなことだろうと思っていたよ。俺は起き上がって服を少しはたいた。 しかし今思い返してみても、ドアがノックされる瞬間の長門の素振りがどうしても不自然だった気がする。単に驚いただけとも取れるかもしれないが、何かが違うような気がする。全くいつもこれだ。俺の脳味噌は何に引っかかっているのか全く教えてくれない。何だっていうんだ。何を『見たんだ』? 暫く廊下の端から伺っていると、反対側から歩く音が聞こえてきた。少し覗いてみると案の定、足音の主は『ジョン・スミス』だった。 何となくだが、まだ俺はその人物を俺と呼ぶことに躊躇いがあった。あいつは俺であって俺ではない。俺であることに間違いはないようだが、俺があんなことをするはずがない。縦え操られているのだとしても、だからといって彼を俺と呼ぶことを俺は素直に認められなかった。 しかし一人で来ているのか。さぁ、今からどうする。まだ『あいつ』は俺たちの存在に気付いていないはずだ。操られているからといって急に長門並みの能力が備わっているわけではないことを祈ろう。古泉は、ノックの前に『あいつ』に近寄ってその動きを止めたあと、長門がナノマシンを注入するような作戦を俺に話していた。……それにしても長門は何が言いたかったのだろう。 思い過ごしの恐れもあるが、そのあとの長門の様子からも俺はどこか不思議な感じを抱いた。放課後やさっきの集まりのときも何かを伝えたそうにしていた――ような気がする。あの俺が、情報統合思念体によって操られていると言うことだろうか。それなら既に聞いている。どうやら俺の頭のなかは去年末から長門の挙動がその多くを占めていることに変わりなかった。 ふとまた覗いてみると、アイツがもう扉の近くにまで来ていた。 ――必ず、貴方たちの時間を正しい流れに戻してください。 俺たちの前から姿を消す直前、朝比奈さん(大)は確かにそう言った。 言われなくたって、当然俺たちはそうするつもりである。その言葉になんらおかしなところはない。筈なのだが、しかし頭のなかで繰り返されるその声に脳がまたしても引っかかっていた。 古泉がゆっくりと動き出し、朝比奈さんにはその場を動かないようにジェスチャーする。そりゃそうだ、俺も異論はない。長門もそのあとを静かに追っていた。そして振り向いて俺にどうも意味有りげな視線を送った。 一体なんだ? 言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないか。溜め込むのは良くないって言ってきただろう。 そして、そのときだ。 俺の頭のなかで何かが閃いた。 確かに朝比奈さん(大)はこう言った。『貴方たちの』と。もしや――俺の身体が少しずつ震え始める。俺たちは間違ったことをしようとしているんじゃないのか? この時間移動は前とはどこか根本的に違うんじゃないのか? いや、間違ってはいないかもしれない。しかし――このままではかなり悪い、絶望的な事態になることは必至だ。 あと少しで『彼』に近づくところだった古泉に、俺は慌てて立ち塞がった。既に『あいつ』も俺たちのほうを注視している。しかし俺たちを眺めるその瞳に生気は宿っていず、はっきりと認識しているかは怪しかったが。 「おい、古泉。今すぐ元の時間に戻るぞ!」 思わず、声を荒げる。 「どうされたんです、そんなに慌てて。何か問題でも……」 明らかに古泉は困惑と不服の表情を浮かべている。だが俺は構わずに続けた。 「お前、この先の計画を考えているのか? ここであいつを元の時間に戻したあとどうするつもりだったんだ?」 「遮音フィールドを発生している」 長門が再び誰にともなく言った。ありがとよ。 「まさかだが古泉。お前が考えていないとでもいうのか?」 「ですから、また前の時間に戻れば……っ!?」 古泉の目の色が変わる。顔からも血の気が失せていく。 「お前も気付いたか。そうさ、いつの時代もSF作家がどうしてもぶつかったところだよ。タイムパラドックス、それが全然解決していない」 「……つまり、我々が戻ったとしても……向こうでは何も変わっていない。もしくは、別の我々が平凡に暮らしている。しかも変わるのは『この時間』の我々であって、僕たちではない……。しかし我々の過去では、彼が来ている…………僕としたことが。どうやら大きなミスを仕出かす所だったようです」 「ああ、そういうことに……なる、な。」 どうやら瞬時に俺が考えていたこと以上を理解したようだ。悔しいが認めようじゃないか。 古泉は恥じるように頭を左右に振ると、身を翻した。 「それでは朝比奈さん」 「ふえっ!?」 どうも朝比奈さんの反射神経は声にも繋がっているようだ。 「また、前の時間に戻れますか?」 「俺からもお願いします」 『あいつ』は、ノック寸前の状態でもまだこちらを見つめていた。 その『彼』の姿はどこか老け込んだようにも見え、機械的な瞳にまるで意思を奪われているようにも見えた。俺は未来を護るために『そいつ』を叩き起こさなければいけない。 「……じゃあ、キョンくんの指示には従えといわれていますので……手、お願いします」 掌を差し出した朝比奈さんの表情にも翳りが見えて、ますます申し訳なさを俺は感じた。今回ばかりは朝比奈さん(大)よりも俺たちのほうに非があるのかもしれない。 俺たちは、体内時間的にはほんの数分前と同じように朝比奈さんのそのちっこい掌の上に手を重ねてから瞼を閉じた。 「行きますよ?」 意識がまた飛ぶ直前、慣れた部室の扉をノックする硬い音が微かに聴こえた。 暑い、茹だるような暑さだ。俺はお天道様に釜茹での刑を処せられているのかね、罪状を教えてくれよ。 蝉は所狭しと樹に群がり喚き続け、太陽は首筋を直に燻り続けている。この身体から大量の塩分を奪っていく大粒の汗も、止め処なく流れ続けていた。 谷口のアホ話も俺にしてみれば、蟲や街の夏特有の喧騒と何ら変わりはなく、俺の両耳はそれらを自然とシャットアウトしていた。――塞ぎ切れない音に苛々感が募るわけでもあるが。もうだいぶ慣れたと思っていた光陽園駅からのこの坂道も、唯一この季節、夏だけは例外のようで俺は倍以上の時間を歩いているように感じた。いや、歩かされているのか。 しかしどうしてもこいつに俺は憐憫の目をやってしまう。一度隣で喚く谷口を頭の上から足のつま先までなめてからもう一度溜息をつく。断っておくが、俺はこいつの能天気な頭を特別憐れんでいるわけでも嘆いているわけでもなく、『何も知らない人々』たち、一般ピーポーの最も身近な代表への憫れみを込めた視線、だと言っておこう。 訪れるであろう、涼宮ハルヒによる不可避の世界崩壊。それが一体どんなものになるかは皆目見当がつかないが、頭のどこかでそのまるで黙示録のような予言を『リセット』と結び付けている自分がいた。ゼロからのやり直し。ただゲームと違うところは、次の世界がどうなるか全く未知数だということだ。その全ての根源であるハルヒの閉鎖空間はとどまるところを知らず、拡大の一途を辿っている――という話だ。 つくづく、凡人はいつの世も可哀想である。一方的に巻き込まれ被害者としかならないのだから。そして残念ながら俺がもう凡人の域を超えていることは去年来から知っている。偶に自分の位置づけがごちゃ混ぜになっているって? 人間っていうのは自分にとって都合のいいことしか受け入れられないものなのさ。確かに俺は一般人ではある。しかし同時に世界の裏側を知る人間でもある。一般人とそうでない人間の区別と定義なんてものは、それを推考する角度からによって幾重にも変わるものなのさ。 乱暴に靴箱から上履きを落としてそれに履き替えたあと、俺は谷口の一方通行独白を先頭に教室を目指した。 それでも今の世界がなくなりますよと宣告されているのにこうして学校に登校する俺はどこかシュールでもある。今まで散々非現実と向き合ってきたが、今回は度を越して異常だ。今から数時間後に世界がなくなります分かりましたか、と訊かれて、はいそうですかそれは大変ですねなんて本気で浮世離れたことを言える能天気がいたら俺の前に連れて来い。SOS団に推薦してやる、団員その一のお墨付きだ。 教室に入って軽く挨拶を交わしたあと俺は自席に座りながら、習慣として真後ろの座席を確認した。言われなくても分かっている、今日あいつは欠席だ。そしてこの教室内でその理由を公言できる人はいないだろう。 当然俺もだ。そんな勇気などない。涼宮ハルヒはこの世界から消失しています、だから学校に来れませんなんてな。 それでもこの非日常に四方を囲まれた日常は、何も目にしていなかのうように過ぎて行く。 教師たちは今日も長々と読経をするように授業を続けていた。皆は、というとそれでも試験の点数は至上らしい。残念ながらこの世界の住民は試験の当日を迎えることはない。けれど今の俺にはその滑稽さを笑っていられる余裕さえ持ち合わせていなかった。 そんな当に地球を離れ木星軌道まで吹っ飛んでる俺の思考がこの授業に集中しているわけもなく、昨日の――正確には今日のえらい早くの出来ごとを俺は何度も何度も思い返していた。 朝比奈さんのおかげで出発した時間の少しあとに戻ることの出来た俺たちはそのまま暫く黙って公園の段差に腰掛けていた。一様にえらく疲れた顔をして、あの古泉もまともに疲労困憊であると表情に出していた。長門はどうか分からないが。 突然呼び出されて過去に行けと言われ、行った先で今度は戻れと言われ、やや不服ながらもどこかきょとんとしていた朝比奈さんだったが、事情を説明すると流石未来人らしく早く飲み込んでくれた。ようは、あのままじゃ俺たちがあいつらの立場になることは永劫出来ない、と言うことだ。それが『貴方たちの』という意味。 つまりはこの世界にはたくさんの俺たちがいるということなんだろう。それぞれの細かい時間平面のなかにいる自分たち。そいつらは全員同じで全員違う。決して相容れない――時間的に。というのはあくまで俺と古泉の考え出した暫定的なタイムパラドックスの障害である。本当のところ未来人から見たらどうなっているのかは全く分からない。 とにかく俺たちは別の方法を考えなければいけなくなってしまった。もしくは、あの展開から更にどうするかを。 少し今後の動きについて話し合ったあと、今日の放課後に再度集合ということで解散になった。 今の俺がやや寝不足気味なのは、真夜中に色々ありすぎて、ありすぎたうえに寝れていないからだ。これでも俺の身体は健康的な昼型であり普通に睡眠時間を大量に必要とする。寝ている時間が短くなればなるほど、朝の負担も比例して大きくなるのだ。当たり前のことだって? それは言うな。 やっとの思いで欠伸を噛み殺した俺は、少しでもノートに向かう姿勢をとった。寝ているよりは随分ましだろう。――何かいい考え、思いつかないもんかね。 朝比奈さん(大)はああは言ったものの、何らかのヒントは出ている筈だと俺は思っている。現に彼女の呟いた何気ない言葉は俺たちに誤った道を進ませることを止めさせた。いつもの通りたいして当てにならない勘ではあるが、この状況で常識だけで動くのはもう逆に場違いという雰囲気もする。 結局長門が何を伝えたかったのかは分からない。俺の行動のことかもしれないし、この先の危険のことかもしれない。もしかして『観察が目的』が理由で葛藤してるんだったら、考え直させないといけないな。 とにかく何らかの、もしくは誰かの仕組んだ既定事項通りにことが進んでいる可能性がある。先に教えてくれたら、わざわざ行かなくても済んだものを、何てなことを俺は別にぼやきはしなかった。そのときに教わらなくて、進むことが必然なのだから。 適当に昼飯を食い、適当に授業を聞き流し、適当に掃除を済ませるとあっという間に放課後、俺は文芸部室へと足を向けた。俺の親はしきりに言う。若い頃は勉強の毎日などただしんどいだけかもしれないが、大人になったら分かる、勉強ほど楽なことはないと。 早々と時間が過ぎ去って行った理由は、全く特筆に値するアクシデントが起こらなかったってことだ。全世界切羽詰っている筈だが、古泉から休み時間ごとのミーティングなんて無かったし、長門が不変の表情のまま天地が引っ繰り返りそうな爆弾発言をすることもなく、鶴屋さんから可笑しくなった朝比奈さんの子守りを手伝ってもらう要請もなく、ただただ平凡に過ぎた。おいおい、緊張感の欠片もないぞ。 生徒会はまた何か退屈しのぎを吹っ掛けてくるのだろうか、と俺は部室までの道中ふと思い出した。どちらかというと今期が、あの陰謀色の強い生徒会の豪腕が発揮されるときでもある。――全くそれどころじゃないのが現実ではあるが。 躊躇なく扉を開けると、既に俺以外のメンツが揃っていた。ノックをしなかったのは朝比奈さんがメイド服に着替えていないと読んでのことだ。 「こんにちはぁ」 「あぁ、どうも」 朝比奈さんに挨拶を返して、俺は古泉の対面に腰を下ろすとその表情を伺い見た。多分こいつは今朝、一睡もしていないんだろう。何となく雰囲気からそんな気がした。普段は口を利くことも無い九組の奴らからわざわざ話を訊ねまわったのも、古泉が珍しく遅刻をしたからだ。予想だが、機関は臨戦態勢のままだったのだろう。 張り詰めていた緊張が一瞬で解けて、一気に飽和でもしたような表情を古泉はしていた。 「それで、何か良案を思いつかれましたか?」 溜息混じりに古泉が訊ねてくる。声には張りがなく、どこか一気に老けてしまったように俺は感じた。お前の男前の顔に翳りは似合わないぜ? 「いいや、全く思いつかない。俺が思いつくほどの簡単なもんならお前でも長門でも、もう思いついていてもおかしくないさ」 「これはこれはご謙遜を。貴方はいつも僕たちが驚かれるような手段を見せてくれるではないですか。ねぇ、長門さん。そう思いませんか?」 「違いない」 まったく、長門もどうした? 褒めてもポケットから飴玉は出てこないぜ。 「いえいえ、貴方ならきっと良き、我々をあっと驚かせてくれる策を出してくれると信じています」 まるで教会の神父が礼拝をサボる子供を諭しているみたいだな――無視することにしよう。 「それで、朝比奈さんは何か分かったんですか?」 俺は言外に、時間関係を匂わせた。時間移動に関しては朝比奈さんに訊くのが常套であり、古泉と睨めっこをしていて答えがポロリと出てくる問題ではない。 朝比奈さんは答えることを逡巡しているように見えた。 「キョンくん……どこまで、わたしが言えるのか分かりませんけど……わたしには今回、ほとんど情報を与えられていません。それに……そのTPDDだとか、そのほか時間移動に関わることはわたしの権限では何も言えないんです。何も漏らせないように操作されてるんです。だからその……キョンくんたちが考える矛盾、とかについてもわたしは何も教えることは出来ないんです。それが……決まりだから」 朝比奈さんは俯きながら決まりが悪そうに応えた。毎度毎度思うが、やっぱり朝比奈さん(大)は自分の若い頃に厳しすぎるだろう。 朝比奈さん(大)の考えだとは思うのだが、それでいても今の朝比奈さんに何らかの権利を与えてもいいと俺は思う。確かにおっちょこちょいな一面はあるからうっかりで口を滑らすこともあるかもしれないが、朝比奈さんは俺が知りうるなかで一番真面目な人でもある。だからそういう心配は無いんじゃないかとも俺は同時に思っていた。 とそこまで考えたところで、一瞬頭のなかを――そう、影とも形容すべきものが過ぎった。朝比奈さん(大)が朝比奈さん(小)に厳しすぎるわけ――。 もしかしてそれは、『わたしが今のこの子の立場だったときに、わたしはわたしに会っていないもの』じゃないんじゃないのか――? 俺は今の朝比奈さんの顔に、俺が前に見た両方の朝比奈さんの憂いを帯びた表情を重ね合わせてみた。もしかしてそれは――彼女を助けようと、自分と同じ道を辿らせないようとしている? 「ただ、いつもの事例からしたらどこかにヒントはあってもよさそうなんですけど」 もう一度口を開いた朝比奈さんに俺ははっとさせられ、意識を戻した。誰も俺に注意を払っているようには見えなかった。さっきの考えは忘れよう――。 俺は部室内の沈黙に、やはりそうなのか、と朝比奈さんを除いた三人の心の声を聴いた気がした。どこかにヒントはある。 またしても手詰まりと言った雰囲気が部室に圧し掛かると、今度はその沈黙を破るように長門が急に喋り始めた。 「ただ、導くことは可能」 長門はさっきまで上げてた目線をいつもの膝上に落としたまま続けた。 「確かに貴方たち未来人は自らの手では、未来を創造することは出来ない。何故なら自分たち自身がその未来に属し、故に自分たちの干渉が時間平面の前途に影響を及ぼせないから。しかし自分たちが所属する未来へ、過去の人々を偶然としか思えない方法で利用して時間及び世界の方向を誘導することはいとも容易。何故なら貴方たちは幾度にも試行錯誤を繰り返すことが可能だから。そして貴方たちはその誘導によって、涼宮ハルヒに関する全ての重要不確定要素を、確定し自分たちの未来へと接合させることを命題としている」 長門が語ったそれは俺が今まで聞いてきた断片的なことを纏めたものだった。言っていること事態は俺が今まで聞いてきたことと同じのはずだで初耳というわけではなく、さほど新鮮味はなかった。だが朝比奈さんは小さい身体をやけに縮こませ、古泉はなぜかしたり顔で頷いている。まるで、自分の理論が実証されたときのような学者だ。 長門は最後に俺のほうに顔を向けて告げた。 「そして貴方がそのなかで最も重要になる鍵。貴方自身に時空間に影響を及ぼす特別な能力は無いが、貴方を導くことが彼女の不確定要素を確定させる重要なプロセスになり、ファクターだから。つまり言い換えると全ては貴方の行動次第。そしてそれが結果、偶然既定事項に沿っていることとなる」 今度は俺は今の長門のモノローグに去年の映画撮影のときの不思議な感覚を思い出した。確かあれは俺が長門と古泉のダイアログを撮っていたときに感じていた気がする――。 そしてそのまま長門の後半の独白は冬に朝比奈さん(大)から聞いた事象についての説明とも符合した。 「もしかすると、ヒントはここ最近出されたというわけではないのかもしれません」 思いついた、という風に手を打った古泉は流れ始めた変な空気を断ち切るかのようにそう切り出した。 「……なるほど。つまりは長い伏線というわけだな?」 「それを貴方に言われてはやや興醒めですが……。それに、あの時点ではまだ間違ってはいなかったのかもしれません」 確かにその可能性だってもちろんゼロではない。実のところ俺が思うにそれ以外の方法自体が思いつかない。だが問題はそこから先であり、どうやって俺たちがその時間軸に入り込むか、にある。 「何か手掛かりとなるようなことを思い出せませんか? 去年のことであるとか、時間移動に関してであるとか。我々に残されたタイムリミットはあと――どうやらあと五時間弱しかないようなんです」 そうみたいだな。部室の時計――これはハルヒが持って来た訳ではない――をチェックしたあと、俺は去年の記憶を掘り起こし始めた。 朝比奈さん関連で挙げられるとしたら、まず俺が初めて朝比奈さん(大)に遇ったとき。朝比奈さんに連れられて中一の七夕に時間移動したとき。エンドレスサマーのときの朝比奈さんの切実な告白。映画撮影のときのこぼれ話。――冬の一連の朝比奈さん関連事象、ぐらいだろうか。 それでは整理だ。映画撮影は除いても良いだろう。朝比奈さん(大)に始めてあったときは、多分そのすぐあとのハルヒとの閉鎖空間事件の予告が目的だったように思う。エンドレスサマーのときも、朝比奈さんは泣き喚いていたが俺の記憶が正しければそれらしい示唆は無かったはずである。 つまり残るのは七夕のときの時間移動と、冬の下旬の『朝比奈みちる』事件の二つってわけか。 「その判断が妥当でしょうね」 だがそうなれば残念ながら古泉は更に無関係だ。古泉の顔が自分にはどうもしようがないということを、またしても愁いでいるように見えた。しかしどこでそのヒントは提示されたのだろうか。もしかすると七夕の出来ごとのほうが、ある種重要なのではないだろうか。特に日付が日付だし、冬の出来ごとのときは散々因果応報や辻褄を叩き込まれた感じがある。確かにそれも今の俺らなりの理論の柱にはなってくれているが。とにかく順を追うことにしよう。 「まず、朝比奈さんが俺を呼び止めて中学一年のときに時間遡行した」 「はい」朝比奈さんが頷く。 「そのあと俺はハルヒの線引き係を背負わされる。そしてそのあと何故かTPDDを紛失してしまう」 「ほんと……何ででしょうか」朝比奈さんが頸を傾げる。 「が、それでも長門を頼りにして戻ってくることが出来た……」 以上である。一体どこで? どう考えていっても袋小路だ。どこにも解が見当たらない、懐中電灯を落としたわけでもないのに。 過去に行って帰ってきた、ただそれだけである。非日常すぎて、俺が付け込む隙が見当たらない。だが――俺は何か疑問を感じてはいなかったか? 何か腑に落ちないことがあったんじゃなかったか? そのときじっと考えていた古泉が突然、あっ、と叫んだ。 「そうです! それですよ、それがヒントであり答えだったんです」 「待て、何がだ?」 「僕もはっきりと記憶していますよ、チェスの最中に貴方が僕と長門さんに訊ねられたこと。貴方が疑問に思われていたこと。それが、アンサーです」 古泉が勝手に探偵役を演じている。おい、誰の頭にもクエスチョンマークしか浮かんでいないように見えるのは俺だけか? 長門は空虚な瞳で古泉を見つめていた。古泉だけを切り取ってみれば先が拓けたようには見えるのだが。 「待て待て、俺は全然追いついていないぞ。俺が一体何を言った?」 「ええ、貴方は言いました。この事態を解決する作戦の根拠となる事柄を」 古泉がこちらを見て微笑んでいる。気持ち悪い、やめろ、あっち向け。そして俺は一体全体何を言ってたのかね。 「取りあえず、早速時間移動を始めましょう。朝比奈さん、時間の座標はこの前と同じでお願いします。……いや、それの少し前で、空間座標は校舎内の反対側でお願いします」 「あの、待って下さい、わたしにもさっぱりなんですけど……」 言わずもがな俺もさっぱりだ。全く理解できない。まるでマイナスをマイナスで割るとプラスになると教えられてパンク寸前の中学生のようだ。はたまた自乗してマイナスになる数を考えろと正反対のことを言われてしどろもどろしている高校生か。 「大丈夫です。貴方ならすぐ理解されるでしょう、もちろん朝比奈さんもです。それも分かるんだから仕方がない、としか」 「……それじゃあ、準備はいいですか? 行きますよ」 渋々、と言った表情で朝比奈さんは三度掌を出した。そうだったな、確かに俺は面倒なことは異能力者たちにやらせておけばいいなんて言ってた気もするぜ。俺は尻尾をふっときゃ良いってか? もうそんな位置に甘んじていられないと叫ぶ俺もいるのだが。 二度あることは三度ある。同じく三度目の正直とも言う。しかし――三度目も越えてしまったものは、ただ繰り返すだけなのさ。 何がかって? 酔い止めのことだよ。 くっ、来た―― 俺を引っ張る力が奪われ世界の上下が引っ繰り返ったような感覚がしたあと、再び俺の背中は旧館の廊下に吸いつけられていた。万有引力と重力に感謝。 窓からのぼやけた西日が眩しい。それのせいかもしれないがまだ少し眩暈と頭痛がする。俺だけ規制が強くないか? 同じく『現地人』である古泉よりも。 行動を拒否する頭を支えながら起き上がった俺を、朝比奈さんが袖を掴んで奥に引っ張り込んだ。古泉がそばで「我々は僕たちを見ていないでしょう?」と、分かる人には分かる補足説明を耳元でする。待て、まだ意識が朦朧としている。まるで朝に弱い低血圧の人みたいだ、はたまた爬虫類か。 「まもなくです」と、古泉が囁くと長門が何かを感知したように面を上げた。 そういやさっきからちょっとだけ長門の影が薄かったかな。積極的に喋ろうとしないんだから仕方が無いか。あとでもっと喋るように進めないとな。 どうも頭がふらついて関係のないことを考えてしまう。 「来ましたよ、我々が」 俺は反対側から見つからないように気をつけて覗くと、朝比奈さんに頬を叩かれている自分を見た。なんですと! 俺は後ろを振り返って、朝比奈さんの照れた顔を俯かせて「すみません」と小声で謝るのを見つめた。いやいや、大歓迎です! 畜生、羨ましすぎるぞ俺! どうやら俺は、意識が無いうちに朝比奈さんに度々何かをやってもらっているらしい。くそ、もしそのときに意識さえあれば――。 俺がまた関係なく一喜一憂しているのも束の間、今度はこっち側のドアが開いて悠々と未来の俺が舞台に登場した。 「成る程そういうことでしたか」 古泉がまた何やら勝手に納得している。一体何がだ。勿体つけず、教えてくれ。 「いえいえ。ただの戯言です」 古泉は微笑みながら答えた。余裕の笑みともとれる。――それにしても『あいつ』、俺たちの目の前を素通りして行ったぞ。 「不可視遮音フィールドを発生している」 またしても、ここ2日間耳にし続けている長門の科白だ。考えてみれば随分と反則的な技だな。それを使ったら何でもかんでも辻褄が合う何てことは言うなよ? それより、そのフィールドを使っているんだったら俺たちは特に隠れる必要はないんじゃないのか。 「さて、ここからが正念場です。ここで我々が行動に出なければ未来……この時代の僕たちにとっての未来は変化しません。ですが、行動を始めた瞬間、そこから始まる世界は我々の体験したものとはまったく異なる世界となります。違う世界へ、この場合は未来ですがそこへと繋がる道を開拓できさえすれば、これより続く過去もそちらに流れることになるでしょう」 今一後半部分がよく解らないが、ということはそれもうあの俺たちに見られてもかまわないってことか? 「それは行けません。彼らにもこの未来を辿ってもらわなければ行けない。部室内の我々はこの先の未来を進み、向こう側にいる我々はもう一度七月八日の未明に戻ることになるでしょう。繰り返しますが、僕たちが最初にこの時間に来たとき――つまりは彼らの立場であったとき――今の僕たちを見てはいません」 古泉は満面に微笑を浮かべている。我々の勝利です、と今にでも言いそうな口をしている。少し、考えさせてくれ。 「……待ってくれ、つまり……あの俺たちは俺たちなんだから――そうか、そこであの俺たちはまた俺たちと同じ道筋を進んで、そこでようやく全ての俺たちが未来人たちの望む未来を辿ることになるってわけか! そうなんですね、朝比奈さん」 「ふえっ! そ、そんなの禁則事項に決まってるじゃあないですかぁ」 突然名前を呼ばれて朝比奈さんが悩ましく身体をくねらす。あぁ、それ以上はダメです! 古泉はそれでも満足げに頷いた。 「そうですよねぇ。言えないに決まっていますよね? ですが僕は確信しています。彼の体験と行動、その全てが未来人の既定事項に沿っていることは長門さんが証明してくれてますしね。さぁ、彼らがもといた座標へ時間移動したあと、すぐに行動に移りますよ」 「なぁ、古泉?」 「何でしょうか?」 何か知らないがまるで策謀どおりに敵陣が動いて密かに歓喜している冷徹参謀長みたいに活き活きしているな。 「そう見えますか? まぁ、自分が参謀であることはやや自負していますがね。なにせ、」と古泉は胸を叩き、 「副団長ですから」 と言った。そして俺たちはニヤリと笑いあった。 そのあと俺たちは廊下に出て、彼ら――俺たち――の行動を見ていた。流石長門というべきか、あのとき遮音フィールドしか展開していなかったのは――どちらにしろ俺には感知できないが――今この状況にいる俺たちが彼らの行動を見られるようにするためだったのか。 「……その可能性はある」 ん、長門にしたら随分と不明瞭な答えだな。 「…………」 長門は答えなかった。まぁ、それでもいい。答えが一つ、なんてことは実際問題俺たちにとっては全く関係ないからな。 しかしはたから見ていると、俺の行動は実に滑稽だ。それと同じくらい俺を客観的に見ていることも滑稽と言えるが。新年明けて早々俺は瀕死状態の自分を目の当たりにしたが、あのときとはまた違う感慨がある。一切の声が聴こえてこないのもまるで、昔の白黒のコメディ映画を見ているようだった。 古泉のほうを覗き見ると、同じく腕を組みながら興味深そうにもう一人の自分をまるで細胞の動きを観察するように見つめていた。 「何故、あのとき貴方に言われるまでタイムパラドックスに気が付かなかったのか、改めて思い返してみると不思議でならないですね」 ポツリと呟く。知らん、誰かさんの陰謀かもしれないぜ。脳内を操作したとかさ。 「それは……お断りしたいです」 「もうすぐです……!!」 朝比奈さんの声がした丁度そのとき、今まで俺たちの目の前にいたもう一人の俺たちが忽然と消えた。 何故だ、まだ手を重ね合わせていなかったぞ? まさか――。 「……禁則事項だから」 長門の何とかフィールドか! 「長門さん、急いで!」 古泉が思い出したかのように声を荒げる。『あいつ』はノック寸前だ。その音を、鳴らしてはいけない。 「了承した」 体育祭のときに見せたような超高速ダッシュを長門は披露して、あっという間にあいつの腕に歯を立てていた。俺たちも急いで長門の後ろに集まった。 「全て終わった」 暫くして、長門がそう囁いた。長門が身を引くと、途端に未来の俺にその変化が現れ始めた。 そいつの虚ろだった瞳にはどんどん生気が宿っていき、自分でも「そいつ」の焦点が合い始めるのが分かった。「おうっ!!」ようやく目醒めたか。 「やっと元の状態に戻られましたか。どうやら未来の貴方も現在の彼とさほど変わりが無いように見受けられますね」 「お前は……古泉? それにしては、随分と若いが……待てよ、俺はどうしてこんなとこにいる……まさか――ここは過去か!!」 おい、未来の俺。そのリアクション、自分で見ていると随分恥ずかしいぞ。 「そうか……ここは北校か」 「そうです、ここは貴方がもと居た時間から遡った時空間です。しかし……何も憶えておられませんか? 貴方が何故ここにいるのか」 古泉は丁寧にも敬語を使って未来の俺に訊ねかけた。暫く彼はそのまま腕を組んでいたが、溜息を吐きながら解いた。 「いや悪いが古泉、皆目見当がつかない。……もう一度訊くが、俺は過去にいるんだな?」 古泉は頷き返した。 「……やはりそうなのか。すまん、何も思い出せそうにない。だが……いや、いい。ただの記憶違いだ」 「もしかすると、何も憶えていないのではないかと思っていましたが、やはりその通りでしたか。実はですね……」 古泉が俺たちの置かれている状況を説明し始めた。 それにしても、見ている限り未来の俺はどうやら時間移動自体にはさほど、ショックを受けていないように思える。俺だって初めての時間遡行にはドキドキハラハラ――笑ってもいいぞ――したが、こいつは最初自らの境遇に驚いたあとは至って平然とそれを受け止めている。ひょっとして――いや、したくない想像はやめておこう。ただでさえ今、目の前にいる未来の俺は、今の俺に静かにその境遇を物語っている。 どうやら、何年後かの俺もまだまだハルヒに振り回されるようだ。 全く、嬉しいやら悲しいやらどっちか分からんね。いや、悲しいか、前言撤回。 とそこで思考を止めると、どうやら古泉が長門を交えての現在の状況と送り込まれてきた理由をあたかも演説の如く説明し終わったらしく、未来の俺は再び腕組みをして思案顔になっていた。俺はこんな顔になるのか。 だが一言、「成る程な」と言ったあとどうやら合点が行ったようで、 「そろそろ来るな」 とだけ呟いた。さて、何が来たと思う? 勘の良い奴なら分かるだろう。俺はそれに軽くデジャブを憶えた。 俺たちの頭の上にそろって軽くクエスチョンマークが浮いていたとき、まず俺の隣で変な声がした。 「ふえっ……」 さっきまで隣にいた朝比奈さんがその場に崩れ落ちる。既にその意識はない。そしてそのあと今度は後ろから突然声を掛けられた。 「迎えに来ました」 誰であろう、朝比奈さん(大)の再登場である。 「思った通りちゃんと未来を繋げて下さいましたね。感謝しています。この世界が未来から観測……確定されましたから」 「朝比奈さん、どうやら俺は操られていたようですね」 朝比奈さん(大)の微笑みに未来の俺が苦笑いをして歩み寄ろうとしたとき、二人の間を古泉が遮った。背中を彼に向けて、未来からの来訪者を真っ直ぐ睨む。 「すいません、朝比奈みくるさん。貴方に大事な質問があります。貴方は、一体どこまで知っていたんですか? もしかして我々は踊らされていただけ、なんでしょうか」 声が真剣味を帯び、瞳もいつぞやの森さんの怜悧なそれのまま挑んでいた。これが機関の本領と言ったところか。 廊下の空気が急激に重苦しくなって、誰もが口を閉ざした。もちろん古泉が疑心になるのも理解できる。 どうでもいいがここで誰かが部室から出てきたらそれこそ阿鼻叫喚かもしれないな。――いや、そんなことは無いか。まだ、長門はあの不可視遮音フィールドを張り続けているんだろう。全く反則だ。すまん余談だった。 朝比奈さん(大)は諦めたのか小さく肩を落とすと、 「どうやら貴方たちに信頼されていないみたいですね」 と静かに言った。 いえいえ滅相も無い、これは全部古泉の虚言でして――。 「いえ、仕方がないことだと思います。今まで何も明かさずに来ているのでわたしに不信感を抱いたとしてもそれは当然のことでしょう」 そんなことを――貴方から言われたら俺たちに返す言葉が無いじゃないですか。 俺が不安げにいると、見かねたのか未来の俺が「やれやれ、」と間に入ってきた。 「おい、古泉。お前はそんなに疑り深い奴か? いい機会だからこの時代の俺にも言っておいてやる。いいか、朝比奈さんの言うことは信じろ。未来の俺が言ってるんだ、それくらい信じてもらいたい」 古泉の目は「ですが」と言いたげだが、あいつは構わずに続けた。 「朝比奈さんはお前たちにヒントを与えにこの時代に来てくれている。それだけでいいだろう? そこは割り切れ。もし踊らされているんじゃないかって疑心暗鬼になるなら、言っておいてやるぜ。これから先お前たちは毎回毎回、立ち往生することになる。言葉の真意を真っ直ぐに受け止められなくて、要らない深読みばかりして必ず間違うことになる。だからこそ、」 俺は唾を飲んだ。どうしてか分からないが未来の俺に俺自身が圧倒されている。 「朝比奈さんを疑ったりしないでくれ。朝比奈さんは何も悪くない。行える範囲、規則内で最大限の援助を俺たちにいつもしてくれていたんだ。いや、してくれているんだ。そして……これからもだ」 未来の俺は優しい眼差しをしていた。あいつがこっそり、「確かこんなんだったかな」と言ったことに俺は全く気付いていなかった。 「あ、ありがとうございます……キョンくん」 「いえいえ、俺はこいつらに本当に大事なことを理解させてやったまでですよ」 古泉はというとすっかり言い含められて反論でもあるかと思ったが、それでも殊勝な顔つきで未来の俺を見ていた。 「貴方が彼のようになるのだと思うと、とても頼もしく心強く思いますよ」と俺に囁く。 合わせて俺に微笑む。そうかい、そうかい。 長門はというとさっきからずっと見た目はフリーズしたままだ。どうやらこの様子を長門なりに観察してはいるようだが。 朝比奈さん(小)も廊下に蹲っている、というかもう寝息を立てている。そんな様子を朝比奈さん(大)はちらりと一瞥したあと、俺たちのほうに向きなおった。 「未来のことを口にしてはいけませんが、貴方たちがこれから正しい道を進むことが判明したのでわたしたちはとても安堵しています。もうこれからどうすべきかは分かっているのでしょう? 古泉くん」 「ええ、承知の通りで」 そういや俺はまだこれからどうするかを一つも聞かされていないぞ。ただただ無理矢理連れてこせられただけなんだが。 「いえ簡単なことですよ。まぁ、朝比奈さんにも一つお願いすべきことがありますが」 「何でしょう」 朝比奈さん(大)が顔に浮かべた笑みは、どうも全てお見通しですよと俺たちに語りかけているように感じた。 「今この壁を挟んで向こうにいる、朝比奈みくるに命じて欲しいのです。そこにいる僕、彼、長門さんを連れて過去に時間移動してくださいと」 本当か? 古泉の案は俺を久々に驚かせた。一方で朝比奈さん(大)はというと首を深く縦にしていた。 「朝比奈さんは僕たちに言っています。この七月七日は我々――未来人のことですね――にとって都合よく進むと。しかし実際はそうはならなかった。そこで僕は考えました。彼女は未来から結果としての過去を知っての発言だったのだと」 結果としての過去ってどう言う意味だ。 「つまり、朝比奈さんが見たのは、上書きされた時間だったと言うことでしょう。言ってみればこれも一つのヒントですね。だったらやはり我々がこの時間の上塗りをするということです。そこで重要だったのが『都合よく進む』の意味です。それは何事も無く平穏に済むとはまた違う意味を持っているのだと僕は解釈しました。そして結論に至ったのです。彼らは時間移動をするのだと。そして多分それは僕たちのお願いで朝比奈さん、貴方が命令されるのでしょう」 「ええ、その通りです。でもまさかこんな裏の事情があったなんて知りませんでしたけどね」 「何時に時間移動させるかはお任せいたします。多分それでも当初の予定はあるでしょうから。とにかく、方法は一つしかありません。既に我々の異時間同位体が居る時間平面に僕たちがすまし顔で入るにはどうすればよいか。簡単なことです。彼らに立ち退いてもらえればよいのです。但しそれと気付かれずに」 それが去年の七夕の事件と繋がるのか。 「まぁ、繋がるといいますか、発想を得たといいますか。本物の未来人を前にあれこれと我々の空想論を語るのは些か気が引けますが、例えば……貴方が帰ってきたと最初思われた七月七日はやはり別の時間軸の七月七日であるとか。貴方が体験された時間移動は過去に行って現在に戻ってきたのではなく、過去に行ってそこで三年間を体感時間で言うと一瞬で過ごしたものであるとか。何故そうする必要があったのかは多分僕たちには判らないでしょうし、今言ったことが全て真実であるなんて言う保証は全然無いんですけどね。悲しいものです。とにかく貴方は別の時間軸の住民になる必要があった。それだけです」 お前言っていることは悲観しているようだが口角上がってるぞ。そう講釈を垂れるのもいい加減にしてくれ。俺のなかの何かが爆発しないうちにな。 「唯一つ僕が言いたいと思っていることは、」 まだ続ける気か、と俺が思った瞬間、その古泉の言葉を紡いだ奴がいた。 「過去は一つだが未来は一つではない、だろう? 古泉。ある意味当然とも言えるが」 たった今、部室から朝比奈さん以外が全員出て行った。朝比奈さんはそのあとにいつもの着替えがあるからな。 古泉はパラドックスがどうのこうのと交えながら、朝比奈さん(大)にこの部室内から四人で飛ぶという命令を朝比奈さんに打診してもらうよう言っていた。 何で部室内からなんだと俺が古泉に訊くと、制服が一揃い増えていたら怪しまれませんかと訊ね返しててきた。よく分からないが、増えるんだったらそっちのほうが良いなぁと俺は言ってやったが。古泉は笑い半分困惑半分が入り混じった表情をした。打診する瞬間は朝比奈さん(大)は俺たちの視界から外れた所で打診したため、一体どういったプロセスなのかは依然謎のままだ。とにかく頭のなかの何かで通信しているであろうことは、これまでの長門や朝比奈さん(大)の説明から予想できる。 眠らされている朝比奈さん(小)はそのあと寝たまま身体だけを起こされ、今は壁にもたれかかって寝ている。相変わらず、朝比奈さん(大)はその頬を突いていた。 どうやら、『俺たち』はハルヒを怪しませないように一緒に学校を出たあと、頃合いを見計ってここに戻ってくるようだ。常套手段だ。 それから暫く待っていると古泉を筆頭に一行は戻ってきた。その古泉もどうやら時間移動が出来るとなって喜んでいるように見えた。もう一人の俺はというと一番最後に嫌そうな顔をしながら部室の扉をノックして入った。全く自分が情けないぜ。どうせ、まだ朝比奈さん(大)の陰謀やら何やらを考えているのに違いない。 俺は思った。果たしてあいつはいつ未来人に対しての心構えを変えるのだろうかと。そのことの重大さに気付くのかと。 それからまた沈黙ののち、後ろでポツリと長門が、 「たった今、この時空間から彼らの存在を感知できなくなった」 と言った。もっと分かり易く、たった今、時間移動しましたみたいに言ってくれ。 「では、入ってみましょう」 待て古泉。何でわざわざ入る必要があるんだ? 「ただの確認ですよ、確認。彼らが置いておいてくれないといけない物がありますので」 そういったあと古泉は鍵の掛かっていない部室の扉を押し開け、なかを一瞥してから良かった、と吐息を漏らした。 「お目当てのものはあったのか、古泉」 未来の俺が俺の肩越しに含み笑いをしながら訊ねる。どうやら、背も少し伸びているようだ。 「貴方は結果を知っておられると思いますが……ええ、見つかりましたよ。長門さんも朝比奈さんももちろん貴方の分も」 そう言って古泉は机や床においてあったそれを指差し、俺に「でしょう?」を言外に含ませた視線を送ってきた。俺はというと、納得して思わず安堵の溜息を漏らしてしまった。 「そうだな、古泉。そりゃ、確かにある意味大切だ」 随分と間抜けな忘れ物だがな。 七月八日、確認するまでもないが七夕の翌日、俺はこうして何の弊害もなく登校している。まぁ、この季節という俺らにとっては身近な一番の弊害は、この学校までの長い道すがら俺から塩分と水分を容赦なく、奪ってくれてはいるが。けっ、そんなもの欲しけりゃくれてやるよ――何ぞで済まないことはこの身をもってして確認済みだ。 それでもまず、俺が何事も無くこの坂道を登っていることはもっけの幸いだ。もしもう一人の自分がこの世界に現れでもしたら、それこそ阿鼻叫喚の渦だが、古泉からも昨夜我々四人の異時間同位体はこの世界にやってきてはいないようです。安心してくださって大丈夫でしょう、と電話があったため今のところ俺は安堵している。もれなく長門にも俺は電話をして、その真否を訊ねたのは言うまでも無いことだ。何でそんなに、異時間同位体が重要なのかというと――ドッペルゲンガーなんかじゃないぞ――それは自然の摂理に反するからだそうだ、長門曰く。 未来の俺は俺と古泉に軽く別れを告げると、「ここから先は俺たちの役目だ」とだけ言って、朝比奈さん(大)とともに一足早くこの学校を去った。そういや、未来ではまだ異常事態は続いているのか。 あのあと俺たちは、それぞれ家へと帰ることにしたのだが、困ったことが一つあった。 朝比奈さん――もちろん今の――への対処だ。朝比奈さん(大)が現れてから消えるまでの間結構眠らされていたからな。それはそれで酷い話だ。 目を醒ましたあとは少し子供みたいに拗ねてしまいそうになったが、そこは古泉の出番である。何とか説き伏せてもらった。それはそれは見事なソフィストぶりに俺は舌を巻くばかりだったぜ。 だが何でそれでハルヒも朝比奈さんも納得するんだ。何かこう、言葉では言い表せないがどこか腑に落ちないものはある。だが断言できるのはそれでも鶴屋さんを騙すことは不可能だろうということだ。まぁ、多分あの人なら周りの雰囲気に任せて、そういうことだったにょろ、何て言ってそうだが。 さてこの俺は今、二度目の七月八日を体験している。見事なまでに中身の無い谷口の初めてではない夢物語に俺も空虚な返事をしながら、学校に着いた俺は、それから少しばかり考えごとをしていた。 どうも昨日の晩からその空想が頭を離れず、暫くの間俺は寝る寸前まで思考の海でもがき続けていたのだ。 結局そのまま、何ら変わらぬハルヒと少し絡んでハルヒ曰く、間抜けな顔をしたままずっと一人で勝手に考え続けていた。 結局一人で溜め込むのは毒だと思ったが故に、聴きたくも無いだろうが聴いてくれまいか。 「いえ、何か不明瞭なことがあるのでしたら、喜んで拝聴しますよ」 古泉はいつになく揉み手で俺を迎えた。そういや、俺から古泉に訊ねたことなんてあっただろうか。 お前だったら、漏れなく要らん話まで添えるだろうが、別にいいか。 どうしてか分からないが今はそれが欲しいような気がしている。 まず俺は切り出した。 「まずだ、過去は一つだが未来は一つではないっていう意味は分かった。つまりだな、時間遡行するときは目指す時間は一つしかないが、逆に進むときはその目指す時間というのは幾つにも増える、と言うことじゃないのか」 「ええ、僕もそのように考えていますが。もちろんそれだけではありませんが……何かご不満な点でも?」 「まぁ、待ってくれ。とりあえずそれは置いておいて、先に進める」 俺は古泉を真っ直ぐ捉えたまま、一度唇を湿らせた。 「俺たちが……前まで居たあの世界は一体どうなったんだ?」 古泉が片眉を上げる。 「おっと、確かに話が跳んだ感じはありますが……答えましょう。僕の推測でしかありませんが、一つあり得る考えがあります。それはあのままあの世界は一度破滅したあと、再構築されて再び進んで行く、というものです。多分、長門さんや朝比奈さん側も僕と似たようなことを少し言葉を変えて考えておられるでしょう。涼宮さんが我々の存在をそれでも必要としてくれるのであれば、可能性として新しい世界で我々が再構築されている可能性もゼロではありません。涼宮さんの最大の発動力が解らないので確信は持てませんが、時空間が丸ごと消滅した可能性もあります。貴方が前言っておられたように、それこそ今の僕たちが知る物理法則が悉く捻じ曲がっている世界になっているかもしれません」 古泉は至って真顔でそう答えた。おいおい、何でもありかハルヒの野郎は。全く俺はとんでもない奴と関わっているようだ。俺は大きく息を吐き出した。 「他にも何かおありで?」 「次にだ。思い込みかもしれないが、どうやら未来の俺も俺たちと同じ体験をしている節がある」 「そのようですね」 「つまり、俺たちより以前の俺たちもあの同じ道を辿っている。だったら何故俺たちの世界は救われていなかった? それ以降の過去は変化された過程に随って変わって行くんじゃなかったのか? それにだ。過去に戻るんだったら、俺たちは自分たちの世界を変えたんじゃないのか。何で俺たちは変わらない。存在が消える可能性だってゼロじゃないだろう?」 「……順を追って説明していきましょうか。まず最初に問題となるのは貴方の質問の後半部分です。確かにそれは『過去は一つだが未来は一つではない』に反しているようかのように見えなくもないですが、決してそうではありません。まず我々は一度過去に行っています。その時点では確かにその過去は僕たちの過去そのものだったのです。ですが二度目に遡行して長門さんが彼の動きを封じた瞬間、我々のものとは違う時間が進みだしたんです。時空間が分岐した、朝比奈さんたちが望む未来へと繋がる時間です。簡単に言えば並行世界の理念ですよ、厳密には異なりますが。多分、勘違いをなさっているのでは? 最初に僕は言っていますよ。あの世界は進んで行くでしょうと」 ようはそれが時間の上書きってことか。そういや言っていたような気もする。俺は、冬の終わりに古泉の言った『二つの十二月十八日』のことを思い出した。 「しかし、前半のほうの質問は重要です。確かに彼は僕たちと同じことをしています。ですが我々の世界は救われていないというのは見当違いです」 もっと、オブラートに包んだ言い方は無いのかね。俺は机に片肘をつけながら顔に綺麗なコントラストを浮かべている古泉の顔を見た。 「すいませんでした、慎みましょう。よいですか、救われた世界というのは救われることの無い世界の人々が――重要ですよ?――創り出した世界なんです。言い変えると、破滅の『危機』という規定事項を迎えた世界の人々が創り出すあくまでも副産物の世界、なんです。そして同時にそれは我々改変者の住む世界になります。 全ての我々は破滅の危機を体験します。あの七月七日に『破滅の危機を体験しなかった』という体験を持つ我々は理論上生まれます。ですが実際にリアルタイムでそのような体験をした我々はいません。僕たちはもう一つの我々を時間移動させましたよね。彼らは朝比奈さんたちが見れば確かに別の時間平面に生きる人々なんですが、我々からすれば実はただの理論上の人々、机上の空論の辻褄合わせでしかないんです。すいません僕の説明力と語彙力が及びません。これ以上の説明は難しいです」 そこまで言って古泉は一息入れるように机にあったお茶を呑んだ。それも見る分にはもう冷めていた。俺にはない。 まぁ、何となくだが分かった気はするぜ。ようはだ、俺たちは必ず破滅の危機を迎えるってことだろう。七月七日に『ジョン・スミスの来訪』がなかった俺たちって言うのは理論上は存在するが、そういった体験は絶対しない。――これで、合っているのか? あぁ、言ってるそばからこんがらがって来るぜ。 付け加えると朝比奈さん(大)はあいつらをもと居た俺たちとして勘違いしていたってことだろうか。 「ええ、その可能性も彼女の口振りからすれば大いにありえます。ですがやはりこれは全て既定事項なんです。そして同時に涼宮さんの能力にとても近似していることでもあります。僕たちにとってこの世界は、七月七日のあの時刻までの記録と記憶、歴史を持たされて創り出されたということに変わりはないんです。言ったでしょう、世界は五分前に創られたのかもしれない」 そうか、十二月十八日の改変は宇宙人がハルヒの力を使い、今回の七月七日の改変は未来人がハルヒの力を使った、とも言えるのか。 「あぁ、何でこのようなパラドックスが生まれるか分かりますか?」 「俺に分かるわけがないだろう」 「……そうですね。では答えを言いましょう。……それは世界を変えたのがその時空間の人々じゃなく、別の時空、時間から来た人々だからです」 「……おい、それって」 「この話はここまでです。これ以上は僕にも流石に見当がつきません。他にありませんか?」 直接介入――? 俺は少しの間、絶句していたがこれで質問は終わっちゃいねえ。 「待てよ、これは規定事項だったってことだ。だったら朝比奈さんはやっぱり嘘をついていたのか?」 俺の質問に古泉は少し考えた様子だった。 「さぁ、どうでしょうか。朝比奈さんには嘘を吐かれてはいないでしょうが、やはり未来人には騙されたかもしれません。どちらの朝比奈さんも上層部からは何も教えてもらえていなかった、とか。何故そうされたかは僕たちにはそれこそ永遠に秘密なんでしょうが。もしかすると情報統合思念体と天蓋領域は全てを知っていたかもしれませんね。彼らは次元を超えて時空間を感知できるという話ですから。確信を持って言えるのは、我々は未来の貴方と朝比奈さんが体験した何らかの出来事を同じく体験するということでしょう。全てのオチはそこで明かされるのだと僕は信じています」 オチ、ねぇ――。分かりやすいものだったらいいが。解釈の違いで幾通りにも答えが増えるなんてのは御免だぜ。 ちらと時計を見た。実はこう話をしたいがために、今日は早く部室に来ている。 「なぁ、古泉」 「はい」 「ちょっと考えたんだけど聞いてくれるか? と、言うよりかはこれを確かめたくて古泉に訊ねるんだが」 「構いませんよ」古泉はゲーム盤の上に伸ばそうとしていた手を引っ込めて、もう片方の手と絡み合わせた。 まだ、ハルヒは来ない。 「過去は一つだが未来は一つではない。俺は今回それの深読みをやってみた。そのためのいくつかを今ここで確かめさせてもらった」 古泉は俺が喋りを止めても、口を挟まず黙って微笑みながら俺を見ていた。 「いきなり結論から言う。……正しい規定事項って言うのは、絶対に一つしかない。――以上だ」 「どうして……そう、思われたのですか?」 「……ちょっと長いぜ。……まずだ、過去は一つ、つまり一つの未来に辿り着く過去は同じく一つしかない。これは当然だが。そこでその一つの時間軸のなかで人は様々な経験をする。そのどれかを未来人の呼ぶ既定事項としてみる。未来は選択によって変わる。そのときにその規定事項の選択肢――仮にイエスかノーにしておく――のどっちを選ぶかで結末が大きく変わってしまうことになるとしよう」 随分と、仮定の多い説明だな我ながら。 「けどそこで、どっちを選んだとしてもそれは正しい規定事項になるんだ。違う答えを選んで、仮に未来が分岐してもその未来からすればそれが唯一の過去であり、必然ともいえるからだ。けどそれをどうやっても知る方法は俺たちにはない。だってそれしかないんだから。だから、過去は一つ、そのなかで起きる規定事項の答えは絶対に一つしかない。何故ならどっちをとってもその答えは過去のなかで一つでしかないから」 「つまり、貴方が仰りたいのは、全ての出来事は必然的で運命的でもあると?」 「さぁな。俺は運命なんてのは信じないクチだ。俺だったら、だから俺たちは自分たちの行動に必ず自信を持ち、その責任を持てって言う」 突然、古泉が手を叩いた。 「素晴らしい、とても素晴らしいですよ。まさしくそれが結論として最も相応しいでしょう。やはり、僕は貴方をとても頼もしく思いますよ」 少しばかりの沈黙が部室内を制した。 俺は古泉を見つめ、古泉が俺を見つめ返す。ふと脳裏で閃いた。 「あぁ、それと」 「古泉君とキョン、いる!?」 豪快に部室の扉が壁に叩きつけられる音がして、時の人、涼宮ハルヒの雄叫びが俺の言葉を遮った。腰に手を当て仁王立ちしているハルヒの後ろには朝比奈さんと長門が、城から脱走するやんちゃな姫に無理やり連れ出された侍従のようについていた。だから、朝比奈さんがいなかったのか――ってことは。 「ハルヒ。お前また何か面倒なことを思いついたな。断言してやろう」 俺の視界の後ろで古泉が手を上げて首を竦めるポーズを取った。 「はぁ? 面倒なことって何よ。あたしがいつ迷惑なことをしたって言うわけ?」 「そうだな……エブリシング、エブリタイムとでも言っておくか」 「この、団員の分際で! しかもぜっんぜん発音がなってないじゃない! ちゃんとEverything、Everytimeって言いなさい? 高校生でしょ?」 俺が言い返さず鼻息一つ視線をそらしたのを降伏宣言と受け取ったらしく、ハルヒは悠々と団長席へと凱旋して行った。はいはい、俺は勝てませんよ。 そしてこちらを振り向いたその瞳は案の定の輝きを放っていた。 「それでは今から会議を始めます! 議題は夏休みの活動について――」 ハルヒの堂々たる迷惑宣言を片肘で聞きながら、実を言うと俺にはもう一つ謎があった。それを思い出し、古泉に問おうとしたときハルヒが来てしまったため、訊けなくなってしまったんだが――やはりやめておこうかと思う。 一つの時空を跨いでも揺らがない、ハルヒのあの笑顔がその理由だ。今はそれだけでいいじゃないか。 彼、『ジョン・スミス』がもう一度ハルヒの前に現れることはまだまだ先の話になるだろうなと俺は確信していた。 未来の俺よ。真実が明かされるときは必ずや訪れるんだろう? それまで、答えは保留ってことで手を打ってやってもいいぜ。 そうだ。どうせなら、今からでも来年の願いごとを考えておくか。
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屋上に出てきてからどれくらい経っただろう。 もうすでにかなり経った気がしないでもないが、こういうときは想像以上に時間が長く感じてしまうものだ。 それにしても一体何が起こっているんだ? 俺がもう一人いる!?どういうことだ?どこからか現れたのか? 一番ありえるのは未来から来たということだろう。となると朝比奈さんがらみか? 大きい朝比奈さんか? とにかく少しばかりややこしい事態になっているようだな。 と、そこで屋上のドアが開かれた。 「古泉、……と俺か」 『涼宮ハルヒの交流』 ―第二章― 古泉ともう一人の『俺』が屋上に出てくる。 「おや、あまり驚いていないようですね」 「さっき声が聞こえたからな。そうだろうと思っていた。もちろん最初は慌てたが」 俺は『俺』の方を向き、古泉に尋ねる。 「で、そっちの『俺』は未来から来たのか?」 「な、それはお前の方じゃないのか?」 俺の質問に『俺』が声を荒げる。 「やはりそうですか……」 古泉が呟くように口を開いた。 「古泉、どういうことだ?」 「僕も初めはそう思いました。あなたが二人いるということは、どちらかが未来から来たのだろう。 だとすると、どちらかはあなたがこの時間に二人いるということを当然知っているはず、と。 しかし、あなたとは部室に向かう際に、こちらのあなたとは今ここに来る際に少し話をしましたが、 どちらのあなたにもそのような様子は見られませんでしたから、そういうこともあるかとは思いました。 いちおう確認しますが、あなたも違うのですよね?」 もちろん俺も未来から来た、なんてことはない。 「つまり俺もそっちの『俺』も未来から来たというわけではない、ということか」 「おそらくは。ちなみに今日がいつかはご存知ですか?」 「今日?ご存知も何もG.W明けの憂鬱な月曜日だろ。……まさか、違うのか!?」 「いえ、そのとおりです。ということは未来から無理矢理に連れてこられたということもないようですね」 静観していた『俺』が口を挟む。 「そっちの俺が嘘を吐いている、ということはなさそうか?」 「おそらくそれはないかと。あなたも嘘は苦手でしょう?僕なら簡単に見破れます」 「……なんか複雑だな」 『俺』は苦笑いを浮かべている。 「じゃあどういうことなんだろうな。古泉はどう思うんだ?」 古泉はお手上げといったポーズをとる。 「正直言ってさっぱりです。ひょっとすると涼宮さんの力が関係しているのかも、という程度です」 「どういうことだ?ハルヒの力が働けばわかるんじゃないのか?」 「厳密に言いますと、涼宮さんの力は無視できるレベルにおいては常に働いている、とも言えます。 そうですね、例えて言うなら我々がまばたきをするようなものです。 まばたきの際には無意識に一瞬目をつぶりますが、普通はそれによって何かが起こることはありません。 そのレベルで涼宮さんは無意識的にいつも力を使っていると言える、ということです」 「それはまずいことなのか?」 「いえ、それによって何かに影響が出たことは、我々の知る限り今までは一度もありません」 「なら問題ないんじゃないか?」 「あくまでも『我々が知る限り』『今まで』ということです」 「なるほどな。知らない範囲で起きている可能性は完全に否定はできないということか」 「そういうことです。僕としてはまずありえないと思うのですが……、他には思い付きません」 そういって残念そうに笑う。 「ちなみにそれだとお前はどう思うんだ?」 『俺』が古泉に尋ねる。 「何らかの理由によって、あなたが二人いて欲しい、と涼宮さんが思ったのではないでしょうか」 「さっき俺が役立たずと思いっきり罵られていたからか?」 『俺』はひきつったような笑みを浮かべている。 「二人で一人前ということですか。それはまた面白いですね」 いや、面白くないし、全く笑えん。が、 「ということは俺が一人前になれば全て解決ということだな」 そのとき後ろから突然もう一人声が加わる。 「そうではない」 「「な、長門!?」」 俺と『俺』は声を合わせて振り返る。 「ああ、長門さんには後で屋上に来てもらえるよう頼んでおきました。どうにも僕の手に余りそうだったので。 ところで、違うとはどういうことでしょう?仮定が間違いということでしょうか?」 「そういう意味ではない」 「と、言いますと?」 「それで解決とは言えない」 「どういうことでしょう?……長門さんの考えを聞かせてもらえますか?」 と、手で長門の発言を促す。 「最初に言っておく。これは情報統合思念体によって起こされた現象ではない。情報統合思念体は無関係。 そして、ここにいる二人は異時間同位体ではない。つまり別の人間」 「つまり宇宙人も未来人も関係していないということですか……。なるほど」 「以上のことからこれは涼宮ハルヒによって引き起こされたものと推測できる。ただし断定はできない。 その理由は我々にも涼宮ハルヒの力の発現が確認できなかったから」 つまり消去方でハルヒの力というわけか。 「そう」 古泉は言いづらそうに長門に尋ねる。 「ところで……言い方が非常に難しいのですが。長門さんにはどちらが本来の彼かわかりますか? いえ、本来のというよりも……我々の知る彼、と言うべきでしょうか?」 「それはどっちが本物か、って意味か?」 『俺』がすぐに古泉に確認する。 「……すいません。乱暴な言い方をするとそうなります」 古泉が本当に申し訳なさそうな顔を浮かべたので、俺は慌ててフォローする。 「いや、謝ることはない。俺たちも気になるし。な?」 「ああ」 と、『俺』も頷く。 とは言ってみたものの正直言って気が気じゃない。 まさか、俺が偽者なんてことはないよな。長門が間違えることはないだろうし。頼むぜ、長門。 俺たち二人に交互に視線を合わせた後、 「どちらが本物かという意味においては判断ができない」 「どういうことでしょう?」 「我々が今まで共に過ごしてきた方を本物とする根拠がない」 「なるほど。我々がよく知るからといって、そちらの彼がが本物とは限らない、ということですか」 「そう」 「では、今まで一緒にいた彼がどちらかというのはわかるのでしょうか?」 「わかる。……今まで一年間我々と共に過ごしてきたのはあなた」 長門はそう言い『俺』の方に向き直る。 「――っ、えっ!?」 俺……じゃないのか? じゃあ、俺は? ……偽者? 偽者なのか? ハルヒの力で生まれた、偽者? 「ちょっ、ちょっと待ってくれよ!なんでだよ!」 もう何が何だかわからない。 そんな馬鹿な。 俺は昨日までもSOS団の一人として、みんなと過ごしてきたはずだ。 そして今日もさっきまで教室で授業を受けていた。クラスメイトとも会った。ハルヒとも話をした。 「落ち着いてください!別にあなたが偽者と言っているわけじゃありません」 「言ってるだろ!じゃあ俺はなんなんだよ。この記憶は嘘だっていうのかよ!どうなってんだよ!」 頭に血が上り、思わず古泉に詰め寄る。 「そ、それは……」 そのとき後ろから俺の手がギュッと握られる。 「落ち着いて。……お願い」 「な、……長門」 ハッと我に返る。 長門はじっと俺の目を見つめてくる。悲しいが、優しい目だ。 ……こんな長門の目を見たのは初めてだな。 初めて……か。 「す、すまん。古泉」 「いいえ。僕が変なことを聞いたせいです。本当にすいません」 古泉は本当に申し訳なさそうな様子だ。 別に古泉が悪いわけじゃないんだけどな。 「……いや、俺も知りたいと言ったわけだし。それに、大事なことだろ」 二人して黙り込んでしまったところに『俺』が申し訳なさそうに話を続ける。 「……長門、結局どうなっていてどうすればいいかわかるか?」 無神経なやつだな。と、少し思ったが、このままの空気は正直きつかったので実際には助かった。 まぁ、俺だしな。多少の無神経は仕方がないか。 「わからない。可能性としては古泉一樹の言ったこともあり得る」 「ならとりあえず何らかの方法でハルヒを満足させてやれば問題はないんじゃないか?」 「問題はある」 「なんでだ?この事態をおさめるにはそれしかないと思うんだが」 「違いますよ。……この事態をおさめることに少しばかり問題があるのです」 古泉が慌てて口を挟む。 どういうことだ? 少しばかり考えごとをしていたら話に全くついていけなくなっちまったぜ。参ったな。 とはいっても『俺』もついていけてないみたいだがな。 「何の問題があるんだ?」 再び尋ねている。古泉は長門と顔を見合わせた後、ゆっくりと話す。 「これが解決すると、彼が……消える可能性があります」 「どういう意味だ?」 「もし彼がどこかから来たのであればそこに帰るだけでしょうが、そうでないならば……」 「あっ!……」 『俺』の顔色が変わる。 そうだな。二人いてそれを一人に戻すということは俺が消えるってことになるか。 ……死ぬってことになるんだよな。 『俺』が慌てて俺の方を向いて言う。 「……すまん」 「いや、気にするな」 また沈黙が訪れる。 「もちろんそうでないという可能性もあります。 例えばあなたが涼宮さんの力によってパラレルワールドからやって来たというのもあり得ることですし、 逆に涼宮さんの力によってあなた以外の全てが創り変えられたということも無いとは言いきれません」 可能性か。確かにそうなんだろうが。 「でも、お前はその可能性は低いと思うんだよな?」 「……すいません」 「いや、気にするな。お前が謝ることじゃない」 とりあえずこれからどうするかが問題だな。 「古泉、なら俺はどうしたらいい?」 「そうですね。ずっとこのままでいるというわけにはいかないでしょうが、少し様子を見ましょう。 あなたにも考える時間が要りようかと」 そうだな。まだ頭の中がごちゃごちゃしてよくわからん。 「とりあえず、ゆっくりと息をつけて考えたい」 このまま『俺』と顔を合わせてたんじゃ、なんとなく落ち着かん。 家に帰ってからじっくりと考えることにするか。 ……ん、家? 「あなたは家には帰れない。私のところに」 確かに俺が二人帰ると家の中がとんでもないことになってしまうな。 「そうだな、そうするしかないか」 「そう」 長門は微かに頷く。 「けどいいのか?迷惑じゃないか?」 「ない。他に行きたい所でも?」 「いや、そういうわけじゃない。もちろんありがたい」 「なら問題ない」 結局また長門の世話になっちまうみたいだな。 「では今日のところはこのくらいにしておきますか。僕もこれからのことを考えておきます」 「ああ、頼むぜ。何かわかったらよろしくな」 「帰る」 と言って歩き出した長門に従いその場を後にする。 「俺もできるだけのことはしたいと思う。できることがあれば言ってくれ」 『俺』が後ろから声をかける。 「色々とめんどくさそうなことになってすまんな。何かあれば言うことにするさ」 ◇◇◇◇◇ 第三章へ
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現行スレ:涼宮ハルヒの憂鬱 総合53 ウィキはみんなで気軽にホームページ編集できるツールです。 このページは自由に編集することができます。 メールで送られてきたパスワードを用いてログインすることで、各種変更(サイト名、トップページ、メンバー管理、サイドページ、デザイン、ページ管理、等)することができます ■ 新しいページを作りたい!! ページの下や上に「新規作成」というリンクがあるので、それをクリックしてください。 ■ 表示しているページを編集したい! ページ上の「このページを編集」というリンクや、ページ下の「編集」というリンクを押してください。 ■ ブログサイトの更新情報を自動的に載せたい!! お気に入りのブログのRSSを使っていつでも新しい情報を表示できます。詳しくはこちらをどうぞ。 ■ ニュースサイトの更新情報を自動的に載せたい!! RSSを使うと簡単に情報通になれます、詳しくはこちらをどうぞ。 ■ その他にもいろいろな機能満載!! 詳しくは、FAQ・初心者講座@wikiをみてね☆ 分からないことは? @wikiの詳しい使い方はヘルプ・FAQ・初心者講座@wikiをごらんください。メールでのお問い合わせも受け付けております。 ユーザ同士のコミュニケーションにはたすけあい掲示板をご利用ください
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(この話は長編・涼宮ハルヒの恋慕、閑話休題の続編です) 優曇華の花というのをご存じだろうか。 芭蕉の花やクサカゲロウ類の卵のことではなく、インドの伝説上の花のことだ。正式な 名称は……確か、優曇波羅華──うどんはらげ──だったかな。 三千年に一度花開き、そのときには如来菩薩や金輪明王など、転輪聖王が現れると言わ れている花。霊瑞、希有の例え。分かりやすく言えば「滅多に起こらない吉兆」として使 われている。 優曇華の花は「希有」なこと。そして、「滅多に起こらない吉兆」だ。 何でオレがそのポイントを強調して、こんな話を長々としているのかと言えば、希有の 文字に注目してもらいたいからに他ならない。 希有はひっくり返せば有希となる。 ああ、そうだな。長門の名前になるわけだ。 三千年に一度、あるかないかという「いいこと」が逆になれば、それはつまり、三千年 に一度あるかないかという「悪いこと」。 ここまで話せばおわかり頂けると思うが……長門が滅多にやらないことをすれば、悪い ことが起こるんじゃないのか、とオレは思ってしまったわけだ。 事実その通りなのだから、オレのくだらない言葉遊びもバカにできない。 それに気づいたのは、女同士のケンカに巻き込まれて世界崩壊を食い止めたりすること もなく、部室には全員が集まり、オレは古泉が持参したカルカソンヌを延々とプレイし続 けていたある日のこと。 頭を使うことに疲れたオレが、朝比奈さんの淹れてくれたお茶に手を伸ばしたとき、ふ と視界の片隅に長門の姿が目に入った。 この寡黙属性付随の読書好き美少女型アンドロイド(オプションの眼鏡は破損済み)は、 新書程度の厚さなら1時間程度、ハードカバーで文字がびっしり書き込まれている本でも 3時間あれば読破することをオレは知っている。 にもかかわらず、ここ最近は同じ本ばかりを読んでいた。どこの国の言葉かわからない 原本を読んでいるっぽいが、長門が言語を理解するのに苦しむとも思えない。ロンゴロン ゴ文字だろうと解読できるはずだ。 もしかすると、その本の内容が気に入って何度も読み返しているのかとも思ったが、そ れもなさそうだ。 ページをめくる速度が遅い。 まるでメトロノームのように規則正しく一定速度でページをめくっているのだが、その 間隔がいつもより遅い気がする。 そして、最初は気のせいだと思っていたんだが、誰もいないのに誰かに見られている気 配を、オレはここ最近感じていた。本を読むスピードが落ちている長門のことを考えると… …どうもオレは自分でも気づかずに、長門が読書を放棄してまで睨まなければならない ことをしてしまったようだ。 まいったね。 これこそまさに優曇華の花が咲くというものじゃないか。いや、逆だから優曇華の花が 散るということになるのか? どっちにしろ、長門が読書を放棄してまで他人を注視する など、滅多にないことだろう。滅多にないといえば、ちょっと前に額にキスもされたっけ。 その睨む対象になっているオレと言えば、長門がそんなことをする理由に思い当たる節 が山のようにありすぎて、考えるのも億劫になる。ことある事に長門の手を借りて、そり ゃ長門にしてみれば「いい加減にしてくれ」と思うかもしれない。 けれど極端に口数の少なく、言語での情報伝達には慣れていないあいつは、文句の1つ でも言いたいのに言えず、睨むしかできないのかもしれない。 なんだか知らんが、とにかく帰りに長門に謝っておこう。そう思っていたんだが……。 「ねぇ、有希。今日はあたしと一緒に帰りましょ」 何故に邪魔をするんだハルヒ。空気読めよハルヒ。おまえがアクションを起こすタイミ ングは、オレにとってはいつもバッドタイミングだぞ? 「何よ、あんたも一緒に帰りたいの? でも、だ~め。女同士の大事な話があるんだから。 後ろから着いてきたりしたら、16連射でスイカみたいなその頭をたたき割るからね!」 おまえはどこのゲーム名人かと問いつめたくなるが、まぁいいさ。長門がオレを睨んで くる理由もわからんし、理由もわからず頭を下げるの誠意がこもってない気がする。 今晩、その最たる理由を思い出して、明日謝ればいいさ。 だからハルヒ、おまえは空気を読めと何度オレに思わせれば気が済むんだ? 「なによその顔。いつも谷口や国木田とばかりじゃ、むさ苦しいと思って言ってあげてる んだからね。それを無下に断るなんて、あんたも偉くなったもんねぇ?」 弁当を食う前に長門のところに行って謝ろうと思っていた矢先のことだ、昼休みを告げ る鐘の音とともに、背後から団長さま直々に昼食のお誘いがあったわけだ。 「おまえ、いつも学食じゃないのか?」 「たまには気分転換よ。どんな美味しいものでも、毎日食べてたら飽きちゃうじゃない」 そりゃそうだろうが、そんなこと言うと学食のおばちゃんが悲しむぞ? オレは知ってるんだ。北高にハルヒが入学して、唯一喜んでいる人が学食のおばちゃん だってことを。ハルヒが入学してから、食材が余らなくなってるらしいからな。 「そんなとってつけたような話はどうでもいいから、とっとと行くわよ!」 結局、断ることも出来ず、谷口と国木田の憐れむような視線に見送られて、オレは首根 っこを引っつかまれて中庭まで連行されてしまった。 ここで何故、中庭なのか甚だ疑問に思うところだ。部室に行けば、朝比奈さんがいなく てもお茶くらい飲めるだろうに。 「何言ってるの、こんなに天気がいいのよ? 教室の中でちまちま食べるより、よっぽど 健全よ。下北半島までピクニックに行きたい気分だわ」 そんなところまで行ったら、おまえは恐山に行きそうだからオレは謹んで辞退しよう。 それにしても、今日のハルヒは妙だ。テンションが高い低いとか言う以前に、ここまで オレに絡んでくるのは滅多なことじゃない。 そりゃSOS団の(胸を張れる肩書きじゃないが)雑用係たるオレ。団長さまからのお 達しが多いのも事実だが、ぶっちゃけると使いっ走りの類がほとんどだ。……改めて思う と、ひどい扱いだな……。 ともかく、ハルヒがオレとこうやって2人で行動することは、意外と思われるが稀なこ となのだ。いつもはSOS団のメンバーが誰かしら最低もう1人はついてくるし、命令を 出しもこいつは1人で勝手に突っ走る。 かくいうオレはオレで、ハルヒが巻き起こす厄介事から少しでも離れるために、あるい は古泉や長門に任せるくらいなら自分がやったほうがいいと思って、くだらない命令でも 受諾して1人で寒空の下、ストーブを取りに行ったりしているわけだ。 それが、オレとハルヒの丁度いい距離なんだと思っている。 遠からず、近からず。 こいつと一緒に行動するなら、絶妙な距離感を保ち続けることがコツかもな。 「ね、あんたのお弁当って誰が作ってるの?」 ぼんやりそんなことを考えていると、ハルヒは自分の弁当に手をつける前にそんなこと を聞いてきた。 「誰って、お袋しかいないだろ」 「前々から思ってたけど、けっこう美味しそうね。ちょっと頂戴」 「そりゃ別に構わんが」 オレはてっきりおかずの話だと思って弁当箱を差しだしたんだが、ハルヒは丸ごと奪い 取りやがった。オレに何も食うなと言うのか、おまえは。 「じゃあ、あたしのお弁当あげるわよ。それならいいでしょ」 オレの弁当の代わりに差しだされたハルヒ弁当は、豪快におかずが詰め込まれた幕の内 弁当みたいな代物だった。味は申し分ない。いや、かなり美味い。ハルヒの料理の腕前は 某クリスマスの鍋パーティで実証済みだが、ハルヒ母も料理が上手なんだな。 「何言ってんの? それ、あたしが自分で作ったの。あたしの手作りなんだから、感激に むせび泣いて食べなさいよ」 ああ、そうなのか。それなら、この豪快な味付けも納得だよ。だがおまえは、オレが嗚 咽を漏らして弁当を食う姿が見たいのか? そういえば、この中庭から文芸部の部室の窓が見えるな。いつも昼休みに部室にいる長 門だ、今もいるのかもしれん。いつも窓際に座って本を読んでいるから、もしいるなら一 目でわかると思うんだが……。 「ちょっとキョン、どこ見てんのよ」 ハルヒの怒声で、ふと我に返った。最近、ボーッとすることが多くなってる気がする。 マヌケ面と言われても仕方がないかもしれん。 「いや、別に」 「ふん、そんなにゆ……」 言いかけて口を閉ざし、息を吐く。 「部室が気になるの?」 なんでオレが部室を気にしなけりゃならんのだ。部室棟がフランク・ロイド・ライトの 作品だってなら話は別だが、十把一絡げの建築物に興味はないぞ。 「……あんたさ、気づいてる?」 「なにが?」 「有希があんたのこと……」 もしやハルヒ、長門がオレのこと睨んでるのに気づいてたのか? 長門や朝比奈さん、 古泉の正体には気づかないくせに、妙なところで鋭いヤツだからな……気づかれていても おかしくはないか。 「ハルヒも気づいてたのか」 「そりゃあたしは団長だからね。団員のことならなんでもお見通しよ」 それはまた、頼もしいな。そういえば、昨日の帰りに急に長門と一緒に帰るとか言い出 したのも、そのことが原因なのか? 「ま、鈍感なあんたでも、さすがに気づくのね」 「いつもと明らかに違うからな」 「それで、あんたどうするつもり?」 「どう……って」 ハルヒが珍しく気を遣ってくれているようだが、よく考えれば、これはオレと長門の問 題だ。ハルヒは関係ないだろ。 目の前にいるどっかの誰かと違って、自分に非があれば素直に頭を下げるオレだ。 けれど、だからといって関係ないヤツにまで、自分が頭を下げることを吹聴するほど、 プライドの低い男でもないぞ。 「別にいいだろ、後で長門と話をしてくるつもりではいるんだ。邪魔しないでくれ」 「よかないわよ!」 「なんで?」 即座にツッコミ返されるとは思っていなかったのか、ハルヒが珍しく口ごもる。 「そ、そりゃあたしは団長だもの。団員同士の……その……そういうことは、ほっとけないの!」 そういうのは単なる野次馬根性だと思うんだが、わざわざ教えてやるのもアレだな。理 由は不明だが、今のハルヒが醸し出す雰囲気的に殴られそうだ。 「わかったよ、おまえや朝比奈さん、古泉に迷惑かけるようなことはしない。だからとり あえず、長門と2人で話をしてくるよ。ちゃんと丸く収めてくるさ」 「丸く収めるってあんた……」 おいおい、なんでオレが丸く収めるって言ってるのに、怒ってるような悲しんでるよう な微妙な顔をするんだ。そんなにオレは信用ないのか? 「……もういいわよ! このっ……バカキョンっ!!」 何故にオレが罵倒されねばならんのか皆目見当もつかないが、叫ぶや否や、ハルヒは1 人勝手にどこかへ行ってしまった。 なんなんだろうね、あれは? 昼休みが終わった5限目、いつもは昼食後の惰眠を貪っているハルヒの姿はなかった。 何のつもりか知らないが、あいつが授業をサボるとは……また、ロクでもないことを企ん でいるんじゃないかと勘ぐってしまう。 厄介なことが起こる前に食い止めておくか……と考えた6限目前の休み時間、教室に思 わぬヤツがいつも通りの無言で現れた。 「ど、どうしたんだ長門?」 こいつが1人で、しかもオレの教室までやってくるとは珍しい。部室でも睨まれている ことも考えると、妙に腰が引けてしまう。 などと、そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、長門はたった一言「きて」と言って、 同意を得ずに教室から引きずり出した。おまけに連行された場所は部室だ。単なる休み時 間なんて、10分しかないのに部室棟まで引っ張って行くとは、どういう了見だ? 「涼宮ハルヒのこと」 ああ、ハルヒ? あいつだったらどっかに行っちまったぞ。あいつに用があるなら、オ レを呼び出しても居場所なんて見当もつかないんだがな。 「それと、あたしのこと」 ……まて、その言い回しはどっかで聞いたことがあるぞ。 あれは……そうそう、長門のマンションで自分の正体を明かしたときの言い回しそのま まだ。その後、延々と自分の親玉について語ってくれたな。詳しい内容は、残念ながら覚 えてないが。 どちらにしろ、そのときのことと今のこの状況が妙に重なる。既視感を感じるほどに。 長門はオレをジッと見つめながら、ただ一言だけを呟いた。 「涼宮ハルヒは嫉妬している」 6限目開始を告げる鐘の音が、遠雷のように聞こえた。 オレがその言葉の意味を理解するのを待っているかのように、長門はオレの様子を探る ように見守っている。もっとも、いくら待ってもらったところでオレがちゃんと理解でき るはずもない。 ハルヒが嫉妬してるんだぞ? 誰に? 何で? そもそもあいつが嫉妬するような繊細な心を持っているとは、想像もできない。嫉妬す る暇があったら、何かしらの行動を起こすタイプじゃないのか? 「涼宮ハルヒは、あなたがわたしに1人の異性として恋慕の情を抱いていると思いこんで いる。彼女が嫉妬している対象は、わたし」 「ちょっと待て。待ってくれ。なんでそういう話になってるんだ? なんでハルヒはそん な風に思ったんだ?」 「決定的なのは今日の昼食時」 長門の話によれば、ハルヒが今日、わざわざ自分で弁当を作ってまでオレと昼飯を一緒 にしたのは、オレが長門のことをどう思っているのか聞き出すためだ、とのこと。 とは言うが、どう思い返してもハルヒがオレにそんなことを聞いてきた覚えが……あ れ? いやいや、ちょっと待てよ……。 もしかして、あの会話がそうだったのか? オレが長門に睨まれて、そのことをハルヒ も気づいてて……って、あれはもしや、ちゃんと会話が成立していたように思えて、実は ズレてたのか? 「そう」 ……どこかに自動小銃でも落ちてないか? 今すぐこの頭をぶち抜きたいんだが……。 「あなたは今すぐ涼宮ハルヒの誤解を解くべき」 長門はきっぱりそう言い切って、口をつぐんだ。 確かにそういう理由なら、さっさとハルヒの誤解を解いておいたほうがいい。何しろあ いつは、冬にオレと長門に何かあったと思うや否や、ちょこっと言葉を交わしただけで既 成事実にまで発展させるようなヤツだ。このままじゃ、オレと長門の間に子供までいる、 という話になりかねない。 しかし……ふと思う。 何かが引っかかるんだよな。冬の雪山でハルヒがオレと長門を疑ったときと、今の状況 では、何か据わりが悪い。スッキリしないというか、ハッキリしないというか……。 「……ああ、そうか」 切っ掛けだ。長門の話も、ハルヒの嫉妬も、あまりにも唐突すぎる。どうしてそうなっ たのかが語られていない。主語がない会話をしている気分だ。 「長門、昨日おまえ、ハルヒと2人で帰ったよな? そのとき、何を話したんだ?」 「…………別に」 なんだよ、その間は? 即時即答するおまえらしくないじゃないか。 「本当か?」 肯定も否定もせず、長門は黙ってオレを見つめていた。その表情からは、このオレをも ってしても感情を読み取れない。まるで初めて会ったときのような能面っぷりだ。 「まぁ、ハルヒとちょっと話をしてくる。あいつがどこにいるか、」 「忘れて」 オレの言葉を遮ってまで、何を「忘れて」だって? 「今の話」 「なんだよ急に。どうしたんだ?」 「……気にしなくていい」 その一言を残して、長門はオレに背を向けて部室から出て行った。 もしかして……あいつ、本当に何か怒ってるんじゃないのか? ハルヒの嫉妬の話といい、長門の豹変振りといい、はっきり言ってオレの許容範囲を遙 かにオーバーしている。何がどうなっているの考えるために、そもそも授業なんか受ける 気分にもなれず、6限目はサボって部室であれこれ考えていた。 いったいどこで、こんな状況になったんだ? 何が切っ掛けでハルヒは嫉妬し、長門は 豹変したんだ? 切っ掛けがわからなければ手の出しようがないじゃないか。 「おや、あなただけですか」 ノックもせずにドアを開けて、古泉がやってきた。朝比奈さんが着替えをしていたらど うするつもりだったんだ、おまえは。 「いえ、朝比奈さんから言伝を授かっておりまして。今日は鶴屋さんにお茶の席に誘われ ているのでこちらには来られない、と。涼宮さんと長門さんもまだですか?」 「2人は……どうかな、今日は来ないんじゃないか?」 「それはまた、珍しいこともありますね」 ……そうだな、こいつに話をするのは癪だが、オレ1人では結論が出そうにない話だし、 頼れる長門が問題の対象だしな。1人であれこれ考えるより、こいつの意見を聞くのも悪 くない……か? 「なぁ、古泉」 「なんでしょう?」 「実は長門のことなんだが……」 「ああ……ようやくですか」 「ようやくって、何のことだ?」 「え? ……ああ、なるほど」 おいおい、何を1人で勝手に納得してるんだ。分かるように説明してくれ。というか、 その呆れたような笑みはいったいなんだ? 「いえ、あなたは相変わらずだと思いまして。どうです、最近は頭を使うゲームばかりで したからね、別なゲームでもしませんか?」 「そういう気分じゃない」 「まぁ、そう言わずに。そうですね、ババ抜きでもしますか」 おいおい、2人でババ抜きなんて、あまりにも寂しすぎやしないか? つーか、人の同 意を得ずにカードを配るなよ。 「さ、どうぞ」 ……わかったよ、相手すればいいんだろ。 こいつのゲーム狂いはもう病気のレベルだな。それに付き合うオレもオレだが……カー ドの山に手を伸ばし、組になっているカードをさっさと捨ててみれば、手元に残ったのは わずか10枚。古泉の先攻で始まった。 「ところで」 黙々とゲームを進めている中、不意に古泉が口を開いた。 「長門さんが、どうしてあそこまで無感動、無感情を貫いているか、考えたことはありますか?」 「いや、そういうもんなんだろうとしか思っていないが。何か理由でもあるのか?」 「僕の憶測でよければ、思い当たる節がありますね」 もったいぶらずに話をすることができないのかね、こいつは。 「彼女が情報統合思念体の穏健派だから、ではないでしょうか」 意味がわからん。 「朝倉涼子のことを……聞くまでもなく、覚えていると思いますが」 忘れられるなら、いい方法を教えてくれ。 「彼女は情報統合思念体の強硬派に属していました。つまり、自分たちの手でアクション を起こして涼宮さんの変化を見る派閥です。一方、穏健派の考えは、ただ涼宮さんを観察 し続け、極力手を出さないようにすることです。しかし、ただ『観る』というのは、これ が難しいものですよ。観察対象に情が移れば、正確な観測はできない」 「そういうもんかね?」 「僕とあなたの関係に例えてみましょう。今こうしてカードゲームに興じていますが…… 仮に、僕があなたに熱烈な愛の告白をしたとしましょう。あなたはどうしますか?」 「全速力で逃げ出すね」 「そうですね。いやあ、喜んで受け入れると言われなくて助かりました」 蹴りと拳のどっちを選ぶか、その選択肢くらいは与えてやる。可及的速やかに選べ。 「冗談ですよ。ともかく、感情のせいで現状に変化が訪れてしまうわけです。穏健派はそ れすらもよしとせず、自分たちの介入なく涼宮さんの変化を観測したかったのでしょう。 だから……」 「長門がハルヒに肩入れしないために感情を排除した……ってか? けれどあいつは」 「そうですね、初期のころに比べて大きく変化しました。少なからず、感情があるからで す。喜怒哀楽なくして、社会の中で他者とコミュニケーションを取ることは不可能ですか らね。彼女が人間とコミュニケーションを取るためのインターフェースなら、感情は少な からず必要です。ですから、長門さんには必要最小限の感情があったのでは、と思います。 そして、それを育てたのはあなたですよ」 「……オレが?」 「そうですよ」 オレが長門に何をしたっていうんだ? むしろオレの方がいろいろ助けられているじゃ ないか。それは古泉にだってわかっているはずだ。 「長門さんは、自分の口で正体を明かしているのはあなただけですね」 「そう……かな? そうだな、おまえが聞いてないなら、朝比奈さんも聞いてないんじゃないかな」 「僕は聞いていません。では何故、あなただけなのでしょうか?」 「あいつが言うには、オレはハルヒにとっての鍵だから、とか言っていた。だからじゃないのか?」 「それだけではないと思います」 「何故?」 「彼女はありのままの涼宮さんを観測する役目だからです。涼宮さんに変革を与えるかも しれないあなたを、涼宮さんから遠ざけたいと長門さんが、あるいは穏健派の情報統合思 念体が考えてもおかしくはないでしょう。普通に考えてください。突然、自分が宇宙人に 作られたアンドロイドだ、などと告白したんですよ? 普通は距離を置くものじゃないで しょうか。しかもその後に朝倉涼子に命を狙われて、生命の危機にさえ遭っている」 あ~……確かに。改めて言われると、オレは普通の高校生らしからぬ出来事に遭遇して いるにもかかわらず、平然としすぎてる気もするな……。 「あなたは今日に至るまで、何も変わらずに長門さんと接しています。そこでこう思うわ けです。何故、あの人はここにいるのだろう。普通に接してくれるのだろう……と」 自説を饒舌に語る古泉を、オレは黙って見つめた。反論するにも、いい言葉が思い浮かばない。 「疑問というのは、自己の目覚めですよ。胡蝶の夢です。そこから長門さんは、個人的に あなたに興味を持つようになった。そして……ここまで言えば、如何にあなたでもおわか りになるでしょう。ご理解して頂けましたか?」 理解はしたさ。けれど、どうせ憶測だ。それが正しいというわけじゃないだろ。 「そうですね、憶測です。憶測ついでに、もうひとつ」 「なんだ?」 「長門さんは、自らの行動で変化が起こることはできません。第三者の後押しが必要です」 きっぱり断言したな。その根拠はなんだ? 「思い返してください。これまで僕たちが遭遇した事件で、長門さんが自ら進んでアクシ ョンを起こしたことがありますか?」 「……カマドウマ事件は?」 「あれは、正確には喜緑さんが持ち込んだものです。当時は彼女がインターフェースと判 明していなかったため、あなたも「長門さんが仕組んだことか?」と思ったのでしょうが、 もしかすると喜緑さんの発案で、長門さんは協力しただけかもしれません」 「コンピ研との勝負は?」 「最終的に長門さんをけしかけたのは、あなたじゃないですか」 「じゃあ、12月18日の出来事はどうだ」 「あれはエラーが積み重なって起こった、いわば不慮の事故です。その証拠に、長門さん は現状回帰をあなたに託していたのでしょう?」 ことごとく反論されたな。言われてみれば、長門が自分の意志で行動を起こしたことは 何も思い浮かばない。いつもオレが面倒を持ち込んでいたんだな。 「長門さんは自分からアクションを起こすことはない。ですから、彼女が何かを起こそう としているならば……それはこちらから手を差し伸べるべきです。いい加減、気づいてあ げたら如何です?」 古泉は、手元に残っていた2枚のカードを表にして並べた。 ジョーカーとハートのクイーン。オレの手元にはスペードのクイーンが残っている。 「これでも、僕はあなたに感謝しているんですよ。ですから、今回ばかりはゆっくり休ん でいただきたいとも思っています。ですが、あなたはすべてを丸投げにして傍観できる人 ではないことも分かっています。どちらを選びますか?」 2枚のカードをコツコツ叩く古泉は、いつになく真剣な目をオレに向けていた。この野 郎、オレを試すなんざ100年早い。 「決まってるだろ。おまえにゲームで負けるつもりはないんだ」 「手抜きをされては困ります。部室の戸締まりは、僕がしておきましょう」 嫌味なくらいの笑みを浮かべる古泉へ、オレはテーブルの上にスペードのクイーンを叩 きつけて部室から飛び出した。 あてがあったわけじゃない。ただ、どこへ行けばいいのかは、なんとなく分かっていた。 平日の、それも閉館間際の図書館。職員以外に人の姿はなく、ただ1人だけ、置物のよ うに髪の毛1本動かさず、ただページをめくる指だけを規則正しく動かして椅子に座り、 本を読んでいる少女の姿があった。 オレは黙って長門の横に腰を下ろした。長門は、そんなオレに気づかないかのようにた だ、黙々と本を読み続けている。 「長門」 「……なに?」 たっぷり時間を空けて、長門は返事をしてくれた。それでも、オレを見ようとはしなかったが。 「なんつーか……悪かった」 「あなたは何も悪くない」 「……そうか」 「そう」 パタン、と本を閉じ、図書館の奥に消える。オレはその姿を黙って見つめて、戻ってく るのを待った。 本の壁の間から姿を現した長門は、そのままオレの横を通り過ぎて外へ向かう。オレも 黙ってその後に続いた。 どこへ向かうというわけでもなく、オレたちは自然といつもの公園に来ていた。長門に してみれば、ここからすぐに自分のマンションへ戻るつもりだったのかもしれない。 「少し、いいか?」 長門の歩みが止まる。振り返りこそしなかったが、立ち止まったということは、それが 了承の合図なのだろう。手を伸ばせば届きそうなくらい近くにある小さな背中に向かって、 オレは口を開いた。 これは、オレから言わなければならないことだと思う。古泉に長々と説教されてようや く気づくとは、オレもよくよく鈍感だと思うさ。 「前に……ハルヒと朝比奈さんがケンカした時があったじゃないか。あのとき、大人の朝 比奈さんが言ってたことなんだがな、恋愛感情には2種類あるそうだ」 朝比奈さん(大)曰く、『愛』というのは家族や友人に向ける広い思いで、『好き』と いうのは1人に向ける一途な想い、ということだ。オレも正確に理解しているわけではな い。けれど今なら、朝比奈さん(大)が言いたかったことがわかる気がする。 「そういう意味で言えば……そうだな、オレはおまえを愛してるというより……好きと言 ったほうがいいのかもしれない」 長門は、かろうじて振り返ったと言えるか言えないかという程度に顔を横向けた。 目は見えない。表情もわからない。ただ黙って立っている。 「でも……な、それとも違うような気がするんだ。オレはお前に側に居て欲しいと思って いる。離れたくないとも思っている。そりゃ、それは朝比奈さんや古泉に対しても同じだ が、もっとそれ以上の……なんて言うのかな、それは好きとか嫌いとかで語れるもんじゃ ない想い……かな」 ああ、くそ。今ほど自分のボキャブラリーの無さを嘆くべきだ。胸の奥ではハッキリし ているのに、それを相手に伝えるべき適切な言葉が思い浮かばない。伝えたい気持ちを伝 えられないのが、これほど苦しいと思ったのは初めてだ。 「だから……」 「いい」 どう言えばいいのか分からず、ただ闇雲に言葉を重ねるのを制するように、長門の冷た い両の手がオレの頬に添えられる。 「言語での情報伝達に齟齬が発生するのは仕方がないこと。でも……あなたの言葉はわた しに力を与えてくれる」 「長門……」 「わたしは、あなたと出会う切っ掛けを与えてくれた涼宮ハルヒに感謝をしている。そし て、あなたに出会えたことが嬉しく、芽生えた気持ちを誇りに思う」 オレを見つめる長門の漆黒の瞳が、微かに揺れる。 そして、夜風にかき消されてしまいそうな小さな声でただ一言だけ──。 「わたしは、あなたが好き」 小さくとも、オレの耳に届いたのは揺るぎない凛とした声。 「それが、わたしが『私』として存在していることを証明する言葉。それが叶わぬ思いで あることはわかっている。あなたが切に思う人が誰かもわかっている」 口を閉ざし、長門は少し迷うような素振りを見せた。たぶん、言いたいことを言葉に出 来なかったさっきのオレの姿も、今の長門と同じだったのかもしれない。 「でも……それでも構わない。あなたは、わたしが側にいることを許してくれた。わたし がいつまで自律活動を続けていられるか、それはわからない。それでも、最後が訪れるそ の時まで、わたしはあなたの側にいたいと思う」 長門の瞳から、ただ一滴だけ涙がこぼれる。長門が初めて見せる、感情の吐露。 嗚咽するわけでも、号泣するわけでもない。長門らしいその涙を……オレは止めること も、ぬぐってやることもできない。 「ありがとう」 その言葉を長門から聞いたのは、これで2度目だ。けれど、前のときの平坦な声ではな く、その声はどこか力強いものを感じた。 ス……ッと、オレの頬を包んでいた長門の手が離れ、背を向けて歩き出す。抱きしめた い衝動に駆られたが、それはやっちゃいけないことだ。 ただ、これだけはいいだろう。この言葉だけは、言わなければならない。それがオレと長 門の絆であり、長門が望む平穏な日常なんだと思う。 「長門、また……明日、部室でな」 気の抜けた思いで自転車を止めていた駅前まで1人歩いていると、見知った黄色いカチ ューシャ頭が、アヒル口で所在なげに立っていた。 なんだろうな。なんなんだろうな。どんな気分の時でも、こいつの顔を見るとホッとす るのは、いろいろな意味で末期かもしれないな。 「こんなとこで何やってんだ? ナンパ待ちか?」 「んなわけないでしょ。ほら、これ」 ハルヒは投げ捨てるようにオレの鞄を放り投げてきた。そういや学校に忘れっぱなしだったな。 「わざわざ悪いな」 「別に。みくるちゃんに頼まれたから仕方なくよ」 朝比奈さんに……? ああ……古泉め、すべて思惑通りってわけか。何が「朝比奈さん から言伝を授かってます」だ。裏でコソコソされるのは気に入らないが……今回ばかりは 大目に見てやろう。 「で、どうなの?」 唐突だな。 「どう、とは?」 「有希と会ってたんでしょ? いいわよ別に。有希もあんたのこと好きとか言ってたし」 なんでそんなことをこいつは知ってるんだ? 「なんか最近、有希がずっとあんたのこと気にしてるみたいだったからさ、昨日、一緒に 帰って問いただしたのよ」 なんとも団員思いな団長さまだ。わざわざ気に掛けていたとはね。 それにしても、古泉やハルヒが気づくほどの熱烈な視線を、長門はオレに送っていたっ てことか? それに気づかなかったオレは……マジで首をくくるべきかもしれん。 「あたしだって鬼じゃないわ。SOS団は原則恋愛禁止だけど、」 「ああ、フッた」 「でも有希となら……は?」 おいおい、近年希にみるマヌケ面だな。ケータイのカメラで取ってSOS団のホームペ ージにアップしといてやろうか。 「フッたというか、オレと長門が釣り合うわけないだろ。オレにはもったいない」 「あ~……そう、そうなんだ……」 なんだよ、その曖昧な反応は。もっとこう、怒るか喜ぶか、ハッキリした態度を見せてくれ。 「でもまぁ、安心しろ。だからと言って、オレと長門の関係が気まずくなったわけじゃない。 明日からも長門は、部室で静かに本を読んでるだろうさ」 「あ、当たり前でしょ! あんた、自分で言ったんだからね。丸く収めるって。これで有 希がSOS団から抜けるとか言い出してみなさい、あたしがあらゆる手段を使ってあんた と有希をくっつけてやるんだから!」 「なんだそりゃ?」 「なっ、なんだっていいでしょ! それよりも、雑用係のくせに散々あたしを振り回した 挙げ句に有希をフッて、そのままで済むと思ってるんじゃないでしょうね!?」 何を言い出すんだおまえは。勘弁してくれよ。こう見えても、オレはオレでちょっとへ こんでるんだぞ? そこへさらに追い打ちをかけるというのか。 「うっさい! きっついのぶちかましてあげるから、目ぇ閉じなさい」 「……また今度にしないか?」 「あたしの言うことが聞けないっての!?」 ヤバイ。今のハルヒはヤバイ。やると言ったらとことん殺る目だ。 仕方なく、オレは目を閉じる。目を閉じたもんだから、ハルヒが何をしようとしている のか、さっぱり分からない。 ネクタイを掴まれて、グッと引っ張られた。前のめりになって思わず目を開けそうにな ったその瞬間。 オレの唇に、暖かく柔らかいものが一瞬だけ触れてすぐに離れた。 「……は?」 驚いて目を開くと、目の前にはハルヒの顔。ほんのり頬を朱に染めているのは……気の せいだな。そういうことにしておこう。 「……どーよ、目が覚めたでしょ?」 「あー……ビンタより強烈だな」 「と、当然よ! 今まで誰にもしたことない、とっておきなんだからね!」 そうかい、そりゃ光栄だな。閉鎖空間でのことはノーカウントか……って、あれはハル ヒの中じゃ夢の出来事になってるんだったな。 「なぁ、ハルヒ。オレやっぱり、」 「えっ? 何、何なの?」 おいぃ……だから空気読めって。そこで急に顔を輝かせるなよ。そんな急かさないでく れ。まだ何も言ってないじゃないか。 「あ~……明日、な。また明日。じゃあな」 「ちょっ」 首を絞めるな。背中に乗っかってくるな。 「ちょっと、このバカキョン! また明日って、何それ? 意味わかんないわよ! この まますんなり帰れると思ってんじゃないでしょうね!? 言いたいことはちゃんと言わなき ゃダメって、あんたも言ってたでしょ!」 ええい、うるさい。それはおまえの夢の中の話だろ? オレは知らん。何も知らんぞ。 空気を読めないおまえが悪いんだ。 もう二度と、オレの方から「好きだ」なんて言ってやるもんか。 〆